前記事のコメ欄で、「パッキーゴト」の追記事を希望する声があった。ゴトやら偽造やらはあまり得意な分野ではないが、今回は「偽造パッキー」問題について少々書きたいと思う。
1990年のパッキー導入時を「光」とすると、偽造パッキーが問題化した1993年~1997年の時期は、まさしく「影」であろう。なお、西日本で流通した「パニーカード」も、基本的に事情は変わらないと考える。
ただ、私は記者等の「業界ウォッチャー」ではないので、あくまで一般ファンの目線で論を進める。当時の「知られざる内幕」などは、元・業界誌記者、元・店長、元・店員といった「専門」の方々に譲る。
パッキーカードは、ご存じの通り、シマ端の券売機で千円~一万円の度数のカードを現金購入し、それを専用の台間ユニットに挿し込んで玉を借りる、「プリペイドカード」の一態様である。
’90年当時、既にテレホンカード(NTT)、オレンジカード(JR)、ハイウェイカード(JH)などの先例もあり、プリペイドカードシステムそのものは、それほど珍しいものではなかった。
ただ、100円単位の小銭で玉を買うのが当然、現金オンリーのパチンコ店で、新たにカードシステムを導入する事については、驚きが多かったと同時に賛否両論があった。
当時、K察当局はじめカード推進派が主張したのは、売上げ情報を第三者に提供し、財務管理がネットワーク化される事で、経理の透明化が図られ、脱税防止に寄与して業界の健全化やイメージアップにつながる、というものであった。また、遊技客にとっても、何度も両替に立つ煩わしさが減り、遊技の利便性が向上する、などといわれた。
一方、カード反対派の主張は、システム導入はホールの金銭的負担が大きすぎる事、その負担は結局一般ファンがワリを食う事、システムを導入しても脱税の抜け道はある事、行政主導の事業がカード管理会社への「天下り」に繋がる事、さらに事業の利権絡みで政官財の癒着が横行する事、そして、磁気データが入ったプリペイドカード特有の「偽造問題」が起こりうる事、などであった。
あらためて見ると、肯定派の意見はもっともらしいが説得力に欠け、逆に反対派の主張は筋が通っている感もある。カード導入は、行政の「肝煎り」で相当強引に進められたことが窺える。
余談だが、プリペイドカード導入について、故・田山幸憲プロは、自身の連載コラム「パチプロ泡沫記(うたかたき)」(’89年1月)において、「確かに便利といえば便利かも知れないが、それほど便利かと言えば、そうとは思えない。ささいな便利さを追求することによって、いわゆる一つの情趣を失ってゆく昨今。どうにでもしてくれ!」と、辛口かつユニークに評している。
ともかくも、1990年4月、大手商事、銀行、通信会社等が出資した「日本レジャーカードシステム」(日本LEC)が運営する「パッキーカード」が、首都圏の11店舗で導入された。
だが、全体的に見るとホールが積極参入する気風はなく、カードの導入ペースはジワジワと「亀が進む」が如くであった。同年12月には、西日本でも「日本ゲームカード」が運営する「パニーカード」の導入が開始される。
その後、1992年8月にCR機がホール初導入されるまでは、現金機やパチスロのシマ端に券売機が置かれ、購入したパッキーを台間玉貸機に入れて、玉貸ボタンで幾ばくかの玉を借り、取出口から出た玉を手で受けて、ジャラっと上皿に乗せていた(玉貸機と上皿を結ぶノズル付きのものもあった)。まぁ、小銭の代わりにカードといった風情で、特にプレミアもつかず、別段得したとかいう印象はない。残り度数を精算できない分、カードは損だと感じるほどだった。
ただ、その時期「偽造パッキー」が出回ったという話は、ファンの間ではほとんど聞かれなかった。もちろん、早くから偽造事件は存在したようだが、カード事業を成功させたいK察当局が、カード不祥事の実態を表沙汰にする事など、極力避けたはずだ。店の片隅で起きた小さな事件が、我々ファンの耳まで届かなかったとしても、何らおかしくはない。
また、当時はカード導入店でも、パチンコシマにはユニットを設置せず、パチスロシマのみカード対応の店も多かった。その為、一般ファンがパッキーの存在を強く意識する事は、あまりなかった。
1990年4月から1992年1月までの約2年間で発行された「G」「M」「F」などの主要攻略誌(約60冊)に目を通しても、ホールで偽造カード被害が実際に出たと報じる記事は、一切出て来ない。業界人はともかく、少なくとも一般ファンは、この時期にパッキーが不正利用されたことを把握するのは、きわめて難しい。
当時は、むしろ先輩格のテレホンカードなどに偽造が横行、上野のイラン人集団が「テレカあるよ、安い」と通行人に声を掛け、輪ゴムで束ねた偽造テレカを安価で売りつける場面に遭遇した。後に偽造パッキーが出回り、不法滞在の外国人らによって、同じように路上で売り捌かれるが…。
なお、「必勝G」誌1992年3月号「未確認情報局」の欄には、「全国初!変動(註:原文ママ、「変造」の誤植と思われる)プリペイドカード出回る。いよいよ始動開始か?(池袋発)」との小さな記事が踊っている。一般ファン向けのパチンコ雑誌で、偽造パッキーの実害について報じたのは、ひょっとしてこの記事が最初ではないか。但し、池袋のどの店で被害が出たかは明記されていない。前記事の「パッキー早期導入店リスト」には池袋「Y」チェーンの名があるが、この店かどうかも不明。
また、同誌1992年8月号「業界誌を読め」のコーナーでは、パッキーカードのセキュリティーの甘さと偽造可能性を指摘した、「グリーンべると」誌5月号の記事を紹介。この「グリーン~」誌の編集長(当時)は、同年11月に必勝G誌が業界人に行ったアンケートで、翌年(’93年)のパチンコ業界の展望予想を「偽造カード攻略法が大流行。カード会社が苦境に立たされる。」と早々に予言している。さすがは業界誌、裏情報を掴むのが早い。「大流行」というのは、若干フライングな気もするが…。
パッキー偽造問題が一般ファンに注目され始めたのは、確かに1993年(平成5年)の事だった。西陣CR機「CR花満開」(1993年5月)が大ヒットし、それまでパッキーに消極的だったホールが、相次いでシステム導入を開始した時期だ。カード対応店が増えるにつれ、偽造パッキー絡みの話題も次第に増え始めた。時を追うごとに、セキュリティーを破る「技能」も上がった筈だ。具体的な事件が雑誌で取り上げられた機会こそ少ないが、パチンコ業界でも、他のプリペイドカード同様に「偽造」が可能である事が、ファンの間でも認識され始めた。
1994年に入ると、カード偽造への注目度はさらに増していく。同年1月、新宿や三鷹の複数ホールで、中国系外国人らによる偽造パッキー使用事件が発生。新宿某店では、店が5000円券以上のパッキー利用客をマークしていた折、5000円カードを逆さまにユニットへ挿入する怪しい外国人男性を発見、すぐに事務所へ連行した。カードを調べると、すでに手配されていたものと同タイプの偽造カードだった。 捕まった男の話によれば、新宿駅南口で別の外国人から3000円でカードを購入。外見は5000円券にも拘らず、1万円分の度数が書き込まれていたという。因みに、偽造カードの相場は時を追うごとに下がり、一年も経つとセキュリティの弱いタイプは300円以下で叩き売られるようになった。
また、別の中国人ゴト師などは、あらかじめ店員とつるんで、用意した偽造カードで玉貸機から大量に玉を出し、遊技もせずにジェットに流して即・換金、儲けは店員と折半していたと告白。同じ日にホール数件を回り、一日10万以上の稼ぎになったそうだ(抱き込んだ店員が、そこらじゅうにいたのだろう)。
この中国人ゴト師は、偽造カードの製造方法について、こう語っている。まず、使用済みパッキーカードを馴染みの店員から大量購入する。同時に、公衆電話を一台盗み、テレカにパンチ穴を開ける機械を取り出し、不要なパッキーに穴を開けてパンチ穴の「カス」を沢山作る。そして、このカスで、使用済みカードのパンチ穴を塞ぐ。穴埋め作業は、パートのおばちゃん達を使ってピンセットで行わせたとか。最後に、穴を埋めたカードを変造機(エンコーダー)にかけて、1万円分の度数が入った磁気データを入力する。これで、偽造パッキーの完成である。
偽造用エンコーダーは、一時期数千万の値で取引されたが、セキュリティーが厳しくなって偽造カードが使用できないケースが増えて、やがて600万ほどに下落したという。
’94年という時期は、前年(’93年)10月の「ダービー物語事件」に代表される「連チャン機取締り」もあって、行政の力に押されたホール側が、CR導入の流れに大きく傾いた転換点である。同年8月には、平和から「CR黄門ちゃま2」が登場して全国的なヒットとなった。かかる状況がカードシステム設置店を飛躍的に増やすと同時に、偽造カード問題も深刻の度合いを増した。
翌1995年は、偽造カード被害が全国的に多発し、被害額も一気に増えた年とされる。一説では、同年1月に起きた阪神大震災で、倒壊したホールからカードユニットや券売機が盗まれ、ゴト師達にセキュリティーを解読されてしまった事が、その原因ともいわれる。ただ、実際は以前から大きな被害が出ていたが、当局の「抑え込み」により被害の実態が見えなかっただけ、との指摘もある。
ともかくも、同年5月以降は、表沙汰になる偽造カード事件が、爆発的に増加。我々ファンも現場やメディアを通して、その実情に多く触れることとなる。95年6月、東京・板橋区の複数ホールで、偽造カードを使った事件が発生。いずれも犯人は3人組で、バッグでカード挿入口を隠したり、両脇の二人が立ち上がって防犯カメラの死角を作ったりと、不審な行動が目立った。これに気付いた店員が現行犯で取り押さえ、警察に引き渡した。
もちろん、こういった事例は氷山の一角に過ぎず、ホールでは偽造カードを使った被害が連日のように出ていた。ユニットのトラブルで店員が駆けつけると、すでに客の姿はなく、ユニット内に変造カード一枚ポツンと残っていた事など、日常茶飯事のホールもあった。
「ただ今、不正カードの被害が増えている為、誠に失礼ではございますが、カードのチェックを定期的に行わせて頂きます」といった店内アナウンスが流れ、店員が客のパッキーを一台づつ抜いて逐一チェックしたのも、この当時の「ホール名物」の1つだった。
当のカード会社も、単に傍観していた訳ではなく、セキュリティーの更新やホールへの周知など、対策を講じていた。しかし、対策から数週間で新手の偽造カードが出てセキュリティーが破られるなど、「いたちごっこ」の様相も呈した。
こうして’95年に大問題となったパッキー偽造に対し、カード会社は同年12月に「カード受付機」を導入して事態の収拾を図る。他店で購入したカードについて、遊技前に専用の受付機を通さなければ、玉を借りられないシステムだ。偽造カードを受付機に通せば、「エラー」となってブザーが鳴り、即座に店側にバレる。
しかし、これはいかにも急場しのぎで、「加盟店共通カード」というシステムの根幹が崩れる危惧すらあった。また、偽造グループの中には、この受付機をクリアする新・偽造カードを開発したところもあり、問題の根本解決には至らなかった。驚いたことに、新しい偽造カードの中には、二枚の使用済みカードを半分に切って互い違いに貼り合わせただけの、酷い不出来なものもあった。それでも、受付機と玉貸機を楽にパスしてしまったというから、何ともコッケイである。ちなみに、この頃の偽造カードはパンチ穴を埋めた初期タイプの他に、磁気データ入りの銀紙を使用済カードに張り付けるタイプも出回った。
ただ、受付機の受注が追い付かずに、依然として受付機が未設置のホールもあった。そういったチェックの甘い店は、「仕事」の場を狭められた偽造集団によって、集中的に狙われる事となった。受付機設置が始まった95年暮れに、池袋の某店が偽造カード集団に荒らされ、CR機のシマが全面閉鎖される事態となった。その様子は週刊誌にも掲載され、パチンコファン以外の目にも広く触れた。偽造カードは、この頃既に社会問題化していたのだ。
同じく95年12月、新宿某店にも中国系アジア人や暴力団風の男たちが大挙して押しかけた。彼らがCR機のシマを占拠するや否や、偽造カードで玉をガンガン借りまくり、そのままドル箱にザーッと落とすという荒っぽい手口で玉を抜き始めた。一般の客が入れる余地などなく、シマ端でコワモテの男が睨みをきかせ、一般客のシマ入場を阻止していた。
普通なら、店長が血相を変えてシマ閉鎖を行い、警察を呼びそうなものだが、この時は実に1時間以上にも渡って男たちは居座り続けた。そして、大当りもさせずに玉を落としてドル箱を重ね、別の仲間がシマとジェットカウンターを往復して、レシート交換にいそしんだ。
店側が、なぜすぐに警察を呼ばなかったのか、という疑問もあろう。詳細は不明だが、もしもゴトを放置していたならば、それにはある「理由」が考えられる(後述)。
1996年に入っても、被害は減るどころかますます大きくなる一方だった。同年2月、都内・某駅前店に中国やイラン、そして東南アジア風の外国人が一同に集結、店外では200人ほどが待機する異様な光景があった。その後、示し合わせたかのように、30人づつがまとまって入店し、一般客に交じって遊技を開始。当然、彼らの懐には大量の偽造カードが束で入っている。店側が彼らをいくら追い出しにかかっても、次々と別の集団が入場して収拾がつかず、一日で約200万円の「損失」が出たという(この時期、三洋から「CR大工の源さん」(初代)が登場している)。
ここで、偽造カードによる「損失」について触れておく。加盟店は、カード会社からカードを毎月ある程度仕入れておき、これを店内のカード券売機で販売する。一方、店内で客がカードを消費した額も毎日集計され、売上データはカード会社に電話回線で送信される。毎月の決済時には、その月のカード消費額とカード仕入額を比較し、消費額よりも仕入額が多い場合は、カード会社が差額を店に請求、逆に仕入額より消費額が多かった時は、カード会社が店に差額を補てんする。いわゆる「差額決済」システムである。なお、店側はカード1枚につき十数円の実費も負担した(これを無料サービスした時期もある)。
上記システムによれば、偽造カードによる実質的な被害を受けるのは、カード消費額が仕入額を上回った時に店に支払い義務がある、カード会社の方であった。一方、店側はというと、いくら偽造カードで玉を抜かれたとしても、それは店内での消費(売上)としてカウントされるので、決済後にカード会社から差額分の補てんを受けられる。この為、カード偽造でのホールの実害など全くない、という報道もなされた。
事実、このシステムを悪用して、店側がゴト師とグルになって偽造カードで不正に玉を抜いたり、店員に偽造カードを使わせたりして、架空の売上げを計上してカード会社から不当利得を得ていたケースもあり(裁判に持ち込まれた例もある)、マスコミも大々的に取り上げた。まるで、この偽造カードの「戦犯」は、ホール自身であるかのような論調も目立った。
偽造カードの被害者はカード会社であって、ホールや一般客には何の不利益もない、という「極論」も出たが、それは、かなり偏った考えと言わざるを得ない。
半端ない大金をかけてカードシステムを導入したホールにすれば、度重なる偽造の被害でカード会社がもしも潰れたら、それまでの投資分は無に帰してしまう。それも、ホール自身が莫大な加盟料などを供出して、これまで支えてきた組織である。ましてや、差額決済の前にカード会社がポシャりでもしたら、店が立て替えた「損失分」がそのまま焦げ付く恐れがある。たとえカード会社が潰れなくとも、一日200万近い「損失」を店が連日立て替え続ければ、決済前に資金繰りがショートする危険さえあった。事実、差額決済された金額がホールの口座に入るのは、決済のさらに1か月後となっていた。
また、いくらホールに実質的な損失がないとはいっても、偽造カード問題で不良外国人等に店が荒らされれば、心象を悪くした一般客の「店離れ」を招きかねない。さらに、偽造防止に要する多額の経費を回収するには、自腹を切って投資する常連客に、不要な負担を強いる事になる。
当時のホール側の対応をみると、(A)偽造カードは断じて許さないとして厳格にチェックする店、(B)偽造カードが使われても見て見ぬふりをする店、(C)偽造カードグループとつるんで積極的に不正に関与するホールと、大別すれば3つに分かれた。大半の店は(A)だったが、中にはそういう対応を取らない店もあった。
こうしたホールの対応の差は、まさにカードシステム自体に対する考え方や、一般客に対する思いの軽重といったものが、そのまま店の行動にあらわれたともいえる。
システムは導入してみたものの、腹の中ではカード事業に全く同意できないホールなら、憎いカード会社をみっちり懲らしめようとして、偽造カードを使っているゴト師を放置したケースもあろう。
また、自分のホールさえ収益が上がればよい、自分の懐さえ潤えばよいとする店ならば、ゴト師とタッグを組んで売上げを水増しする事も、まったく厭わなかっただろう。
中には、かなりあくどい手口を使っていたホールもあった。店が露骨に偽造カードを多用して(させて)売上を水増しすると、カード仕入額と使用額とが露骨に乖離して、警察やカード会社のチェックが入る。これを防ぐため、あえて多めのカードを仕入れておき、偽造カードグループにある程度玉を抜かせる。そして、抜いた金額分の真正カードを、裏組織を経由して金券ショップに持ち込ませるのだ。その代金を店が懐に入れれば、差額決済時に帳尻が合う上に、金券ショップに流した分は、まるまる店の裏利益となる。町の金券ショップで真正パッキーが割引で売られていた場合、それを持ち込ませた犯人の多くは、偽造カード団と結託した悪徳ホールであったといわれている。
偽造カードに対して、断固とした対応を取るホールが多数だったとはいえ、その一方で、自ら不正に関与したり不正を見逃すような悪徳ホールも、一部に存在した。マスコミが、そういったセンセーショナルな話題に飛びついたのは、無理もないことだろう。だが、その報道姿勢は、いかにも当局のリークによって「情報操作」されているように映った。実際のところ、偽造カード問題の責任は、「国策」の名のもとに無理やりシステムを導入した、当局自身にもあった筈だ。その責任を放置して、一部悪徳ホールをスケープゴートにすることが、果たして許されるのだろうか。
ともかくも、’96年4月には、日本LECと日本ゲームカード社の2社で、偽造カードによる被害額が年間500億円に達した事が、新聞で報道される。その直後には、さらなる被害を防ぐため、5000円以上の高額カードの使用が停止された事も新聞に載った。一般ファンはもちろん、パチンコに無関心だった人々さえ、偽造カードのもたらした大きな被害状況を知る事となる。
さらに、同年6月に発表されたカード会社2社の96年3月期決算では、2社合計のカード被害総額が、およそ630億円にものぼった事が明らかとなった。この数字は形式的なもので、現状では1000億円近い被害が生じている、ともいわれた。当然、カード会社の収益も一気に悪化し、この年の日本LECは550億円もの赤字へと転落した。
カード会社は96年秋にセキュリティを完璧に施した新カードを開発して、他店舗でも使用できる高額パッキーを復活させる予定だったが、結局それも叶わなかった。96年12月には、パッキー、パニー、ジャッキーのカード互換性がなくなり、さらに購入店舗(或いは系列店舗)のみ使える「ハウスカード」のタイプに、マイナーチェンジしてしまった。この時点において、「加盟店共通カード」というパッキーの前提は、完全に崩れてしまった事になる。
以上が、プリペイドカード導入時から偽造カード被害が大きくなるまでの、主な経緯である。
何だか前記事とは論調がガラッと変わってしまったが、取りも直さず、それはパッキーカードの「歴史」ともいえる。相変わらず冗長な文章で恐縮だが、何かの際には参考にして頂きたい。