これは、過日、東京・浅草の某所を訪れた時に撮った画像である。
入口に自転車・バイクが雑然と置かれたオンボロビル。薄汚れた外観からは、長い事シャッターが閉まりっぱなしであろう事が窺える。
当然、ビルの中には誰もいない。いたとしても、寒さを凌ぐホームレスぐらいか。
しかし、今から22年ほど前、このビルの1Fでは、こういった方々が元気に動き回っていた。
東京・浅草のパチスロ店「浅草国際ゲームセンターPART3」の女性スタッフ(1990年)。
ヒョウ柄のボディコン店員が、ビッグボーナス中の客をマイクで煽る。そして、景品カウンターに立つのは、ウサ耳を付けたバニー姿のピチピチギャル(死語)。目のやり場に困るほど過激な光景があった。
「設定なんか関係ない、俺はボディコン娘に逢いに行くんだ!」と、遠路はるばる訪れ、鼻の下を伸ばしていたら返り討ちにあった…なんて思い出を持つ人もいるだろう。
実際、この写真の時期には、オリンピアの2号機「バニーガール」が置いてあった。バニーを打って、バニーの祝福を受ける…まさにベストマッチな設置機種といえる。
この店の特徴は、ボディコン店員の他にも色々とあって、中央のカジノチックな円形シマ、当時としては珍しい大型TVモニター(37インチ)、そして店長が現役の女優さんと、珍しい事づくめだった。
攻略誌主催の「パチスロ設定6大会」や「レディース大会」など、各種イベントも繰り返し開催された。日本テレビの深夜バラエティ「DAISUKI」で、まだ吉村明宏がMCの頃に「パチスロ対決」が行われた記憶もある。
さらに、1991年には、当時パチンコ・パチスロ好きで知られた杉作J太郎氏が、異色のパチスロビデオ「パチスロ電撃作戦」を監修。この企画で、蛭子能収、セブン先生、ストロング金剛、けーすけ、水鳥川彩(ピンク女優)といったマニアックな有名人が「パチスロ勝負」を繰り広げたのも浅草国際パート3だ。当時の設置台は、コンチネンタルとコンチネンタル3(緑パネル)。
このように、一時は大変な盛り上がりを見せていた店も、いつしか客足が遠のき「ビート会館」という店に代わった。その後、完全閉店と相成った訳だが、「夏草や 兵(つわもの)どもが 夢の跡」という芭蕉の句が思い浮かぶ。
因みに、浅草国際パート3は裏通りのパチスロ店。一方、メインストリートの国際通りには、「浅草国際パート1」「パート2」という系列店が営業していた。こちらでも、かつてはバニー姿のカウンターレディなどが頑張っていた。
(1994年当時、「浅草国際パート1」のカウンターレディ)