おはようございます。
日曜日のNHK、Eテレ”365日の献立日記”という番組で、沢村貞子さんのお料理を紹介しています。
これがとっても素敵なんです。
この番組を観ていたら、沢村貞子さんのエッセイを読んでみたくなって。
沢村貞子さんと言えば名脇役としても、エッセイストしても実力のある方と存じております。

沢村貞子さんの【私の台所】を読みました。
丁寧な暮らしぶりや、知恵の数々がつまっていて凄いな~とただただ敬服するのみ。
心に強く残った一文は。
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長い間、夫のかげにかくれ、家の中にばかりいたせいか、視野が狭くなっている。
私はそれを(嬢ちゃんばあちゃん)とよんでいる。
歳のわりに心が幼く苦労が身についていない。
自分の子供のためにはどんな苦労もいとわないが、そのことで他人を傷つけることにはまるで気がつかない。
そして、そのために、自分もしあわせになれない。
妻として、母としての責任を果たしたあとの女性のしあわせは、自由にあるのではないだろうか。
しなければならないことはもう何もない。
残りの時間はすべて。。。自分のしたいことのために使える。
それが、しあわせというもののような気がするけれど。。。
ゆっくり、自由に。。。長い間の経験を生かして、料理や手芸を楽しんだり、若いときに読むひまのなかった本をひらいたり、ときには旅もいいだろう。
あるいは身体の不自由な人の手助けもしよう。
とにかく、自分のリズムに従って、楽な気持ちで生きてゆけたら、自然に心が豊かになり、いつかはまわりの人をよろこばせることも出来るだろう。
そんなとき、姑という字は長く生きたおかげで(生活の知恵)を沢山持っている(人生の達人)という意味にもなるし、もしかしたら、古い女は(いい女)ということになってくるかも知れない。
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この一文は、これからの私の生きる指針。
自由を、まだ上手く使いこなせていない気もしますが。。。