今朝遼君がポケモンに乗って北海道に上陸しました
今日は寒いです
試合中はどんよりした曇り空が続きそうで17.8度位です
明日練習を見てきます
遼君に会ってきますね~
早朝に出て夜に帰ってきます
更新する予定です
ポケモンに乗って 遼君ブログ
今朝は五十嵐プロの優勝が大きく掲載されてました
アスリートと結婚するってことは相当の覚悟が入りますね~
優勝おめでとうございます
五十嵐雄二へ、石川遼からお祝いのメッセージ
最終日遼君のプレー
5番
ティショットをフェアウェイ左サイドの池に入れながらもパーセーブ。
6番パー5
350ヤード飛ばし
フェアウエーど真ん中からの第2打は2Iで238ヤード先のカップの奥1メートルにつけてイーグル
7番パー3
「風を読み間違えた」と痛恨の池ポチャでダブルボギー
10番
第1打はカート道に球が跳ねた“参考記録”とはいえ400ヤード先の
ギャラリーが歩くクロスウエーまで飛ばした
「この4日間を合計してみると今までのトーナメントと比べて内容が濃く
このあと結果はついてくるんじゃないかと確信できる4日間だった」
「まだまだ、スイングの安定感が他の先輩プロ達と比べて無いけれど
少し追いついて行けそうな気がした」
1年前と比べて大きな進歩と感じているのはミスの原因がはっきり分かるようになったこと
「今まではあやふや、曖昧で、なんであんなにフックしたのかなと
いろんなことが浮かび上がったけど今週は両脇を締めることを重点的に
練習し始めてから(ミスした時に)こっちの脇が緩んだなっていうのが
分かるようになりました」
それによりミスを引き摺ることなく次のホールではすぐに良いスイングを
取り戻せたと振り返った
「1年間というのは短いようでちゃんと365日分の内容が詰まっているんだと思いました
今は予選通過して(順位は)下の方にいるけど予選は余裕を持ってプレーできている」
「日本プロゴルフ選手権」もメジャーでタフなセッティングが施されるが
「素晴らしい4日間を過ごすことが出来たので来週に繋がります。
今週の良いスイングを北海道に持って行きたい」
理想はマスターズで見たタイガー・ウッズのスイング。
「クルクルっと回転してリズムがいい練習をしていた。
フィギュアスケートみたいに踊っている感じがした」と
独特の表現で常に安定したスイングを追求目標に掲げる
*☆*――*☆*――*☆*――*☆*――*☆*――*☆*――*☆*――*☆*
笑った
名手・達人の言葉
怒ったと思った瞬間俺のゴルフは壊れているんだ トミー・ボルト
今回は彼の“怒り”だけに焦点をしぼって書いてみよう。
ニックネームがトミー・サンダーボルト。
つまりは雷。
“噴火屋”ともいわれた。
日本流にいうなら“瞬間湯沸かし器”。
どれだけボルトの怒りがすごかったかエピソードを2つ紹介してみたい。
あるトーナメントのショートホールでの出来事。
4番ウッドでの球はバックスピンで戻り手前の池の餌食に。
アドレナリンが噴き出たのか打ち直しの球もさらにバックスピンがかかり池へ。
さらにさらに次の8打目もトップして池
顔を真っ赤にしたボルトは黙って4番ウッドをキャディバッグにおさめ
キャディバッグとともに池の中へ放り込んでしまった。
話には次がある。
次のティグラウンドに向かう時さっきの池の中から腰までつかりキャディバッグを
引き上げたのだが同伴競技者の「トミーも大人になったよな・・」の声にキャディバッグの中から
クルマのキーだけ抜き取り再びそのバッグを池の中に叩きこんだのだ。
そして黙ってクラブハウスへと向かったのである。
もう一つ
1953年ラスベガスで行なわれた試合。
賭博の街らしく市内ではラウンド終了後にトミーのクラブが何本残っているかの賭けが公募された。
ちなみにこのラウンドでは彼のクラブは奇跡的にも14本生き延びたのだが
そのことがニュースになったのである。
この事件の後米ツアーでは「トミー・ボルト法」というルールが出来て
故意にクラブを破損した場合には罰金を課すことになった。
このルールは1960年まで採用された。
もしボルトが怒りのためゴルフを壊さなかったらボルトとは正反対の性格でアイスマンといわれた
ベン・ホーガンがいうごとくボルトは偉大な選手になったに違いないのだが
■トミー・ボルト(1918年~)
米国オクラホマ州生まれ。
ゴルフはキャディをしながら覚える。
第2次世界大戦では軍に所属。
退役してから建設業に従事したのち32歳でPGAツアーに参加。
ツアーでは15勝をマーク。
圧巻は51年の全米オープン。ボルト40歳。
最終日は35度をこす猛暑のなか36ホールがおこなわれたがG・プレーヤーに
4打差をつけてメジャー勝利。
短気な性格として知られ『瞬間湯沸かし器』『噴火屋』などのニックネームがあった。
02年ゴルフ殿堂入りも果たした。
*☆*――*☆*――*☆*――*☆*――*☆*――*☆*――*☆*――*☆*
カメラマン内田眞樹氏が撮影した宍戸ゴルフクラブ
クラブハウス内部
梅沢富美男バリの流し目?
今日は寒いです
試合中はどんよりした曇り空が続きそうで17.8度位です
明日練習を見てきます
遼君に会ってきますね~
早朝に出て夜に帰ってきます
更新する予定です
ポケモンに乗って 遼君ブログ
今朝は五十嵐プロの優勝が大きく掲載されてました
アスリートと結婚するってことは相当の覚悟が入りますね~
優勝おめでとうございます
五十嵐雄二へ、石川遼からお祝いのメッセージ
最終日遼君のプレー
5番
ティショットをフェアウェイ左サイドの池に入れながらもパーセーブ。
6番パー5
350ヤード飛ばし
フェアウエーど真ん中からの第2打は2Iで238ヤード先のカップの奥1メートルにつけてイーグル
7番パー3
「風を読み間違えた」と痛恨の池ポチャでダブルボギー
10番
第1打はカート道に球が跳ねた“参考記録”とはいえ400ヤード先の
ギャラリーが歩くクロスウエーまで飛ばした
「この4日間を合計してみると今までのトーナメントと比べて内容が濃く
このあと結果はついてくるんじゃないかと確信できる4日間だった」
「まだまだ、スイングの安定感が他の先輩プロ達と比べて無いけれど
少し追いついて行けそうな気がした」
1年前と比べて大きな進歩と感じているのはミスの原因がはっきり分かるようになったこと
「今まではあやふや、曖昧で、なんであんなにフックしたのかなと
いろんなことが浮かび上がったけど今週は両脇を締めることを重点的に
練習し始めてから(ミスした時に)こっちの脇が緩んだなっていうのが
分かるようになりました」
それによりミスを引き摺ることなく次のホールではすぐに良いスイングを
取り戻せたと振り返った
「1年間というのは短いようでちゃんと365日分の内容が詰まっているんだと思いました
今は予選通過して(順位は)下の方にいるけど予選は余裕を持ってプレーできている」
「日本プロゴルフ選手権」もメジャーでタフなセッティングが施されるが
「素晴らしい4日間を過ごすことが出来たので来週に繋がります。
今週の良いスイングを北海道に持って行きたい」
理想はマスターズで見たタイガー・ウッズのスイング。
「クルクルっと回転してリズムがいい練習をしていた。
フィギュアスケートみたいに踊っている感じがした」と
独特の表現で常に安定したスイングを追求目標に掲げる
*☆*――*☆*――*☆*――*☆*――*☆*――*☆*――*☆*――*☆*
笑った
名手・達人の言葉
怒ったと思った瞬間俺のゴルフは壊れているんだ トミー・ボルト
今回は彼の“怒り”だけに焦点をしぼって書いてみよう。
ニックネームがトミー・サンダーボルト。
つまりは雷。
“噴火屋”ともいわれた。
日本流にいうなら“瞬間湯沸かし器”。
どれだけボルトの怒りがすごかったかエピソードを2つ紹介してみたい。
あるトーナメントのショートホールでの出来事。
4番ウッドでの球はバックスピンで戻り手前の池の餌食に。
アドレナリンが噴き出たのか打ち直しの球もさらにバックスピンがかかり池へ。
さらにさらに次の8打目もトップして池
顔を真っ赤にしたボルトは黙って4番ウッドをキャディバッグにおさめ
キャディバッグとともに池の中へ放り込んでしまった。
話には次がある。
次のティグラウンドに向かう時さっきの池の中から腰までつかりキャディバッグを
引き上げたのだが同伴競技者の「トミーも大人になったよな・・」の声にキャディバッグの中から
クルマのキーだけ抜き取り再びそのバッグを池の中に叩きこんだのだ。
そして黙ってクラブハウスへと向かったのである。
もう一つ
1953年ラスベガスで行なわれた試合。
賭博の街らしく市内ではラウンド終了後にトミーのクラブが何本残っているかの賭けが公募された。
ちなみにこのラウンドでは彼のクラブは奇跡的にも14本生き延びたのだが
そのことがニュースになったのである。
この事件の後米ツアーでは「トミー・ボルト法」というルールが出来て
故意にクラブを破損した場合には罰金を課すことになった。
このルールは1960年まで採用された。
もしボルトが怒りのためゴルフを壊さなかったらボルトとは正反対の性格でアイスマンといわれた
ベン・ホーガンがいうごとくボルトは偉大な選手になったに違いないのだが
■トミー・ボルト(1918年~)
米国オクラホマ州生まれ。
ゴルフはキャディをしながら覚える。
第2次世界大戦では軍に所属。
退役してから建設業に従事したのち32歳でPGAツアーに参加。
ツアーでは15勝をマーク。
圧巻は51年の全米オープン。ボルト40歳。
最終日は35度をこす猛暑のなか36ホールがおこなわれたがG・プレーヤーに
4打差をつけてメジャー勝利。
短気な性格として知られ『瞬間湯沸かし器』『噴火屋』などのニックネームがあった。
02年ゴルフ殿堂入りも果たした。
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カメラマン内田眞樹氏が撮影した宍戸ゴルフクラブ
クラブハウス内部
梅沢富美男バリの流し目?