まにあっく懐パチ・懐スロ

古いパチンコ・パチスロ、思い出のパチンコ店を懐古する
(90年代のパチンコ・パチスロ情報がメイン)

プリプリショットP-2(西陣、デジパチ)

2015-07-15 12:23:00 | 現金機デジパチ

(本記事の冒頭で、少々愚痴っぽい記載がありましたが、たかが一掲示板の、取るに足りない、トンチンカンで的外れな嫉妬心丸出しの個人攻撃など「完全無視」が一番という事で、該当箇所は削除させて頂きました。どうぞ、ご了承の程を。)


さて、今回紹介する機種は、こちら。




1992年(平成4年)秋に西陣から登場した現金機デジパチ「プリプリショットP-2」

★賞球…7&15
★大当り確率…1/220
★16ラウンド継続、出玉…約2400個
★図柄…1~9、ゴルフクラブ、カップ、旗、V(ボール)、ゴルフバッグ、$の15種類
★全15図柄中、「7」で当るとプラス5回の確変(小デジ)に突入。
★確変ループはなく、きっちり6回ワンセットで終了(最後の当りが7でも無効)。
★確変時の出玉…約14000個(クギ調整次第で減る事アリ。逆に止打ちで増える事もアリ)
★確変中は、小デジ確率が2/18(1/9)から16/18(8/9)にアップ(メイン確率は不変)
★小デジの開放時間…約3秒
★兄弟機…スーパー麻雀(盤面パーツが共通。確変機能無。保連アリ。大当り確率…1/224)




本機は「ゴルフ」をモチーフにしたデジパチで、メインデジタル上部では、若い女子ゴルファーの人形が、「エーイ」とドライバーを振っていた。確か、リーチ中は、このゴルファーがカタカタ動いた記憶アリ。兄弟機「スーパー麻雀」でも、同じ位置にいたオヤジキャラが、リーチ時に動いた筈だ。


流行り始めの液晶ではなく、オーソドックスな「ドットデジタル」を採用。リーチ時の右デジの動きに特徴があった。大当りすると、ドットには「ナイスイン」といったメッセージも流れたと記憶。

ゲーム性は、全15図柄のうち、数字の「7」で当ったときのみ、プラス5回の確変(小デジタル確率アップ)が付いてくるというモノ。いわゆる「フルパラ2(京楽の「フルーツパラダイス2」)」タイプの大量獲得型。ただ、大当り確率は1/220で、フルパラ2(1/235)よりも甘くなっていた。

当時、京楽のフルパラ2がヒットした事で、追随するメーカーも幾つか現れた。それについては、こちらの過去記事でも紹介した通り。よく言えば「時流に乗った」、悪く言えば「二番煎じ」な機種が、幾つも登場した訳だ。

本機の他には、宝島(京楽)、ペットショップ(まさむら)、エキサイトカップ3(ニューギン)、セーフティセブン(マルホン)、ワイワイファーム(京楽)といった所が挙げられよう。

まぁ、本家の京楽や、OEMのまさむらが出した各機種は、「二番煎じ」というよりも、「後継機」と呼ぶべきかもしれない。


さて、「プリプリ」ショットである。

粗めのドットの左・中デジタルがゾロ目でリーチが掛かると、一回り大きい右デジタルは、図柄が上から下に流れた後、左側にカクっと寄る「逆L字」の動きをしながら、ゆっくりスクロールする。そして、最終停止3~6コマ手前から、さらに速度を落として「逆N字」の動きに変わる。この二段階の右デジの動きが面白く、また、逆N字の動きに切り替わった時点で、最終停止する右出目を大まかだが予想できた。

なお、確変図柄の「7」でリーチが掛かった時は、通常と異なるリーチ音が鳴り、右デジの動きもいつもより大きなアクションになって、よりいっそう期待感を煽った。


さらに、通常時の右デジタルには独特の「移行法則」があった。連続回転中に限って、「前回右出目+2コマ~+4コマ」の範囲で移行する、という特徴があったのだ。

これはリーチ時も変わらない為、移行法則と矛盾する位置で右デジの動きが変わったら、その段階で大当りが確定する。但し、リーチが掛かった次の回転では、この法則がいったん崩れる。

また、確変中は通常時と移行パターンが違っていて、連続回転中の右出目は、「前回出目-6コマ~+1コマ」で移行する。さらに中出目も「前回―1コマ~+1コマ」の移行性が生じた(もちろん、連続回転中に限る)。



本機は、アタッカーが「ウィング式」(ハネモノを彷彿とさせる形)だったのも特徴。寄りクギの状態にもよるが、玉の拾いは総じて良好だった。また、アタッカーセンサーが奥まっていた為、10カウントでも11個拾うケースは多く、2400個を超える出玉が期待できた。アタッカーのVゾーンは、玉が1個入ると閉じるという、当時の西陣お得意の作りになっていた。


なお、本機に意図的な連チャン性はなく、確変中もメインデジタルの内部確率は変わらない。当然、確変中に大きくハマる事もあった。



当時、このプリプリショットを打っていたのが、新宿・東南口の「平和」(閉店)というホールだ。

店内の左半分がパチンコで、右半分がスロットのシマだった。本機の背中のシマには「本家」のフルパラ2も置いてあり(その隣には兄弟機「フルパラ1」があった)、フルパラ2で不調な時、確率が甘い方の本機で、逆転を狙ったりした。


在りし日の「平和」(店舗改装前、1992年当時の入口)

「平和」での実戦では、新装時期に、確変の初当りをたった1回だけ引いた事を覚えている。

ただ、その貴重な確変時が最悪で、新装にしては小デジの回り(スルー)があまりに悪く、玉減りが酷くストレスのたまる展開だった事も思い出す。それに、止め打ちしたら、中年の店員に速攻で注意されたんだった。だったら、新装時のクギ調整くらい、ちゃんとやれってんだ(今さら怒ってもしょうがないが)。6回ワンセット終了時では、大当り1回分くらい玉減りしていた筈だ。まぁ、スルーや電チュー付近の釘をロクにチェックせず、適当に座ると痛い目にあう…という好例(爆)。

その後の実戦では、単発当りこそ何度も引いたものの、遂に確変とは再会できずじまいだった。それでも、「1/220」の当りが数珠っぽく続いて、無難に勝ちを収める事も少なくなかった。
(当時、本機のシマは「奇数のみ継続」のLN制で営業していた)。

因みに、本機が設置されていた92年末~93年初め頃、新宿「平和」のハネモノシマには、「ミスターフォール」や「パチンコ大賞」といった、西陣の旧要件ハネモノが並んでいた。すでに、新宿界隈のハネモノは「新要件一色」だったが(ハネモノ自体、設置が減っていた)、引き続き旧要件ハネモノの「名機」を打てる貴重な店だった。財布に余裕のない時などは、ここのハネモノシマでお世話になったから、「恩義」も多い。

そうそう、ここのコンチIでは、やたらと「お座り一発(千円)ビッグ」を引いたっけ(連チャンなしの即逃げパターンばかり)。ここは、メダルが10円玉風な茶色で、箱はハネモノ用の小箱。正直、あまりドカンと出る雰囲気ではなかった。とりあえず、1000円で引き易いだけ(笑)。単なる偶然だろうが、自分にとっては「自力モーニング」がよく発動する店だった(笑)。

新宿「平和」は、時が進んで2000年辺りにおいても「穴場」的存在で、CR機ばかりの当時にあって、現金機のフィーバークイーンIIや、エキサイトジャック2、野球拳、ビバシティーなどを、長らく置いていた(クギはさすがにキツかったが…)。そうそう、新宿のFクイーンIIといえば、歌舞伎町(さくら通り)にも「トップス」という長期設置店があったな。


一昨年、惜しくも閉店してしまった「平和」。私にとっては、永遠に心に残り続けるホールだ。