1992年(平成4年)に奥村遊機から登場した新要件デジパチ「ニュードリームGX」
★賞球:7&15
★大当り確率:1/220
★大当り出玉:約2300個
★大当り絵柄:0~9、¥、$、V(計13種類)
★兄弟機に「ニュードリーム」(賞球6&12、出玉1900個の無制限用。確率・絵柄は共通。)
★意図的な連チャン性:全くなし
★当時のカタログの表紙は、何故か「スペースシャトル」の打ち上げシーン。
本機との初対面は、新宿西口・大ガード近くのホール「ニューミヤコセンター」(現・カレイド)。
ニューミヤコの正面看板。普通機(チューリップ台)の釘が甘かった事を思い出す。右隣りには、ゲームセンター「ワールドゲーム・ミヤコ」。
夜になると、「パチンコ」「ミヤコ」のネオンサインと丸いネオン管が、赤や黄色に変化。入口は狭いが、中に入ると意外な程に広かった。景品が豊富に揃っていた事でも有名。かつて、必勝ガイド誌のスエイ編集長が、三共のデジパチ「フィーバーアバンテVII」を打ちに通った店でもある。
この「ニューミヤコ」の広くて長いシマ通路を歩いていると、見覚えのあるドットデジタルが偶然目に入った。かの名機「ドリームX」を彷彿とさせる赤いドットマトリックスだ。盤面にも「DREAM」というロゴが入っていたので、「ドリームXのリメイクではないか?」と直感した。
(奥村「ドリームX」…パチンコを覚えたての時期にハマりまくった、思い出の機種。)
「ニュードリームGX」は新要件機なので、往年の「オマケチャッカー」は付いていない。それでも、大好きだったドリームXの香ばしいデジタルの動きを味わえるなら、こんな嬉しい事はない。
という事で、さっそく席に着いて期待タップリに打ち始めたのだが…どうも様子がおかしい。
まず、デジタル部分の装飾が、あまりに違い過ぎるのだ。
画像からも判る通り、ドリームXの場合、左・中・右の各デジタルが、それぞれ独立した「箱」に入っている。デジタルとデジタルがキチンと仕切られていてこそ、名機ドリームXの懐かしい雰囲気が出るはずだ。
ところが、ニュードリームGXのデジタルには、そのような「仕切り」がなかった。一応、各デジタルの間には僅かな隙間があったが、ほとんど目立たないので一体型デジタルにしか見えない。これでは、ドリームXというより、「マーブルX」のデジタルを小さくしたようなものだ。
また、ドリームXで好みだった「Fv」や「果物(リンゴ)」の出目が無いのも、大きなマイナスだと感じた。なぜ、ああいった香ばしい出目を不採用にしたのか…(この理由は、後に明らかになる⇒後述)。マーブルX以降消えていた「V」絵柄が復活したのは、評価出来た。
さらに、リーチアクションにも目一杯の違和感を覚えた。
ドリームXでは、左・中デジタルがゾロ目になると、「ピュルルルルル、ピュルルルルル、ピュルルルルル…」という甲高い電子音と共に、右デジタルがスロー回転する。そして、リーチが外れると「ボワボワボワボワ」というハズレ音が鳴り、大当りすると派手なファンファーレが打ち手を祝福した。私は、これら一連の演出に、非常に愛着があったのだ。
何より、リーチ時の右デジタルの移行コマ数が不変で、大当りの「先読み」が出来る事が嬉しかった。右デジタルがスローになった瞬間の目を見極めれば、人より先に大当りの判別ができた訳だ(中デジでも、リーチ判別が可能)。これは、ドリームXにおける大きな楽しみだった。
が、ニュードリームGXの場合、リーチ時に右デジが進むコマ数は一定ではなかった。ドリームXを打ち込んだ人間にとって、この違いはあまりにも大きい。もちろん、右デジの動きがランダムであれば、常にリーチに期待を持てるメリットはある。しかし、ドリームXの最も「肝」(きも)となるリーチ演出が味わえないのでは、全く意味がない。
そんな訳で、最初の期待もむなしく、打ち始めから30分もしないうちに、ガッカリ感だけが残り席を立った。ドリームXとの「邂逅」は、残念ながら叶わなかった。
その後、ニューミヤコで本機を打つ機会が何度かあり、大当りも数回経験したものの、インパクトが弱過ぎて、ドリームXで味わったような感動はなかった。
結局、あまり打ち込むことがないまま、本機は早々に新台と入替えられてしまった。
さて、この話には「オチ」が付く。
この「ニュードリームGX」、実はドリームXのリメイクではない事を知ったのは、その後だ。
実は、本機のモチーフとなったのは、「ドリームW」の方であった。
「W」は、関西では主流だったものの、関東人の私には、当時ほとんど馴染みがなかった。
リーチ時に右デジタルがランダムに動くのも、出目に「Fv」や「リンゴ」がないのも、全ては「W」を意識した造りだった訳だ。ただ、「X」一辺倒の私が、当時その事に気付く筈もなかった。
とまぁ、久しぶりに振り返った本機は、あまり自分にとって「出来の良い台」ではなかった。
ただ、今となっては、細かいデジタルの動きやBGMなど、もっと記憶に焼き付けておくべきだったと、後悔の念も少なからずある。