キタカゼとタイヨウ

「意識不明の重体」「重症びまん性脳損傷」から奇跡的に回復、社会人になった息子のこと。母の読書記録などなど。

3.11

2019-03-11 22:46:11 | 日記
あれから8年たちました。

あの日、小学校の校庭で震えていた息子は二十歳に。
高校を卒業したばかりだった長女は中学校の教員に。
修学旅行中だった次女は小学校の教員になりました。

あの日のまま時が止まってしまった人が大勢いる中で、
3人とも大人になりました。

ボランティアに参加して、実際に被災地を感じてきた娘たちは、
防災士の資格を取ったり、
震災の記憶のない教え子に、自分たちが見てきたことを話したり、
あの日を風化させることなく、胸に刻んで過ごしているように見えます。

あの日、真っ暗だった我が家を灯したブライダルキャンドルは、
一晩働いただけで、また箱へとしまわれたままです。

人生の中で一番の星空があの日だったというこの皮肉

日本中で灯りを消して、あの日を上回る星空を見て
星空=震災という記憶を上書きしたいですね。


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