日々の生活をの~んびりと(゜∇^*)

seroです^^
ガーデニングの栽培記録、好きな韓国ドラマの事etcをつぶやいてます


遼君全米予選“ギャラリー無料無制限試合”

2009-05-14 15:34:17 | 遼君
遼君の朝刊を読んでて25日予選会前日の練習が出来なくなり
遼君にしたらかなり大変な事態になったんだが・・


その資格に対してどのくらいなものかともっと詳細を知りたかった

で自分のブログから検索しようとしたら

5月9日のブログのタイトルが全英OP放送決定となっていて・・

えええ~~~

何でコピペしたタイトルが全米から全英になったのか・・

だから5月9日のタイトルは間違ってます
でも内容は正しい事なので大丈夫ですよ

それで訂正をしようと思ったんですが訂正しても
その日付をいじらなければ定位置に収まっているんだろうか~

それを考えたら小心者の私は訂正出来ないでいる
だからそのままで・・・通します


ほんでもって

試合のない時は学業を優先し今回も直前の土日にコースを回る計画が白紙
なんとか平日に時間をつくってコースを回るか
ぶっつけ本番かの選択になる

練習が平日になってしまい学校に行けなくなるって問題
プロ専属は問題ないわね~って単純に考えてるけど

「叙々苑カップ」に参加した事でバッシングされたりするのに・・
平日休んで練習になると4大メジャー大会の予選だろうが
「学校優先にしろ~~~」てまたどこかで叩かれそう


どうするのかな~

私なら予選会に向けて
プロでしょう~が~


遼くんのそのプレーが“無料”で楽しめるよ

今年は会場となる茨城・龍ケ崎CCへのアクセスが昨年よりは不便なこと
月曜日の開催ということも考えて混乱は起きないと判断。
通常のトーナメントなら3000円以上はする観戦チケットを無料とするのはもちろん
事前の入場制限も行わずに“ギャラリー無料無制限試合”とすることを決めた。
当日にあまりに多くのギャラリーが訪れた場合には入場を制限する可能性もあるが
現実的には考えにくい。





ギャラリー駐車場や最寄り駅からのバスはないそうです


昨年はというと
遼君が初出場したことに加え会場となった大阪・茨木CCの都心部からのアクセスが抜群で
ギャラリーが殺到した場合の混乱を憂慮。
コースのキャパシティーから有料化を検討したがUSGAの「予選会はすべて観戦自由」と
いうポリシーで却下され事前に応募抽選を行って750組1500人に制限した。













25日茨城・龍ヶ崎GCで36ホールストロークプレーで行われる
08年日本アジア両ツアーの賞金ランキング上位25人などに参加資格がある
海外からの8人を含む31人がエントリー済み
さらに地方予選を通過した場合に日本での最終予選を望む選手も11人おり
最大で参加が42人が参加
予選通過人数は参加によって変動し昨年の2人から増えて3,4人となる見通し

予選通過人数(昨年は2人)は24日に発表される予定

本選は6月18日から米ニューヨーク州ベスページステートパーク・ブラックGCで開催




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有名・著名人の言葉

いつか君がグリーンジャケットを奪い返してくれる幸運を祈っている


マスターズに優勝したアンヘル・カブレラがアルゼンチン出身とくれば
この「言葉」はこの欄でぜひとも残しておかねばなるまい。
 
1968年のマスターズでアルゼンチン出身のロベルト・デ・ビセンゾは
トータル277ストロークでまわってきたはず!? だった。
 
しかし実際には同伴競技者でマーカーのトミー・アーロンが17番で「4」とスコアカードに書き込む。
本当はビゼンゾはバーディの「3」であったのにかかわらずだ。

最終確認しなかったビセンゾが悪いのだが結局278で277で回ったボブ・ゴールビーとの
プレーオフに残れずゴールビーに名をなさしめてしまった。
 
そして時は流れ07年の全米オープン。
カブレラが優勝するとビセンゾは我が事のように祝福した折グリーンジャケットの
写真を手渡して表題の「言葉」を贈り雪辱を託したのだった。
 
こうして41年の歳月を経てグリーンジャケットは初めて南米に渡りそしてマスターズでの
勝利をいっそう劇的にしたのである。
 
彼の悲願はここに達成された。デ・ビセンゾ、現在82歳。


ロベルト・デ・ビセンゾ(1923~)

アルゼンチン・ブエノスアイレス生まれ。
キャディのアシスタントとして働きながらゴルフを学び15歳でプロ転向。
その後米ツアーでの6勝や1967年の全英オープン優勝など世界中で活躍し
通算230勝以上を記録している。

68年のマスターズではスコア誤記のためプレーオフに残れず2位。
このエピソードは優勝したボブ・ゴールビーより大失策したビセンゾの名が
歴史的に残っているという皮肉な話となった。
70年にはゴルフ界最高の賞と言われる「ボビー・ジョーンズ・アワード」を受賞。
シニアツアーでも活躍した。