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ニューヨーカー(平和、新要件ハネモノ)での葛藤

2013-06-07 18:14:22 | ハネモノ
 
ニューヨーカー(平和・ハネモノ)
1991年(平成3年)登場の新要件ハネモノ「ニューヨーカー」(平和)賞球…7&15最高継続回数…15ラウンド平均出玉&a...
 

http://blog.goo.ne.jp/selfconfide777mc/e/8cabdba02bdd246492bd90f6ebafb1f9

 

以前の記事(上記リンク参照)でも取り上げた、平和の新要件ハネモノ「ニューヨーカー」(1991年)。

この「爆裂台」と対峙している時、いつも一つの「選択」に迫られていた事を思い出す。


ニューヨーカーを黙々と打つオッさんの図(1992年)

 

それは、大当りが完走した後に「このまま続行するか、即ヤメするか」という事である。

まぁ、これは、ニュートキオ、サンダードラゴンGP、ニューモンローなど、当時の大量獲得ハネモノ全般にいえる事だが…完走率が極めて高いニューヨーカーでは、特にそう感じた。

 

大量出玉型のニューヨーカーで1回当てれば、15R継続で出玉約1900個とデカい。しかも、ほぼ確実に最後まで完走してくれるが、その1回の初当りを手にするのが大変だった。

今出たばかりの2000個弱を即・換金するか、もう一度当てて打止の3500コ(←店によって違う。4000定量、3000定量など)まで持っていくか…。バイト料頼みのマルビ(←死語)学生にとっては、けっこう重要な選択となった。

 

なんせ、ニューヨーカーといえば、オトシ(1チャッカー)入賞時のハネ開閉時間が、たったの0.2秒である。玉の発射間隔は0.6秒(1分に100発)だから、この「0.2秒」がいかに一瞬か分かるだろう。まばたきしているうちに開閉が終わっている感じで(それはオーバーかw)、玉を役物に入れるのが大変だった。なお、ヘソ(2チャッカー)入賞時は、0.5秒×2回のハネ開放がある(これも短めの部類に入る)。

 

さらに、役物の「自由の女神」の足元に玉を通し、手前Vゾーンに入れるのも一苦労である。

役物の女神は、常に反時計方向にクルクルと回っており、足元の台座には玉が1コ通過できる「トンネル」がある。

回転中の女神は、正面或いは真後ろを向いた時、ほんの一瞬だけピタリと停止する。足元のトンネルも、その瞬間だけは正面を向いて止まる訳だ。ハネに拾われた玉が、この僅かな瞬間にトンネルをくぐり抜ければ、手前にあるVゾーンへ入賞するチャンスだったが、トンネルの静止時間があまりに短く、まさしく「狭き門」であった。

 

一方、大当り中は女神が回転を止め、トンネル内に玉を3個まで貯留して、10カウントor18回ハネ開閉後に貯留解除となる。貯留玉以外でのV継続は難しいのだが、貯留した玉は解除後ほぼ確実にVに入る。ひとたび当れば非常に安定感があり、パンクの心配はほとんどなかった。

ただ、苦労したVで2000個弱の玉を出したとしても、欲を出して続行すると「全飲マレ」となる可能性も高かった。もちろん、次の当りがすぐに来れば、2回権利物と同程度の出玉4000個が確保できる訳だが、「押すか引くか」の難しい選択に迫られて葛藤した。釘がハッキリ甘い台なら粘る気も起きるのだが、微妙な調整だと判断に困った。

ただ、嬉しい事に、ニューヨーカーには「連チャン」のチャンスがあった。初回~最終15Rの全ラウンドでチャンスがあり、貯留解除の瞬間にスタートチャッカーへの入賞があれば、その時点でダブル(再び1Rに戻る)が確定したのだ。前半ダブルは勿体ない気もしたが、運よく連チャンがループしたり、大当り後半のラウンドでダブれば、打ち止めまで一直線となる。この時ばかりは、ヤメ時を悩む必要もなく、安心して終了させることが出来た。ただ、明らかに5000個以上が確定するケースで、大当り途中で店員に「終了でーす」などと言われると、無性に腹が立ったが…。

 

こんな感じで、一喜一憂しつつニューヨーカーを楽しんだのが、当時の地元にあったL店(現存)や、都電・早稲田駅近くの「三光堂」(閉店、現在「パイナップル」が営業)などである。


(在りし日の三光堂…新目白通り沿い)

 
(三光堂の広告…1992年の大学祭パンフレットより。2階の雀荘「桔梗」も懐かしいな…)

 

三光堂のニューヨーカーは4000発終了(2.5円)だったので、打ち止めまで行けば1万円が手に入った。一方、即ヤメでも5000円ゲットなので、続行かヤメの判断によく悩まされた。

明らかに釘がアイている台でも、タイミングが悪いとVに全然入らず、結局はドル箱と財布をスッカラカンにして寂しく店を出る。逆に、釘がショボイ台でも、嘘みたいに早い当りが続き、アッサリ予定終了となる。ハッキリ言って、運任せの部分も少なくなかったが、いかにも「ギャンブル台」という感じでアツくなる事も多かった。

早稲田の三光堂は、換金所が少し変わっている事でも知られた。 店を出て、少し歩いた裏路地の長屋通りに古臭い民家があり、入口の土間を上がった所にお婆さんが座っていて、一人で換金に応じていた。換金用のお金も金庫などには入れず、小さなタンス風の引き出しにお札が入っており、その隣に小銭の入った箱があった。何だか強盗に襲われそうな場所だったが、事件が起きたなどという話は、一度も聞いたことがない。あの狭い路地は、今とは違って時間がゆっくり流れていた気もする。

三光堂で勝つと、そのまま道路向いの早稲田営業所から新宿西口行きバスに乗り、歌舞伎町停留所で降りて、日拓村やコマ劇付近で新たな「勝負」をする。或いは、一度大学近くに戻って空腹を満たした後、高田馬場まで出てやっぱりパチる…なんて事をやっていた。

新目白通り「花月」の坦々麺、大隈通り「浅野屋」のカツ丼にもりそば、「葉隠」の野菜タップリ焼きそば、南門通り「稲穂」のタンメン、「ほづみ」の麦飯付きラーメン、「三朝庵」のもりそば、西門「三品」の牛めし、同じく西門「珍味」のラーメン&から揚げセット、地下鉄入口近く「メルシー」のラーメン、早稲田通り「源兵衛」のオムライス…どれも若き日の胃袋を満たした「思い出の味」。メニューもそうだが、個性的な店主やオバちゃんがいて、どこかホッとする店だった。もうしばらく食べてないが、今も元気でやっているだろうか…。