2021年10月12日
10日の日曜日 山仲間と「鉱石の道」を
探索してきました 日本の近代化に
大きく貢献した金銀銅錫採掘跡の
産業遺産のかずかずの探索です
明延鉱山
主に錫鉱石を多く産出した鉱山で
掘り出した鉱石を選鉱するため
神子畑選鉱場に運ぶための6キロの
トロッコ軌道があります これは
仕事に向かう従業員用の電車
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坑道が見学できます その入口
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最盛期には約4千人の人達が
働いていた従業員社宅跡
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掘り出した鉱石はトロッコに乗せて
神子畑選鉱場に運ばれます
ここに行くのに鉱石は6キロですが
我々の車は約30キロを走って
朝来市佐嚢に向かいます
ここは掘り出した鉱石をその比重に
より選鉱しますー金銀銅錫など
その現場は異様な建物
明延を出たトロッコは写真の左上の
小屋付近に到着します
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これはシックナーと言って選鉱後の
処理済みの水や鉱石不要物を処理
する施設です
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選鉱された鉱石は
精練のため生野に運ばれます
その軌道 当初は牛車その後馬車など
運ぶ軌道に架けらた橋-鋳鉄橋
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神子畑川の左岸、右岸の約16キロの
軌道を牛や馬に引っ張られて生野の
精錬所に運ばれます 鋳鉄橋は
五つあったそうで残っているのは二つ
話が長くなりますが・・・
金銀銅錫などに選鉱され運ばれてきた
鉱石を精練する工場機能が生野から
香川県の直島に変わったことにより
鉱石をそこへ運ぶ必要がある
それが「銀の馬車道」 現在の国道
312号線 生野市川のここから
馬車道は左岸を走って飾磨港(現在の
姫路港)に向かいます
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馬車道のスタートは現在のJR生野駅
近辺にあって 生野銀山から出た鉱石も
ここに集結されていたようです
当初の馬車は固い木製でそれにのせられ
馬が引っ張り約70キロの道を運ばれて
いたようです
馬車輸送はその後廃止され
電車軌道播但線に変わったようです
これは生野鉱山から出た鉱石を電車
に運ぶためのトロッコ軌道跡
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市川右岸にレールの道をつくったそうです
以上の記述の中で間違いがあるかも知れません
その場合はご容赦願います。
10日の日曜日 山仲間と「鉱石の道」を
探索してきました 日本の近代化に
大きく貢献した金銀銅錫採掘跡の
産業遺産のかずかずの探索です
明延鉱山
主に錫鉱石を多く産出した鉱山で
掘り出した鉱石を選鉱するため
神子畑選鉱場に運ぶための6キロの
トロッコ軌道があります これは
仕事に向かう従業員用の電車
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坑道が見学できます その入口
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最盛期には約4千人の人達が
働いていた従業員社宅跡
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掘り出した鉱石はトロッコに乗せて
神子畑選鉱場に運ばれます
ここに行くのに鉱石は6キロですが
我々の車は約30キロを走って
朝来市佐嚢に向かいます
ここは掘り出した鉱石をその比重に
より選鉱しますー金銀銅錫など
その現場は異様な建物
明延を出たトロッコは写真の左上の
小屋付近に到着します
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これはシックナーと言って選鉱後の
処理済みの水や鉱石不要物を処理
する施設です
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選鉱された鉱石は
精練のため生野に運ばれます
その軌道 当初は牛車その後馬車など
運ぶ軌道に架けらた橋-鋳鉄橋
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神子畑川の左岸、右岸の約16キロの
軌道を牛や馬に引っ張られて生野の
精錬所に運ばれます 鋳鉄橋は
五つあったそうで残っているのは二つ
話が長くなりますが・・・
金銀銅錫などに選鉱され運ばれてきた
鉱石を精練する工場機能が生野から
香川県の直島に変わったことにより
鉱石をそこへ運ぶ必要がある
それが「銀の馬車道」 現在の国道
312号線 生野市川のここから
馬車道は左岸を走って飾磨港(現在の
姫路港)に向かいます
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馬車道のスタートは現在のJR生野駅
近辺にあって 生野銀山から出た鉱石も
ここに集結されていたようです
当初の馬車は固い木製でそれにのせられ
馬が引っ張り約70キロの道を運ばれて
いたようです
馬車輸送はその後廃止され
電車軌道播但線に変わったようです
これは生野鉱山から出た鉱石を電車
に運ぶためのトロッコ軌道跡
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市川右岸にレールの道をつくったそうです
以上の記述の中で間違いがあるかも知れません
その場合はご容赦願います。
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