俳優、阿藤快(本名・公一)さんが、今月14日、都内の自宅で病死された。
死因は、「大動脈破裂・胸腔(きょうくう)内出血」とのこと。
偶然にも、11月14日は阿藤さんの69回目の誕生日だった。
つい最近まで、TVで拝見する機会も多かった阿藤さん。事実、亡くなる直前まで、舞台や映画の仕事を精力的に行っていたという。
ただ、背中の痛みなど、体調の悪さを漏らす事もあったとか。
名優の突然の逝去に際し、驚きと共に、深い悲しみを禁じ得ない。
阿藤さんは、数々のTVドラマや映画で、記憶に残る「バイプレイヤー」として知られた。かつての人気ドラマでは、武田鉄矢「金八先生」の強面ヤクザ役などが有名。その後も、田原俊彦「教師びんびん物語シリーズ」の教頭(御前崎=「教師びんびんI」)や同僚教師(長曽我部=「教師びんびんII」)、中山秀征「静かなるドン」の世話役・猪首硬四郎などを好演。「強面で、ちょっとコミカルな人情家」を演じさせれば、見事にハマった。体や顔も大きかったが、それ以上に大きな存在感を見せた。
また、テレビ東京の「いい旅・夢気分」や、日本テレビ「ぶらり途中下車の旅」といった、数々の旅番組にも出演。自然体で、誰とでもざっくばらんに接する阿藤さんの優しい人柄が、画面からジンワリと滲み出ていた。まさに、「旅人・阿藤快」は、阿藤さんのライフワークだった。さらに、グルメリポートなどにも定評があった。口癖の「何だかなぁ~」が、お茶の間を和ませた。
ところで、阿藤さんといえば、90年代、「パチンコ好き芸能人」の代名詞的な存在でもあった。
年末・年始の特番で「芸能人パチンコ大会」があると、ちょくちょく阿藤さんは顔を出していた。
また、90年代は、ゴールデンタイムに「パチンコ特集」をOAする事が多く、そういった特番で、現地のホールに出向いて、リポーターを務めたりもした。
もちろん90年代は、プライベートでパチンコに興じる事も多かったと聞く。
(C)テレビ東京
コチラは、1996年(平成9年)OA「TVチャンピオン・史上最強パチプロ王選手権II」(テレビ東京)で、スタジオゲストとして出演した時(この大会では、大崎一万発氏が優勝)。
「パチンコといえばこの方」のテロップが、阿藤さんとパチンコの繋がりを、如実に物語る。
そして、この番組が放映されたのが、何を隠そう、「1996年11月14日(木)」であった。
当時、人気のパチンコ企画に、記念すべき「誕生日のゲスト出演」を果たした日から数えて、ちょうど19年後の同じ日、名優・阿藤快は旅立ったのだ。何という偶然であろうか。
ただ、見方を変えれば、パチンコも「偶然の産物」。そんなパチンコをこよなく愛した、阿藤さんらしい「偶然の一致」ともいえる。
この時期、芸能界の「パチンコ好き」といえば、中村玉緒さん、蛭子能収さん、そして阿藤さんといった方々の顔が、真っ先に脳裏に浮かんだ。歌手の和田アキ子さんも、「芸能界のパチンコファン」の代表格として知られた。「いいとも青年隊」出身の久保田篤氏も、「マンション久保田」の呼び名で知られる、芸能界随一の凄腕パチンカーであった。
余談だが、パチンコと同様、阿藤さんは「競馬」も大いに好んだ(近年は、「競馬愛好家」のイメージの方が、むしろ強かった)。
なお、このOA当時は旧名「阿藤海」の名義だが、2001年に「阿藤快」と改名。改名を行った日も、やはり誕生日(そして命日)の11月14日である。
件の「TVチャンピオン」にゲスト出演した阿藤さんは、パチンコの「魅力」について、「僕は、(好きになった)台に凝るんです。台に向かって集中して、人生のように、苦労して、苦労して、フィーバーが来た時の、喜びと爽快感。『行ったー!』みたいな。騒音の中で戦うのもいいですよ。」と発言している。
この放映回では、大同の一発タイプ普通機「ミサイル7-7-6D」を使った「出玉勝負」もあった。ただ、クルーンにねじ込んだ玉が、奥のハズレ穴ばかりに落ちて、何ともイライラする展開に。そんな様子を見た阿藤さんが、思わず「僕は、ああいうのは嫌いです」と呟いたのが印象深い。振り分けタイプのアナログな権利物タイプより、「図柄が揃えば大当り」の、シンプルなデジパチタイプを好んだ事が窺える。
(同じく90年代パチンコ好き有名人だった、城南電機・宮路社長(故人)も、「デジタルやドラムがそろえば大当りという「デジパチ」以外の台では遊ばない」と、著書「パチンコ オレ流の勝ち方」の中で公言している)
それを裏付けるように、阿藤さんは、TVチャンピオン放映の2か月前、97年9月に同じテレ東でOAされた「パチンコスタジアム」(司会は、コチラもパチンコ好きで知られた斉木しげる)にもゲストで出演。勝負台のSANKYO「CRフィーバークイーンJX」(1/2確変、5回リミッター付き)を、斉木さんと肩を並べて楽しそうに打っていた。
(ロケ地は千葉市美浜区「みはま会館」→現「メガサイバー美浜店」)
(C)テレビ東京
「TVチャンピオン・史上最強パチプロ王選手権II」。スタジオに訪れたSPゲストのスエイさん(末井昭氏、「ゴンゾーロ末井」として大会に出場。「ミサイル」対決では、最初の一発で手前穴に入れて、見事に勝ち抜けた)と、和やかにトークを行う阿藤さん達。
(右端は番組MCの田中義剛。その隣は、女性MCの松本明子)。
このシーンでは、当時話題となった爆裂CR機「CR大工の源さん」の「源さん・目尻攻略法」の噂で盛り上がった。
これは、「液晶にいる源さんの顔の、向って右の目尻が太いと設定1、左右が同じなら設定2、左が太いと設定3」といった怪しげな噂が、一部で出回った事を受けたものだ。
ネタの真偽について訊かれたスエイさんは、「噂ですから、何とも言えません。信じたい人は、信じればいいと思います」とお茶を濁しつつも、「私は信じません」とキッパリ断言。阿藤さんやスタジオの笑いを誘った。
言うまでもなく、設定判別可能な「眉毛攻略法」など、存在するハズもない。目尻や黒目の形、背景の壁の継ぎ目など、液晶の一部が台毎に微妙に異なる現象は確かにあった、だが、それを「設定判別」と結び付けるのは、やはり短絡的であり、「オカルト」と言わざるを得ない。
そんな訳で、「名脇役」「旅人」として世に知られた阿藤さんだが、私にとっては、「90年代・パチンコ愛好家」としての側面も、強く印象に残っているのだ。
今まで、長い間、我々視聴者を楽しませて下さり、有難うございました。そして、本当にお疲れ様でした。どうか、ごゆっくりお休み下さい。
阿藤快さん逝去の報に接し、謹んでお悔やみ申し上げます。