Youtube 90年代動画紹介(5)
次第に定番となりつつある、神動画投稿主ライルさん(Mr.Lyle Hiroshi Saxon)の貴重なyoutube90年代動画を楽しむコーナー。
今回は、こちらの映像を取り上げる。
https://www.youtube.com/watch?v=HJnl-ezusIs
1990年(平成2年)5月、東京「高田馬場駅」界隈をとらえた動画。
個人的には、ある種特別な「郷愁」を感じる映像だ。
何故なら、私が「パチ道」に足を踏み入れた最初の契機が、まさに「1990年(4月)の高田馬場」だったからである。
同年4月、大学に通い始めた私は、サークル新歓コンパの帰り、駅近くの早稲田通りで営業していた「ダイナム高田馬場」(閉店)というパチ屋に、友人(同じ高校から進学)と足を踏み入れた。
(在りし日の馬場ダイナム)
キツイ受験勉強から開放された反動で、ぜひ「パチンコ」という大人の遊びを、本格体験したいと思ったのだ。これが、私の実質的なパチデビューとなる。
(なお、パチ屋に足を踏み入れたのは、これが最初ではない。小学生時分、パチ好きだった少年野球のF監督に連れられて、地元のホールで落ちている玉や小銭を拾った事はある。この時期、駄菓子屋パチンコ「ピンポンパン」も好きだった(→パチ好きの下地ができていた?)。また、高校の時、クラス一の遊び人である友人K(→薄っぺらい学生鞄に、パチの攻略誌だけ入れていた)と、通学途中に見かけたパチ屋の新装に、一度だけ付き合いで入った。まぁ、自分は店内を一回りするとすぐ外に出て、Kの学生服と鞄を持ったまま、遊び終わるのを待っていたが…(新装にしては釘がイマイチだったらしく、Kも10分足らずで出てきた)。)
馬場ダイナムで、「パチンコど素人」だった私が、見よう見まねで玉を弾いたら、ビギナーズラックという奴で6000円も勝ってしまった。よっぽどの甘釘台に座ったのだろう。その帰り、立ち食いで啜った只の「かけそば」が、勝利の余韻も手伝ってやたらと美味かった。
もちろんその時は、打った機種の名前すら知らなかったが、やがて三共の旧要件ハネモノ「エンタープライズI」と知る。私にとっては、生涯忘れる事のできない、思い出深き台である。
(三共、エンタープライズI)1990年(平成2年)登場。半回転するS字状のハネと、銀色の空母「エンタープライズ」のヤクモノが特徴。サウンドも豪快・派手で楽しかった。
これがきっかけでパチの魅力にとりつかれた私は、授業終りに馬場駅前まで出向いては、近くのパチ屋・スロ屋に出入りするようになった(次第に「活動エリア」を新宿・渋谷・向ヶ丘遊園…と拡げる)。翌年になると、授業をサボって丸一日ホールにいる事も珍しくなくなったが…。
また、受験勉強の反動はパチのみに留まらず、大学や駅の周りに点在した「ゲーセン」の類も、格好の遊び場となった。テトリス、脱衣麻雀(明石家さんまに似たキャラが、「~ざんす」といって牌交換券のアイテムをくれる奴※など)、クイズ(「ゆうゆのクイズにGOGO」が好きだった)、それに定番のスト2など、入学直後にハマったアーケードゲームは多い。
※タイトルが「麻雀ファンクラブ アイドル最前線」(ビデオシステム)と判明。その他、「麻雀狂時代」(サンリツ)、スーパー麻雀マル禁版(YUGA)なんかもよくやった。
さらに、この時期はクラスコンパやサークルの飲み会も多く、その会場は、たいてい馬場駅近くの居酒屋と相場が決まっていた。
そんな感じで、動画の撮影時期である「1990年5月」は、ピカピカの新入生(←死語)だった私が、ワクワクしながら馬場の「プレイスポット」を開拓していた頃だ。それ故に、この映像に対する思い入れも非常に大きい。
では、前置きはこれ位にして…さっそく動画をお楽しみ下さい。
なお、以下のリストは、個人的に特にグッときたシーンを、幾つかピックアップしたもの。
冒頭・・・JR山手線・高田馬場駅ホーム。西武線のガード越しに見える屋上看板も懐かしい。日拓、清酒大関、フロムエー、デリッシュカレー。駅前の見慣れた光景。
0:07・・・「パチスロ白鳥会館」の赤い看板
0:10~…駅前「BIGBOX」が映る。私の中では、ビル外壁の赤いデザインのまま脳内が止まっていたが、現状をググッて確認した所、いつの間にか青い外壁デザインに変わっていた(汗)。
0:23・・・自動化前の改札。当然、駅員がハサミをカチャカチャ鳴らして切符を切っていた。
0:42・・・駅前の学バス乗り場。日常的に利用していたので、何とも懐かしい。
0:52・・・名物レコード店「ムトウ」の看板(名店ビル2Fの方)。ここで、よくジャケ漁りをした。
1:00・・・「ムトウ」に上がるエスカレーター
1:11・・・(やや不鮮明だが)今川焼屋の脇にあったゲーセン(「50円」看板が目印)のネオン
1:57・・・早稲田通りの名物喫茶店(コーヒーショップ)「ユタ(UTAH)」の看板
2:09・・・早稲田通りのゲーセン「ビクトリア」店内(テトリスと麻雀ゲームをよくやった)
2:43・・・学生ローン「フレンド」の看板(別に利用した訳ではないが、徒歩で通学中、必ず目に入った。他にも早稲田通りには学生ローンの看板がやたら多かった。現状は知らない)
2:45・・・日拓本店(地上フロア)の店内。ドリームXの音が懐かしい。スロはセンチュリー21。ちなみに、地下はパッキーカード専用フロアだった。
3:10・・・居酒屋「寿限無」の看板(コンパの定番会場、その1)
3:20~・・・早稲田通り「未来堂書店」(菊月ビル1F)
3:33~・・・早稲田通り「ムトウ」(菊月ビル1Fの方)(コチラは当時、CD、カセット、ビデオ中心)
3:55・・・駅前交差点のパン屋「ムッタローサ」の店内(一瞬)
3:59・・・駅前交差点のファーストフード「ファーストキッチン」の看板
4:02・・・駅前のビルに入っていた映画館「東映パラス」の入口看板
4:07・・・ファーストキッチン店内
4:19~・・・駅前のパチ屋「国際センター」店内。板張りの床が懐かしい。4:32では、赤い小箱の玉を上皿に流し入れる客。スロはアニマル一色(「G」だったかも)。なお、映像にはないが、裏路地を入った民家風の換金所も、通路に飛び石が敷いてあるなど、妙に「風情」があった。
4:52・・・ガード下の写真屋(ブース)の白髪オヤジ
5:18・・・割烹「海乃家」の看板(コンパの定番会場、その2)
5:59・・・パチスロ「白鳥会館」と、向かいのパチ屋「コスモ」
6:07~・・・さかえ通りのアニマル(「G」ではない)設置店「日拓ビッグプレイ」。通りに聞こえるポコポコ、キューンキューンの音が名物だった。2フロアで、階段上に小さな景品カウンター。3Fが学生ローン「アミーゴ」(使った事はない)。左隣が牛めし「松屋」、その左が居酒屋「清瀧」→コンパの定番会場、その3。さらに左隣が、ファミコンショップ「マリオ」)
6:45~・・・さかえ通りのゲーセン「WE’LL TALK TAITO(ウィルトーク・タイトー)」(現在は「タイトーステーション」)。ここもよく入った。6:57からゲーム遊戯中の客を撮影。これは当時流行った疑似3Dシューティングゲーム「ナイトストライカー」(TAITO)。同じさかえ通り沿いには、「ゲームファンタジア」(後に跡地は「アドスロ高田馬場」になるもクローズ)もあった。
7:43・・・画面左に、さかえ通りの喫茶店「ルノアール」(馬場周辺には何軒かあった)の看板
8:17・・・さかえ通りの「パチンコUSA」はまだ無く、「せいわ」のビルが建っていた。
8:18・・・通りに置かれた赤電話(公衆電話)も懐かしい。
8:37・・・さかえ通りのラーメン屋「茶居名ハウス」の看板
8:44・・・さかえ通りの純喫茶「プランタン」の店頭
10:01・・・再び「ビッグプレイ」の前を通過。やはり、アニマルの「キュンポコ音」が通りに響く。
10:23・・・駅ガード下にあった小さなカレー&焼きそばスタンド「ポニー」。安くて早くて重宝した。
11:06~・・・東西線・高田馬場駅の連絡階段→切符売り場→改札→ホーム→東西線車内。たった1駅の移動だが、いつもお世話になった。
ビッグプレイ名物だったアニマル。当時は「アニマルG」への改修が進んでいたが、ここはバリバリ連チャンする普通(笑)のアニマルだった。なお、国際センターのアニマルが、この時期「G」だったは失念。
※映像を隅から隅まで見たが、当時の自分の姿は確認できず。ライル動画には、新宿・馬場界隈の映像が多いので、「ウォーリーを探せ」のノリで、いつの日か見つけたい(笑)。
(参考) 平成初期(1991年)・高田馬場駅周辺のパチンコ店マップ
日拓(併設)、国際センター(併設)、コスモ(併設)、白鳥会館(スロ※)、日拓ビッグプレイ(スロ)、日拓ビッグポット(スロ)、ダイナム(併設)、日拓EO(併設)、東陽会館(併設)
手元の資料によれば、1989年末まで白鳥会館はパチ屋だったが、客が飛んで閉店後、スロ専としてリニューアル。なので、私にとっては、パチ屋時代の白鳥会館は、ある意味「伝説」である。
★★追記★★(2015.4.26)
くりくりさん、コメント有難うございます。コスモのハンター、ご存知でしたか。私も、あそこの地下フロアで、裏ハンターをよく打っていました。コチラの過去記事でも取り上げてますので、よろしかったらお読みください。「高田馬場C店」となっていますが、コスモの事です)。
http://blog.goo.ne.jp/selfconfide777mc/e/c8bd0aef0dd8327732b55ef2d869b0e1