まにあっく懐パチ・懐スロ

古いパチンコ・パチスロ、思い出のパチンコ店を懐古する
(90年代のパチンコ・パチスロ情報がメイン)

ジェットライン(西陣、一発台)

2013-01-23 22:55:48 | 一発台

平成元年(1989年)に西陣から登場した一発台の名機「ジェットライン」

★賞球オール13

 

(ゲーム性について)

天下に一つ穴クルーン、その下に回転体付きの振分けヤクモノ。

ゲージによるガードをかいくぐり、クルーン上の命釘を抜けた玉は、クルーン内を回って下段ヤクモノに入賞する。下段ヤクモノ内部では、奥村「ミルキーウェイ」を思わせる突起の付いた回転体が、時計回りに動いている。

玉は、回転体の突起をかいくぐって手前へと向かう。ヤクモノ手前側には、左・中・右と三つの「仕切り穴」があり、左の穴(中央ではない)に入賞すれば、大当りとなる。後は右打ちで予定終了まで消化すればOK。

 

…とまぁ、サラッと書いてはいるが、大当りまでの道のりは容易ではない。命釘に玉を通すのも一苦労だったし、勢いよく左から飛びこんだ玉が、そのままクルーン上の命釘を通過して、右側に抜けて唖然とした経験もある。

また、下段の回転体ヤクモノも、仕切り穴手前に付いた「出っ張り」や、仕切りの傾斜など、左穴に入らない為の様々な「仕掛け」が施されていた。その為、振り分け率は1/3を大きく下回り(台のクセにもよる)、「慣性の法則」を盲信すると痛い目に遭う。せっかくヤクモノにポンポン飛びこんだのに、振分けで連続ハズレを喰らい、あえなく資金切れでギブアップした辛い思い出も多い。

なお、本機を撮影した貴重な動画が、現在youtube上に解説付きでアップされている。ヤクモノの詳細な構造など、是非そちらで確認されたい(リンクは自重させて頂く)。 


 

本機は、1990年当時、川崎・登戸駅そばの「玉の家」という小さなパチ屋で打った。まだ大学1年で財布の中身もおぼつかない時期、「当たるまで追いかける」など到底出来なかったが、「3000円限定勝負」のようなショボイ立ち回りで、たまに大当りを出して喜んだものだ。

(在りし日の「玉の家」。隣の立ち食いそば「橘」にも、良く立ち寄った。天ぷらうどんに、カゴに入った大量のネギを「ガバッ」と入れて…)

※追記…重要なジェットライン設置店を忘れていた。新宿・歌舞伎町の「ラスベガス」(閉店)である。この店には、よく瑞穂の2-1号機「ファイアーバードEX」を打ちに行ったが、通い始めの頃、確かにジェットラインのシマがあった。ただ、この店では2,3度しかジェットラインを打った記憶がなく、大当りもしていない。

 (追記終わり)

 

当時、一発台を置く店では、デジパチやハネモノと違い、「各店舗1~3機種」という具合に、一店舗当りの機種が少ないのが普通だった。これは、パチスロの設置にも当てはまる。もちろん、機種の豊富さをウリにする店もあったが…。

その為、1機種限定で一発台を設置する店も多く、「この店には、この一発台」といった、明確なカラーが存在した。もちろん、デジパチやハネモノにの設置にも、店毎の個性はあった。ともかく、パチ屋の「ハシゴ」が、大変楽しい時代だったといえる。

 

当時、一発台をよく打ちに行ったホール(小田急、山手線沿線)

百合ヶ丘…「パーラー百合ヶ丘」⇒ワイワイワイ2(太陽電子、アレパチ)、サーカス(平和)

読売ランド前…「パチンコランド」⇒ベータ(ニューギン)

向ヶ丘遊園…「スター」⇒シャトル21(藤商事、アレパチ)、「銀座ホール」⇒キャラバン(マルホン)、ファミリー(大一)、ジャスティ(西陣)、「ニューギンザ」⇒ジャスティ、ビッグポーター(マルホン)、ターゲットI(三共)

登戸…「玉の家」⇒ジェットライン(西陣)、「いろは」⇒タンブラーA(京楽)、「ハトヤ」⇒ジャスティ

新宿…「モナコ」(アルタ裏)⇒ワイワイワイ2、「モナミ」(歌舞伎町)⇒フェアリー(京楽)、「ニューセブン」(モナミ隣)⇒ミュージック(マルホン)、「パチンコ747」(地下ホール)⇒メガトロン(藤商事)、ベータ

新大久保…「サンキン」⇒スターライトI(三共)

高田馬場…「ダイナム」⇒メガトロン、サイクロン(平和)、「東陽会館」⇒ターゲットI、「日拓」(1F)…ベータ

 

やはり、実際に打った一発台とホールは、記憶がワンセットで繋がっている。もちろん、自分が打たなかった台が記載漏れの可能性も、大いにある。これらの店は、全て当時の通学路にあったが、「ぶらり途中下車・一発台の旅」を存分に楽しめた事は、いうまでもない。


  

さて、ジェットラインというと、故・「田山幸憲」プロが、1989年~1990年に池袋の「S店」(山楽)で追っていた台としても知られる。

 

(池袋・西口「山楽」…現在、跡地では「ガイア」が営業)

 

当時、ビッグシューター、(スーパー)レーシング、ローリングマシーン、ザ・拳法、パチンコ大賞、ウチのポチなど、ハネモノをメインに立ち回っていた田山プロ。

だが、展開が思わしくない時など、文字通り「一発逆転」を賭して、ジェットラインのシマに向かう事があった。

必勝ガイド連載の「パチプロ日記」(平成元年12月23日の項)には、「(午後)一時、とうとう玉が無くなり、頭にきて一発台へ。あれは『ジェットライン』とか言うらしい。その183番に座ったら、何と二百円で入ってしまった。この間もそうだった。」とある。

パチプロ日記で最初に「ジェットライン」という機種名が出てくるのが、おそらくこの部分ではないか。当初は、あまり機種名を意識していなかった事が窺われる。

一発台について、田山プロは当初「僕さ、去年から一発台を何回かやってるんだけどアレは人間をダメにするね。やっぱりやるもんじゃないよ。ヤメ。店側だって、一発台は娯楽としてのパチンコとはみなしてやしないよ。単なるギャンブル。」(必勝ガイド90年3月号)と、否定的な考えを述べていた。

しかし、その後もS店でジェットラインの「一発」に助けられる機会が、何度もあった田山プロ。翌月号の収支欄の下には、「もう決して一発台の悪口はいいません」という一文が添えられている(笑)。おそらく、これは当時の編集者による「茶化し」だと思うが…。

かくして、一発台ジェットラインは、田山プロ「お得意」の機種となり、収支にも大きく貢献した。日記では、よくヤクモノに飛びこむ台を「抜けがいい」と表現しており、上段クルーン上の命釘のことを、その形状から「首っ玉」とも呼んでいる。

また、「ジェットラインのヤクモノ振り分け率は1/7」とスエイ編集長(当時)から聞いたが、自分の実戦では1/3で当っていて何か変だ、というくだりもある(必勝ガイド90年6月号・欄外)。

ただ、これは帳尻が合わされたようで、「いやあ、まいっちゃったよ。こないだ2日かけて、連続12発ハズレ。おかげさまで2連敗(笑)」と、ヤクモノに嫌われた事を告白している(必勝ガイド90年7月号「居酒屋無駄話」)。

当時の逸話には、こんなものもある。田山プロが、気になっていたジェットライン(177番台)に4000円突っ込んだが当らずヤメ、腹が減ったので帰りにざるそばを食べた。すると、「腹が収まったら、腹の虫が収まらなくなった」(こういう気の利いた表現も、田山プロの才能であろう。)ので、再びS店の177番台に戻ると、300円で左端に飛びこんだ上、次も2300円で当りが来て、見事に大勝ちした。

 

総じて、ジェットラインと相性が良かったように思える田山プロ。しかし、ジェットラインと接する時の田山プロは、「悪運が強い」「マグレ」「一発台の誘惑に負ける」「一発台病に取りつかれて」「ヤケクソになって」といった、ネガティブな表現を用いる事も多く、ギャンブル台で稼ぐことが本意でないような印象も受ける。また、ハネモノで悪い展開を喰らった後、「頭にきて」「憮然として」といった気持ちで、ジェットラインのシマに向かうパターンも、日記では多くみられる。

 

当時の日記によれば、S店からジェットラインが外されたのは、90年9月25日。新台入替で、ジェットラインに代わって、同じ西陣の「ジャスティ」が入った。この「ジャスティ」時代のS店は、私も訪れたことがある。残念ながら、田山プロ本人には出会えなかったが…。予想していたよりも、店内が小奇麗だったのが印象的だ。パチスロシマには「リバティベルIV」が置いてあった。

ジェットラインがS店から無くなった事について、田山氏は「ジェットラインが消えたのは、少し寂しい気がする。喜んだり悲しんだり、青くなったり赤くなったりして、あの台には結構楽しませてもらった。これを機会に足を洗おうか…?いや、いや、そうと決める必要もなかろう。パチンコなんて所詮は成り行き任せなのだから。いずれにしても、さらばジェットラインよ。」と感慨深く語っている(必勝ガイド90年12月号より)。

 

★追記1

「玉の家」2階カウンターから裏口階段を降りて、左側の換金所方面にあるスロ専は「ニューハトヤ」です。沖スロのシオサイ30を追いかけたのがこの店でした。また、駅前には「ラック」というスロ専もありました(2号機、3号機時代に「バニーガール」「ドリームセブンJr」を設置)。

ちなみに、玉の家の階段を降りて右側に行くと、ハトヤの2階に「スロットハトヤ」があり(現存)、その先の右側には「ミツワ」(閉店)という小さなスロ屋もありました。

★追記2

ジェットラインの「カマシ上げ」についてコメントを頂いたので、補足情報を。当時、この技についてガイド誌などで語っていたのが「銀玉親方」こと山崎一夫氏です。ヤクモノの玉を左穴に入れる為に、ハンドルをグイッと持ち上げて、台を左に傾斜させる(揺らす)というもの。

当時の銀玉親方の話「これはカマシアゲって言うんだけどね。開店プロの連中なんか、あからさまに席を立って腰を入れて、両手でグイって持ち上げているのがいるよ。ぼくはそこまでやんないけどね。台の下に大きめの鍵なんかはさんでおいて、テコの原理を利用してカマシアゲルと、楽かもしれないね」(末井昭・著「パチプロ編集長」より)



4 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
Unknown (あなろぐ)
2013-01-23 23:43:37
玉の家、、懐かしい‥二階がスロットと景品カウンターでしたっけ??奥の裏階段から換金所まで歩き、換金後そのままスロット専門店(名前失念)でハシゴってパターンでした‥
勿論勝っても負けてもネギ入れ放題の立ち食いそば屋は欠かせませんでしたが・・・

田山氏の日記のジェットラインとはこんな台だったんですね、、
日記でよく名前に聞き覚えはありましたが、もう記憶があやふやで・・・(~_~;)
氏が打っていた台を特集してくれると有り難いですよ(笑)
返信する
当時の雑誌 (たろへい)
2013-01-24 15:50:33
ジェットラインはカマシ上げ!?とか、雑誌に掲載されていたと思う。
実際にO沿線M田D店でハンドル折れる程持ち上げてる人いたよ(笑)

ラスベガスにあったのは覚えてないな~
返信する
Unknown (公営)
2013-01-29 14:33:35
玉の屋・・・懐かしいⅡです。
2階のトイレは今では考えられない男女共用の
和式でしたね。
スロット専門店は玉の屋のスロ選の「ラック」ではないでしょうか??
良く写真ありましたね!!
返信する
はじめまして! (はまち)
2014-02-10 11:48:25
玉の家は
川崎在住時代に母と自分が根城にしてた店でした。

ジェットラインの初回大当たりの5000発がうれしい店でもありました。
※2回目以降は4000発
自分も振り分けは3分の1くらいで落ち着きました(笑)

あとは、ファンキー7と、その後釜に入ったFスパークEDを
よくやりました。

そういえば、ジェットラインとジャスティは
93年4月にすべてラプソディになってしまいましたね・・・
あれはあれで、銀座スターで”77”を2回出してしまった伝説の台でもありますが(^_^;)

登戸・遊園周辺の懐かしい話は
当方ももっと聞きたいですねぇ(笑)

楽しみにしています!
返信する