1992年(平成4年)に西陣から登場した初期CRデジパチ「CRうちどめくん」
(西陣初のCR機)
★賞球…5&10&15(始動チャッカー(ヘソ・オトシ)5個、アタッカー15個、その他10個)
★最高16ラウンド継続
★アタッカー開放時間…約29秒(or10カウント)
★出玉…約2400個
★大当り図柄…0~9、N、P、当、$、¥(計15通り)
★全15図柄中、「3、5、7、当」の4図柄で当ると、次回までの確変突入
(ループあり。確変突入率、継続率共に4/15)
★大当り確率(メーカー発表値)
三段階の設定付き
・設定1:1/262.6(通常時) 1/77.2(確変中)
・設定2:1/283.4(通常時) 1/83.4(確変中)
・設定3:1/306.8(通常時) 1/90.2(確変中)
⇒メーカー発表では、「確変中の確率は通常の3.4倍アップ」とされた。但し、実際には、10倍程度アップしていた可能性もある(確変中の大当りが保4以内や1桁で来るなど、異様に早いケースが多かった為)。実際、初期CR機には、確変中10倍アップのタイプも多い。
★連チャン性…アリ。確変中も、確変終了後も、全保留玉で連チャンの可能性アリ
★当時の設置店…池袋駅東口「やすだ7号店」など
(その他、パッキーカード早期導入店の一部で設置)
★兄弟機種(現金機)…パーラーキング、銀玉人生
パーラーキング(強力な数珠連チャン機) 銀玉人生(弱性の数珠連チャン機。無制限用)
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平成4年夏、各メーカーが「カード対応機」として送り出した、初期CRデジパチのひとつ。西陣が最初に登場させたCR機である。
但し、この時期は現金機の連チャン機がまだ全盛で、CR機の設置はパッキーカード(関西ではパニーカード)を導入する一部のホールに限られた為、知名度に比べると、設置率はイマイチであった。
※パッキー導入からCR機登場までの流れは、コチラの過去記事を参照されたい。
http://blog.goo.ne.jp/selfconfide777mc/e/5c6ec99c1ffa93ebc3c265e9253f2739
(パッキーカード(1)、導入当初の状況など)
なお、ネットでは「CR機の導入に合わせて、パッキーカードが登場」とする記載を散見するが、誤り。パッキーは1990年(平成2年)4月に出たが、当時は現金機のみで、CR機はまだ無い。
また、CR機登場前のカードでの玉の買い方は、CR機で見られた「台内蔵の玉貸ボタンを押して、上皿に自動補給」ではなく、台間玉貸機にパッキー挿入後、複数ある金額ボタンのどれかを押して、筒をジャラッと押し上げて玉を借りるという、原始的なシステムだった。後に、玉貸機から上皿に直接補給する「レール」も登場。
また、パチスロのメダルをパッキーで借りるシステムも、初期段階から存在。中には、500円のボタンで25枚分だけ借りられる店もあった。因みに、カードはシマ端の券売機で購入。現在のように、座ったまま万券を突っ込む事はない。その為、ハマリ時にカードの追加購入で券売機に向かう間、「やめようかな…」と考え直すタイムラグがあった。
まぁ、パッキー導入当初はそんな感じだったから、「CRうちどめくん」などパッキー(パニー)に対応した「元祖CR機」(京楽「CRフラワーショップ」、SANKYO「CRフィーバーウィンダムI」など数機種のみ)をホールで打った時は(92年後半)、台に玉貸ボタンがあり、押せば上皿奥から玉が出る「新システム」に、少なからず「カルチャーショック」を受けた。
導入当初はイマイチ盛り上がりに欠けたCR機だが、その後、「CR花満開」(西陣、1993年)の大ヒットにより、一気に存在感を増すことになる。
因みに、CR機における玉貸ボタン1回分の玉の数は、ホール側が任意に「100円~500円」までの5種類を選べたが、実際はMAXの「500円」に設定するホールが大半だった。
なお、他メーカーのCR第一弾の多くが「現金機の焼き直し」※に近かったのに対し、本機は、過去の西陣各機種とは異なる、斬新なコンセプトを採用。それを兄弟機「パーラーキング」と「銀玉人生」が引き継いだ格好だ。
※(CRFウィンダムI(三共)⇒フィーバーマキシムシリーズ、CRミラージュナイト(三洋)⇒ミラージュなど)
さて、本機はパチンコの盤面を模した、蛍光表示管によるデジタル画面が特徴である。
これは、同社の数珠連チャン機「パーラーキング」でもお馴染みだが、登場時期は「CRうちどめくん」の方が数ヶ月前になる。
(銀玉を彷彿とさせる丸ドット、チューリップを模した4つの保留ランプ。リーチ中は、レールから玉を発射…「パーラーキング」で知られたデジタル。その本家が「うちどめくん」だ)
デジタルは、「左⇒右⇒中」の順で停止。左右テンパイでリーチとなり、中デジは「コマ送り」の要領で1コマづつ進み、最終停止の1~2コマ手前でスローに切り替わる。
また、確変図柄(3、5、7、当)でリーチが掛かった場合、通常図柄と異なり、中デジのドット図柄全体が崩れて、「銀玉がバラッと散る(銀玉親方いわく「デジタルが溶けるように」)」動きをしながら、次の図柄へ移る独特のSPアクションを見せる(CR花満開の花びらリーチのハシリ)。その為、通常のリーチアクションよりも、リーチ消費時間が長かった。確か、メーカーは、この確変リーチを「ラッキーリーチ」と命名したハズだ。即ち、通常図柄と確変図柄でリーチアクションが異なるのが、本機の大きな特性である。
さらに、パーラーキングとの違いでは、メインアタッカーのヤクモノキャラも、大いに異なった。
(アタッカー内部で構える、メインキャラ…キャラ名は、文字通り「うちどめくん」だろう)
若いようだがオヤジっぽくも見える、「年齢不詳」のコミカルなキャラが、アタッカー内で大きな「ドル箱」をにこやかに抱えていた。帽子を後ろ前にかぶり、スニーカーを履いてくわえタバコ…というスタイル。
一部攻略誌は、この帽子キャラを「カバ園長」と呼んでいた。まぁ、東武動物公園の西山園長(当時)に引っかけた訳だが、カバ園長に似ているどうかは、微妙な気がする。
また、アタッカーが、ガバッと開く「ウィング式」になっており、玉を安定して拾い易いのも特徴。但し、センサーの感知が早く、露骨に玉を拾いまくって2500発出る…という感じではない。それでも、新要件機平均の2300発は楽に超える勢いで、2400個以上稼ぐ力はあった。
因みに、コチラは「パーラーキング」のアタッカー。西陣ハネモノファンならずともお馴染みの、旧要件ハネモノ「パチンコ大賞」。あのヤクモノにいた「チョビヒゲオヤジ」(必勝ガイド誌は、彼を「トニー山田」と命名)が、実にコミカルな表情で、ドル箱に見立てたアタッカーを支えている(「銀玉人生」も同様のヤクモノだった)。
コチラのアタッカーはウィング式ではなく、オーソドックスな扉開閉式。但し、ドル箱をイメージした巨大な作りで、玉を拾い易い構造。コチラもセンサーの感知は早いが、2400個以上出る事も多い。
因みに、「CRうちどめくん」の盤面右下には、こんな「ユルキャラ」が存在(当時、ユルキャラなる言葉はないが…)。パチンコ台(CR機)をイメージした愛嬌タップリなロボキャラが、「CR」と書かれた四角いボードに乗っている。
何だか、キテレ〇大〇科の「コ〇助」にも見えるが、キャラ名は不明である(神保隊長ならば、ご存知かも…)。意味合いとしては、「CR機主導の時流に、うまく乗れ」という感じだろうか。
※※追記※※(2015.10.16)
あらためて調べ直した所、このコミカルなキャラは「CR花満開」の盤面にも描かれている事に気が付いた。つまり、「西陣CR機の象徴的キャラ」という事になる。このキャラの名前って、一体何だろうな…(情報求む)。
★銀玉親方の苦闘…
当時の「パチンコ必勝ガイド」(白夜書房)連載の人気コーナー、「銀玉親方の某月某日」。
パチプロでパチンコライターの「銀玉親方」こと山崎一夫氏が、軽快なフットワークを駆使して、喰える店、喰える台、そして新台を探し回り、行く先々で「カッぱぐ」模様を紹介する、「リアルタイム実戦記」だ。その連載で、都内の「M店」でCRうちどめくんと対戦する様子が、3号連続で紹介された事がある。
「M店」は実名を伏せてあったが、おそらく江古田の「ミナミ」と思われる。銀玉親方は、M店について「豊島区」と書いていたが、「近くに日大芸術学部がある」とも説明。日芸があるのは、練馬区の江古田である。その江古田界隈で、早くからパッキーを置いていたのが、まさに「ミナミ」であった。親方はこの当時、豊島区・東長崎の「まるみや」でもたびたび実戦していたが、コチラは当時、CR機を未設置。その東長崎と隣り合わせの江古田を、「豊島区」と錯覚して紹介したのではないか。
山崎氏は、M店で「1000円あたり38回まわる」という、甘釘のうちどめくんを発見。当時のM店は「3円交換」で、約半数がラッキーナンバー(継続可能)。最低の設定3でも十分勝負になると見て、積極的に追う事にする。実際、前半の6日間では、トータルでプラス12万と上々の滑り出しを見せた親方だが、後半はCR機の怖さ(荒さ)を知る。
前半よりもさらに甘釘で、1000円43回平均の台を見つけた親方は、目標の勝ち額を「15日でプラス15万」と設定して、ひたすら勝負に出る。しかし、立て続けに1000オーバーのハマリを喰らったり、中ハマリ後の単発が続いたり、確率通りに確変を引けなかったりで、打つ日も打つ日もサッパリ調子が出ない。結局、15日間打って「プラス58000円」と勝つには勝ったが、期待値から算出した当初の目標には、遠く及ばなかった。
当時は「常勝」で知られた銀玉親方が「ヒキ弱」に泣かされるという、この連載では珍しい展開となった。何やら、「銀玉親方のパチンコ人生」を物語るようで、当人は大変だったかもしれないが、読む側は大いに楽しめた。そういえば、本機の兄弟機は「銀玉人生」…何だか不思議な一致といえよう。
★CRうち込みくん…??
1998年(平成10年)2月に、「ネクストン」というメーカーから出たプレイステーション用ソフト、「パチンコホール 新装大開店」を、皆さん御記憶だろうか。
父親から譲り受けたパチンコ店や土地、資金を元に、新規店の立ち上げ、釘調整、新台入替、店舗拡張、株式配当、株式上場…と、次第に規模を大きくしていく、いわば「ホール経営シミュレーション」である。90年代末に地元の中古ソフト屋で買って以来、今も大事に保管してある。
まぁ、実際のホール経営とは雲泥の差があろうが、土地探しに始まり、不動産購入、店舗や駐車場の建設、消防・警察への申請(風営法、消防法等に基づき審査)、店長や主任などの選定、新機種選びに資金借り入れなど、パチンコファンなら大いに楽しめる内容となっている。
ただ、ゲーム展開が少々長いのが難点で、エンディングまでには「20年」の期間がある。途中で資金がショートしたり、借金の返済に失敗したりで、ゲームオーバーとなるケースも。年度末に莫大な税金を納めるなど、資金面の苦労が判ったりもする。最終的な経営規模(一部上場、二部上場、店頭株登録など)に応じて、複数のエンディングが用意されている(私自身、全パターンを見た訳ではないが…)。
で、この「パチンコホール~」は、新規設置用や新台入替用に、多種多様なパチンコ台、パチスロ台が登場。いずれの台もネーミングが面白く、全て実在の機種がベースになっているのだ。
SANKYOのオロチョンパは「SANSHOのケロチョンパ」、平和のダービー物語は「調和のダービー神話」、ブラボーキングダムは「ベラボークイーンダム」、ニューギンのエキサイトジャックが「ショーインのエキサイトジョーク」、「エキサイトインカジノ」が「エキサイティングアジト」、山佐のスーパープラネットが「山傘のスーパーサテライト」、大東音響のマジカルベンハーが「台頭音響のマジカルベンチャー」という具合だ。当然だが、90年代初頭~半ばに出回った台が多い。
これらの台は、初期段階で70機種以上もあり、さらに時間軸が進めば、新台も逐一登場する。新装を行う時は、どの台を入れるかによって、その後の客付きが大きく変わる為、慎重な選定が必要だ(当時の実際の人気動向が、割と参考になったりする)。
ただ、個人的好みで、「レトロ専門店」として古い台ばかり選ぶと、新装明けに閑古鳥が鳴く始末。なお、表立っては、一台ごとに細かいスペックが設定されてる訳ではない(内部的には判らないが)。
で、これらの「架空パチンコ台」の中に、明らかに「CRうちどめくん」をもじったと思われる機種がある。それが、冒頭紹介した「CRうち込みくん」だ。メーカーは西陣ならぬ「一陣」である。
その気になれば、店を「うち込みくん」一色にして、専門店にする事も可能。但し、その後の客付きは保証しないが…。
その他の「架空」CR機には、調和のCR大関(平和のCR横綱)、太一のCRビッグナランダ―X(大一のCRビッグソロッター2)、一陣のCRジョッキ(西陣のCR一気)、ショーインのCRビクトリア(ニューギンのCRビクトリー)、京極のCRフラワーランド(京楽のフラワーショップ)など、多数アリ。
ゲーム内容は案外と充実しているので(個人的感想だが)、「長期拘束」される覚悟のある方は、中古ソフトを探してみては如何だろうか。