ジャックは2024年11月12日火曜日のお昼過ぎ
お空へ旅立ちました。
死因は不明です。
朝の散歩まで走るほど元気でしたが
10時ころから突然苦しみだし、
病院へ着くころにはもう手遅れでした。
病院に行くことが苦手だったジャック。
子犬のころ良性の脂肪種切除の手術を受けた際、
すべて順調で退院したきたものの、家で突然傷口が開き、
タオルで抑えて高速を飛ばしまた病院へ戻るという事がありました。
その時医師は、麻酔もせずにわきの下の傷口にホチキスを打ちました。
そのときのジャックの叫び声…
それからジャックは、病院を激しく拒絶。
もともと臆病な性格だったのですが、特に病院はNGでした。
今年9月に後ろ脚の付け根を触るとキャンッということがあったので
病院へ連れて行ったのですが、激しい抵抗にあって、
レントゲンもほんのちょっとお腹が写るようなものしか撮れず
私は先生や看護士の方を噛むのでは、と心配しましたが
看護士の方からは
「嫌がっていたのですが噛むような仕草はいっさいなく、
もうずっと、やめてー!!と暴れるだけでした」
と聞いて、ひそかに涙しました。
先生からも
「もし次に検査が必要な状態になったら鎮静かけるしかないと思います」
といわれ、わたしたちの育て方の責任もあり、
そうします、と帰宅しました。
11月7日に朝まで靴下の引っ張りっこをするほど元気に楽しく過ごしていたのですが
突然、立ったまま動かなくなり数時間。
私は病院へ行くかどうか迷い、すぐに出かけられるようにして
様子を見ました。
咳があるものの、次の日には元気も戻りホッとしましたが
イヤな予感というか、不安な気持ちがあって11日の夜、
ジャックを連れずに先生の所へ相談へ行きました。
とりあえず、検査が必要な状況ではないと判断してもらい、
咳止めをもらって帰宅。
ジャックに咳止めを飲ませ就寝。いつも通りのジャックでした。
12日はいつも通り朝の散歩でウンチとおしっこをして
走るほど元気に帰宅。
ラム肉を焼いてあげると、残しました。
あ、やはり調子悪いな、と思って様子を見ましたが
10時過ぎに突然キューンと鳴いて辛そうに歩き回りはじめました。
あとはもう、よく覚えていないのですが急いで病院へ行きました
車の中では聞いたことのないような苦しげな声。
病院につくころにはチアノーゼで舌が真っ青でした。
酸素室にはいったものの、苦しそうに鳴いていました。
ジャック、ジャック、かあちゃんここにいるよ、と酸素室のドアをたたきましたが
苦しげに1回だけ私の顔を見たのか、見なかったのか。
今思えば、意識も薄れていたと思います。
でもバカな私はそこで、ハンドバックを車から持ってこなくちゃ、と車に戻りました。
そんなに急に死ぬなんて思わなかったのです。
戻るとジャックは酸素室にはおらず、
検査?と病院の方に聞くと
待合室でお待ちください、といわれ
すぐに看護士さんが「こちらへきてください」と呼びに来て
そのあと目にしたのは、蘇生されているジャックの背中でした。
そして、もう戻って来ませんでした。
挿管された管には血がついていて
先生は、「原因はわからないですが肺から出血していたようです」と。
臆病な性格をわかっていながら、病院へ行けるように育てなかった私の責任です。
すべて、受け止めました。
どんなに大事に育てていても、救うことはできなかった。
ごめんね、ジャック
まだ11歳と7カ月です。
身体がすこし弱いところもありましたが、もっともっと一緒にいたかった
こんな、突然逝ってしまうなんて
ジャック、大好きだよ
もう、苦しんでないよね
ジャックどうか、かあちゃんを許してね
みかん、ジャックを頼みます
わたしひとりのつぶやきのようになってしまいましたが感謝の気持ちを述べさせてください
ジャックという名前をいただいたCoro様ご一家のみなさま
いつもやさしい文章で励ましてくださったさいちママ様
心から感謝申し上げます。
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