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トリプルエース(ニューギン・3回権利物)

2015-05-08 01:17:37 | 権利モノ



1992年(平成4年)1月にニューギンから登場した、新要件・3回権利物「トリプルエース」



★3ケタドットデジタル

★賞球…7&9&15

★大当り確率…1/320(高確率中は1/32にアップ)

★図柄…左デジタル=「7、¥、?、3、$」  中・右デジタル=「7、¥、ロ、?、〇、3、X、$」

★大当りパターン…777、¥¥¥、???、333、$$$の計5通り

★出玉…約6000発(釘次第で変動アリ)



1991年(平成3年)の新要件時代に入り、それまで黙認されていた一発台の撤去が本格化すると、大量獲得が可能な「ポスト一発台」として、(新要件)権利物のリリースが相次いだ。
(アメリカンドリームやフルーツパンチ、アニバーサリーなどの「一般電役」も重宝されたが。)

これは、内規変更で、いわゆる権利物の「確率変動」が認められた事によるが、大半のメーカーは、変動を「プラス1回」と解釈した為、当初は「2回権利」タイプしか市場に出回らなかった。したがって、出玉的にも「4000発~4500発」が妥当な線となっていた。

ただ、内規を読むと、「プラス2回の変動を禁止」するという、積極的な記載はなかった。これを「都合よく」解釈した平和は、91年6月に「エポック」という新要件初の3回権利物を登場させる。2回権利が当然とされる中、まさに「コロンブスの卵」といった感じで、他社を驚かせた。

当然、他社も「3回権利」で対抗したいと考えたが、当局としては、ギャンブル性の高い一発台を排除した手前、一撃6000発という荒波の権利物が、多く出回るのを好まなかった。そこで、とりあえず「各社1機種」に限って、3回権利物のリリースを認める事とした。

これを受けて、大同「エトワールDI」(91年12月)、京楽「ラッキーベア」(同)、三共「エトワールI」(92年1月)、藤商事「スキップボール」(同)、西陣「ガンショット」(92年2月)、奥村「スーパースター」(同)、豊丸「ダウンタウン」(同)など、各社こぞって3回権利タイプを送り出した。やがて、「1社1機種のみ」の規制も解除となり、出玉感のある3回権利モノは、さらに存在感を増した。


本機は、そうした3回権利の草創期(92年1月)に登場。「ニューギン初の3回権利物」である。

後の「カーニバル」(92年8月)→「カルメン」(93年5月)→「トリオ」※(93年11月)→「キューティーバニー」(94年2月)といった「ニューギン3回権利物旋風」に先鞭をつけた、記念碑的な台といえる。

※「トリオ」は変則3回権利物(3・7揃いで3回権利、1・5・9揃いで2回、その他は1回)


新要件のニューギン権利物といえば、第1弾が「ダブルエース」(2回権利、1991年)。7セグデジタル(一発台「タイムトラベル」の流用)と回転盤の、2段階振り分けを採用。デジタル確率は1/80と甘めだが、その分、回転体で弾かれるケースも多かった。続く第2弾が「ミルキーエース」(2回権利、1991年)。1/20のデジタルに加えて、内外2つの回転体振り分けがあったが、止め打ちで回転体の当り穴を狙う「技」があった。そして、ニューギン権利物第3弾は「ツインズ」(2回権利、1991年)。コチラも一応2クッションだが、実際は3ケタドットが揃えば、ほぼ確実に権利発生となった。


そして、その「ツインズ」の3回権利版として登場したのが本機だ。「3ケタドット」と「お飾り役物」という二段構えの構造は、ツインズと同じ。但し、名称的には、ダブルエース→ミルキーエースと続く「エース」の名を、こちらが継承している。

但し、メインデジタルの位置は、センター下部から盤面左へと移った。ちょうど、前年に人気を博した三洋の2回権利物「スーパースリー」とよく似た配置で、スーパースリー好きだった私は、好印象を持った。

また、始動チャッカーの配置も、前3機種が全て「左右オトシ」だったのに対し、本機は左袖(デジタル真下)の1か所のみとなった。また、本機のチャッカーは「GO」と書かれた通過式(スルー)で、戻り玉はなかった。当然、投資もかさみがちだったが、スルー下の賞球口の調整が甘いと、玉持ちに貢献した。また、変則的な位置にチャッカーがある為、あまり回らない台でも、ストロークを弱めに変えた途端、ブン回ったりもした。


デジタルは、左が5種類(7、¥、?、3、$)で、これらの3つ揃いが大当りとなる。ツインズは「0~9」とオールマイティ図柄(タコ)だったので、図柄の数は大幅に減った(本機にオールマイティはない)。但し、中・右デジタルには、ハズレ図柄(ロ、〇、X)も配されている。

デジタル停止順は、「左→中→右」。左・中テンパイでリーチだが、本機にSPリーチの類はなく、右デジは1~3周程度でランダムに停止。デジタル確率は1/320

★大当り抽選方式
2段階判定を採用(一次抽選…1/10、二次抽選…1/32
一次抽選のタイミングは「始動チャッカー入賞の瞬間」だが、二次抽選は「左デジタルが高速回転からスローになる直前」に行われる。即ち、一次・二次の判定タイミングが異なる。なお、2、3回目の権利中は、1次抽選がフリーパスとなる為、1/32と高確率になる。


デジタルが揃うと、天下の電チューが約6秒開放。ここでは、ほぼ確実に電チュー下のヤクモノに1個貯留→V入賞となり、権利が発生する。この流れもツインズと一緒だ。まぁ、デジタルさえ揃えば、権利は約束されたようなものである。


権利発生後は右打ち。センター下段の「START」チャッカー入賞で、その上のアタッカーが9.9秒開放。但し、本機は回転体を使用しておらず、チャッカーに連続入賞すると、ラウンドロス(出玉減)が起こる。これを防ぐ為、単発打ちでチャッカーに入れると効果的とされた。

1回目の権利終了後は通常打ちに戻し、再びデジタルを揃える。2,3回目の権利中、デジタル確率は1/32と10倍アップしており、デジタルを揃え易い。3回権利で、出玉は約6000発(権利中のハマリ具合で変化)。

ただ、ヒキが弱いと、高確率中でも100回~150回程度はハマる事があった。因みに、当時の「攻略M」誌では、実戦スタッフが2回目権利時に「487回」もハマって(結局当らず、店員がVに手入れ)、続く3回目も150回ハマリ(またも店員が手入れでサポート)、都合「637回」の大ハマリを喰らった。
よほど頭に来たのか、同誌は「臨時掲載・怒りと悲しみのトリプルエース」という特別記事を載せた(1/32のデジタルを637回も外し続けた事に、「フザけるな!」「正規の基板がぶっ壊れた」「裏基板」と、盛んにボヤいていた)。




個人的な初打ちは、向ヶ丘遊園北口の「ニューギンザ」(「ダブルエース」もここが初打ち)。相性は良かったと思う。新装時から頻繁に追った為、甘釘台に座る機会も多く、好結果につながったのだろう。

当時のマイホだった新宿駅周辺でも、ある時期から立て続けに本機が入り、新装で打つ機会も多かった。等価の「日拓II」は、一発当てれば「24000円」の割に、デジタルの回りは良かった。うなぎの寝床のような地下ホール「747」は、すでに客が飛んでガラガラだったが、新装からしばらくは釘を締めず、個人的にオイシイ状況だった。他にも、東口・スタジオアルタ裏の「モナコ」、中央東口の「メトロ」など、本機で勝たせてもらった店は多い。そうそう、ちょうどスロの「アポロン」でも、歌舞伎町のNチェーンを舞台に、「ハイエナ全開」で結果を出していた頃だ。

因みに、新台時期、某・攻略誌が、本機の大当り確率を「1/360」と紹介していて、「幾ら大量出玉とはいえ、ずいぶんと辛い台だなぁ」と思っていた。しかし、実際打つと、そこまでキツイ印象はなく、その後、「1/360」は完全な誤りだと判った。



2 コメント

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Unknown (くりくり)
2015-05-09 18:07:10
ブログいつも楽しく拝見しております。

当時私が住んでいた島根県出雲市及び江戸川区葛西においても設置が多く、たま~に打っていました。ツインズにあったスーパーリーチがないのが個人的には残念でした。また、当時当機は一回交換で営業されていることが、多かったように思います。そのため私の中でトリプルエースのシマは朝から腰を据えて打つというよりも敗けているときの閉店間際、もしくは軍資金が尽きる前の所謂象の墓場的シマでした(笑)よってたま~にしか打ちませんでした。
結構相性が良くてこの台には大逆転なんかも何度か経験させていただいたんですけどね。
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Unknown (焼きそば)
2015-05-08 10:21:31
大当たり確率が360分の1ではなかったことを初めて知りました・・・ずっと360分の1と思っていました。
そのせいか分かりませんが、とにかく当たらなかった印象が強いですね。

ニューギンの、ドット表示権利物はどれも好きでした。初めて打ったのはツインズ。一番打ったのはカーニバルです。一発逆転でカルメンもよく打ちました。大きい上皿に、固定しにくいスカスカなハンドルでしたね。キューティーバニーが登場してから、なぜだか夢中にはなれませんでしたね~・・・・出玉は多かったんだけど
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