2019年2月25日(月)
***2月24日、山名氏城跡の此隅山と有子山に登ってきました。
春到来を感じさせる快適登山でした。 いつもの山仲間7名 ***
此隅山は但馬守護・山名祐豊が築城したと伝えられている中世城跡。
標高は144mの山頂主郭跡までの登山道には、曲輪、堀切、竪堀、
土塁、虎口など数多くの城跡遺構がのこされている。
こちらに詳細発信しています(クリックでリンク) → 但馬情報特急
下山後車で移動し有子山登山へ
有子山は標高321m、今は城郭を取り巻く石垣しか遺されていませんが、
遠く豊岡・城崎まで一望できる展望は、気持ちいいです
こちらに詳細発信 → 但馬情報特急
出石を発信するときはいつも必ずこの写真 シンコロウ
此隅山城跡、有子山城跡は含めて但馬守護の山名氏の中世城跡です。
有子山の石垣はその後に築かれました。
両方とも豊臣秀吉が羽柴秀吉であった時代但馬攻め2万の兵により落城した城。
いつも思いますが、落城しなかったら歴史はどう変わっていたでしょうか?
***2月24日、山名氏城跡の此隅山と有子山に登ってきました。
春到来を感じさせる快適登山でした。 いつもの山仲間7名 ***
此隅山は但馬守護・山名祐豊が築城したと伝えられている中世城跡。
標高は144mの山頂主郭跡までの登山道には、曲輪、堀切、竪堀、
土塁、虎口など数多くの城跡遺構がのこされている。
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有子山は標高321m、今は城郭を取り巻く石垣しか遺されていませんが、
遠く豊岡・城崎まで一望できる展望は、気持ちいいです
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此隅山城跡、有子山城跡は含めて但馬守護の山名氏の中世城跡です。
有子山の石垣はその後に築かれました。
両方とも豊臣秀吉が羽柴秀吉であった時代但馬攻め2万の兵により落城した城。
いつも思いますが、落城しなかったら歴史はどう変わっていたでしょうか?
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