背寒日誌

2024年10月末より再開。日々感じたこと、観たこと、聴いたもの、読んだことなどについて気ままに書いていきます。

伝説の女優、グレース・ケリー

2005年10月16日 14時22分38秒 | アメリカ映画
 「アメリカにはすごく奇麗な女優がいて、モナコという国の王様に惚れられておきさき様になられたのだよ」という話を何度となく母親から聞いていた。私が小学生の頃だった。
 グレイス・ケリーという名前を覚えたのは、それからしばらく経って、中学生の私が洋画ファンになってからだった。ただ、その頃はビデオもなく、グレイス・ケリーという女優を映画雑誌の写真で眺める程度で、実際映画を見る機会はないまま過ごしていた。
 私が初めてグレイス・ケリーの映画を見たのがいつだったか、もう今では覚えていない。テレビの洋画劇場だったような気もする。映画は「喝采」だったように思うが、記憶はあいまいである。映画館でなかったことだけは確かだ。私は残念ながら映画館でグレイス・ケリーの映画は一本も見ていないのだ。
 その後、大学を出てから、ビデオでヒチコックの作品を立て続けに見た。そのとき初めて伝説と現実が一致した。母親の言うとおり、すごく奇麗な女優だと、つくづく思ったのだ。
 ヒチコックの「ダイヤルMを廻せ」「裏窓」「泥棒成金」の三作は、グレイス・ケリーが出ているということもあるが、作品的にも甲乙つけがたいほど好きな映画だ。サスペンス度から言えば「ダイヤル」がいちばん高く、ロマンチックなムードから言えばケーリー・グラントと共演した「泥棒成金」がいちばんである。「裏窓」はジェームス・スチュアートのとぼけた味が発揮され、お相手のグレイス・ケリーの美しさが一層引き立って見えた。彼女がいちばん奇麗に映っているのは、やはり「裏窓」かとも思う。
 彼女の初期の作品「真昼の決闘」を見た覚えがないので、それはひとまず置くとして、「喝采」のケリーはそれほど好きではない。最後の映画「上流社会」は、なにも彼女でなくても良かった気がしている。相手役のビング・クロスビーがあまり好きでないからかもしれない。
 グレイス・ケリーが自動車事故で亡くなったのは1982年だった。その後モナコ妃になってからのケリーの苦悩と悲劇が報道され、本も出版されて、この美しき女優の神話は崩れ去ったかに思えた。しかし、今にして思うと、たとえそのシンデレラ・ストリーは地に堕ちたとはいえ、絶頂期に身を引いたグレイス・ケリーの輝きは決して失われるどころか、かえって一段と増したと思うのだ。光が暗い影によってそのまばゆさを増すかのように……。
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スティーヴ・マックイーン

2005年10月14日 21時40分48秒 | アメリカ映画
 スティーヴ・マックイーンが肺癌で死んでから、もう25年になろうとしている。60年代半ばから70年代末までアメリカ映画のスターといえば、断然マックイーンだった。人気投票でも男優部門第1位はマックイーンの指定席だった。特に日本での人気は、男女を問わず、圧倒的だったように思う。もちろん私もマックイーンの大ファンで、彼の映画が封切られると喜々として映画館に足を運んだ。スクリーンの彼は無条件でカッコ良かったのだ。まさに彼は時代のヒーローだった。
 マックイーンを一躍有名にした映画は「荒野の七人」だった。当時テレビでは彼が主役のガンマンを演じる「拳銃無宿」が放映されていた。その後、「大脱走」でマックイーンの人気は決定的になった。この映画で彼は捕虜収容所から何度も脱走を試みる兵卒を演じた。失敗しても決してめげない男だった。
 マックイーンはハリウッド的美男俳優ではないが、好男子だった。苦みばしったイイ男で、しかも茶目っ気があった。といっても女を誘惑するような色男タイプではない。彼にはお世辞とか饒舌とかは似合わない。男らしい行動によって、言うならば背中で、女を引き付けるタイプなのだ。それは彼が演じた役柄を見れば解る。「シンシナティ・キッド」ではポーカーの賭博師、「ブリット」ではマスタングを乗り回す刑事、「栄光のルマン」ではレーサー、「ジュニア・ボナー」では荒馬を御するロデオの男、「タワリング・インフェルノ」では被災者を救出する消防士だった。こうした主人公はみな男の憧れでもある。マックイーンの映画には女の入り込む余地はあまりない。映画の中に彼を愛する女は登場するが、あくまでも脇役に終わることが多かった。彼と共演して存在感を示した女優は、「華麗なる賭け」のフェイ・ダナウェイと「ゲッタウェイ」のアリー・マッグローくらいだった。
 マックイーンが癌で闘病生活を送っているとの報道がもたらされたのは、70年代の終わりだった。ファンはみんな暗い気持ちになった。痩せ衰えたマックイーンの写真を見て、みんな心を痛めた。そして、1980年に彼は50歳の若さで死んだ。映画ファンにとってこれほど惜しまれる死はなかった。

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007/ロシアより愛をこめて

2005年10月13日 10時23分18秒 | アメリカ映画
 ジェームズ・ボンドといえば、何といってもショーン・コネリーだった。007のシリーズが何作あり、また何人の俳優がボンド役を演じたかは知らないが、ボンドはショーン・コネリー以外には考えられない。その点ではほとんどの人の意見が一致すると思う。そして、シリーズ中でいちばんの傑作は、第2作「ロシアより愛をこめて」であることもまず間違いあるまい。私は007シリーズを全部見たわけではない。最初の5作はすべて映画館で見て、はっきり印象に残っている。が、あとの作品は多分テレビかビデオで何作か見たような気がするが、記憶が定かでない。ということは、大して面白くなかったのだろう。そう勝手に決めつけている。
 そして、歴代のボンド・ガールの中でピカイチの美女といえば、やはりこの映画に出演したダニエラ・ビアンキであろう。これも大方の意見が一致するかと思う。実を言うと、ボンド・ガールで私の記憶にあるのは、クローディーヌ・オージェと日本人の浜美枝と若林映子くらいなんだから、これまた勝手に決めつけているわけだ。
 「ロシアより愛をこめて」(封切り時は「危機一発」と言った)を映画館で初めて見たときの興奮は今でも覚えている。本当に見どころ満載で、最初から最後まで息もつかせずハラハラ・ドキドキしっぱなしだった。殺し屋(ロバート・ショーが冷酷で恐い!)とボンドが列車の中で格闘するシーンなど、アクションも凄いが、この映画の素晴らしさはボンドとソ連の女スパイ(ビアンキ)との絡みにあった。この女スパイが飛びぬけて美しいのだ。透明な美しさとでも言おうか。安物の色気でボンドを誘惑するのではない。誘惑しているような、していないような謎めいたところが魅力的なのだ。彼女が登場してすぐ私はコロッと参ってしまった。観客はみんなそうだったと思う。この女はどうなるんだろう?もしかして殺されてしまうのではないか?途中ですごく心配になってくるのだ。これがまた別の緊張感を高めていく。ボンド・ガールは単なる添えものが多く、だからあまり印象に残らないのだが、この女スパイだけは際立っていた。
 ショーン・コネリーは強くてたくましい。それに、決してプレイボーイ然としていないところが良かった。こんな美女に誘惑されても落ち着き払っている。そこが堪らなくクールなのだ。やはりイギリス出身の俳優だけのことはある。紳士のように女性を立てながらも、心の奥では女性にのめり込まない雰囲気が漂っている。つまり硬派なのだ。ロジャー・ムーアだとこうは行かない。
 ところで、ダニエラ・ビアンキという女優、私はずっとロシア人だとばかり思っていた。ローマ生まれのイタリア人だと分かったのは、ずっと後になってからだ。この女優、007以外はイタリア映画に何本か出演したらしいが、いつの間にか消えてしまった。もう名前も忘れられている。が、007の女スパイとして、見た者の心にずっと残る女優の一人になったことは間違いあるまい。
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ヴィヴィアン・リー

2005年10月09日 09時09分38秒 | アメリカ映画
 ヴィヴィアン・リーは37歳にしてすでに老いていた。あえて言えば、老醜をさらしていた。テネシー・ウイリアムズ原作の「欲望という名の電車」で主役ブランチを演じたとき、彼女はまだ37歳だった。私はヴィヴィアン・リーという女優をこの映画で初めて見て、若作りはしているがきっと50歳を超えていると思った。高校生の頃、渋谷の名画座で見たのだが、あの「風と共に去りぬ」や「哀愁」よりも先に「欲望という名の電車」の凄惨な彼女を見てしまったのだ。それがいけなかったのかもしれない。ヴィヴィアン・リーというとブランチ役のイメージが今も頭から離れない。老いてなお若い頃の美しい思い出に浸る気のふれた老女優がブランチだった。共演は若かりしマーロン・ブランドで、デリカシーのない野性的な義弟役を演じていた。彼が妻の姉ブランチをこれでもかと侮辱し凌辱するのだ。そしてこの女の過去のさがが暴かれていく。
 聞くところによるとヴィヴィアン・リーはこのブランチ役に異常なほど執着したらしい。夫のローレンス・オリヴィエによる演出でイギリスの舞台でも演じていたほどで、映画化に際しても、他の女優を押しのけてブランチ役を射止めたのだという。ヴィヴィアン・リーのブランチは鬼気迫る演技だった。今思うと、役者魂から37歳という若さでわざと老け役をやっていたのかもしれない。しかし、ヴィヴィアン・リーの伝記を読むと、もうこの頃には肉体的にも精神的にもずたずただった。病弱のうえ、極度のノイローゼにも罹っていたという。
 「哀愁」という映画が私は好きだ。いや、好きというより、胸が痛んで二度と見られないほど愛着が残っている映画である。「哀愁」は、第一次大戦下のロンドンを舞台に将校とバレリーナの悲恋を描いた作品だった。ヴィヴィアン・リーの相手役は世紀の美男俳優と呼ばれたロバート・テイラーだった。この映画には名場面が数多くあるが、なかでも心臓が高鳴って止まらないほど感銘を受けたシーンがある。ヴィヴィアン・リーが鉄道の駅で戦死したとばかり思っていた彼を見かけるシーンである。この映画のヒロインは本当にせつなくて可哀想なのだ。私はどうしてもヴィヴィアン・リーの実人生になぞらえて彼女を見てしまうのだが、大恋愛と別離があって、彼の帰還を心待ちにしていたヒロインが突然絶望の淵に突き落とされる。彼が戦死したという知らせが届いたのだ。彼女は自殺も考えるが、すぐには死ねない。生きる屍になった彼女は、ついに娼婦に身を落としてしまう。帰還兵たちの慰みものになってしまうのだ。そんなある日、駅の人ごみの中で死んだと思った彼を見かけるのだ。そのときのショック。夢のような嬉しさと身を切るような恥ずかしさ、取り返すことの出来ない悔しさが、一瞬にして胸にこみ上げてくる。ヴィヴィアン・リーのあの凍りついた表情を私は忘れることができない。
 追記:残念ながら「風と共に去りぬ」に触れることができなかった。スカーレット・オハラのヴィヴィアン・リーについてはまた回を改めて書いてみたい。
<欲望という名の電車&哀愁>
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高嶺の花、リズ・テーラー

2005年10月08日 14時58分06秒 | アメリカ映画
 オードリー・ヘップバーンは死んだ今でも人気の衰えない女優だが、同時代にオードリーと人気を二分したエリザベス・テーラーの方はすでに忘れ去られようとしている。エリザベスの愛称リズはこの女優のためにあったと言えるほど有名な女優だった。ハリウッドでの経歴はオードリーよりはるかに長く、戦前から子役として活躍していた。名犬ラッシーが出てくる「家路」という映画では十歳のリズが主演だった。十代後半のリズが出演している映画には、「若草物語」と「花嫁の父」がある。前者はカラー映画で、後者は白黒映画だったが、どちらを見てもこの世にこんな美少女がいるのかと目を疑うほどの魅惑をリズは振りまいていた。「花嫁の父」は近年「花嫁のパパ」という題名でリメイクされたが、旧作では父親役が名優スペンサー・トレーシー、花嫁役がリズだった。この二人の共演が素晴らしい。
 私が初めてリズ・テーラーを見たのは「クレオパトラ」だった。この映画でリズは、美貌に加え、すでに風格といったものを備えていた。当時(40年ほど前)私はヘップバーンに熱を上げていたので、リズにはあまり関心がなかった。ただ、アメリカではヘップバーンよりリズ・テーラーの方が圧倒的に人気があることは聞き知っていた。日本ではまったく逆だった。リズはこの頃、「クレオパトラ」で共演したリチャード・バートンと五度目か六度目の結婚をしたばかりだったと思う。リズと言えば、恋多き多情な女で、スキャンダルの絶えない女優だった。男を獲って食べてしまうような恐ろしさがあった。だから多くの日本人がリズを敬遠したのだろう。その後、リズは演技派に転じ、「じゃじゃ馬ならし」や「ヴァージニアウルフなんかこわくない」ですさまじい女ぶりを演じるが、女優として玄人受けはするが、一般的人気は下がっていったようだ。
 リズ・テーラーを私が再認識するようになったのは、大学を出てからで、彼女がもう映画界から半ば引退してダイエットの本を書き始めた頃であった。50年代の映画を何本か見て、リズ・テーラーという女優は美しいだけでなく、セリフも演技も実にしっかりしていると感心してしまった。リズはもともとイギリス人で、話し方にブリティッシュ特有のアクセントがある。そして、匂わんばかりの色気と知的な気品がアンバランスに融合しているところに魅力がある。
 「陽のあたる場所」と「ジャイアンツ」はそうしたリズの魅力が活かされた作品だ。「陽のあたる場所」は、貧乏青年のモンゴメリー・クリフトが良家の令嬢リズに恋するあまり、身ごもった冴えない恋人を湖に突き落とし殺してしまう話だが、暗くて悲しい社会派ドラマだった。「ジャイアンツ」では、あの屈折したジェームス・ディーンが憧れる金持ちの若妻役をリズは演じている。慕う男に気がありそうなそぶりをして、男の気持ちを引き裂いてしまう美しい女。男にとってこれほどタチの悪い女はいない。遠くから眺めることはできるが決して得られない高嶺の花、リズはこうした女を見事に演じていた。
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