背寒日誌

2024年10月末より再開。日々感じたこと、観たこと、聴いたもの、読んだことなどについて気ままに書いていきます。

薄幸のジェニファー・ジョーンズ

2005年10月06日 22時22分48秒 | アメリカ映画
 ジェニファー・ジョンーズは、地味でいかにも幸の薄い感じのハリウッド女優だった。代表作の「慕情」と「終着駅」は、どちらも悲恋を描いたドラマチックな作品で、彼女にはこのヒロインのイメージが付きまとっているのかもしれない。そしてもしこの二作がなければ、彼女はとっくに忘れ去られた存在になっていたにちがいない。
 ジェニファー・ジョーンズは決して美人ではなかった。グラマラスで性的魅力のある女優でもなかった。しかし、何ともいえぬ不思議な魅力があった。それは、苦労した女のいぶし銀のような輝き、とでも言おうか。彼女は賢そうで貞淑な雰囲気があった。確か彼女にはインディアンの血が混ざっていると聞いたことがある。「慕情」では中国系の女性役を演じていたが、小柄で顔立ちもどことなく東洋人的なところがあった。彼女みたいにチャイナ・ドレスが似合うアメリカ人もそうザラにはいないと思うのだ。そんな点も彼女が特に日本人に好まれた大きな理由の一つだったのだろう。逆に、こうした異国情緒を漂わせた一見とっつきにくい女優がアメリカでは人気を得られなかったのも納得がいくように思える。アメリカではやはりマリリン・モンローやシャーリー・マクレーンのような開放的な明るさが好まれる。誘えばついて来る女、押せばすぐに落ちるような女がアメリカ人好みなのだろう。
 「終着駅」は暗く悲しい白黒映画だった。ジェニファー・ジョーンズは旅行中に若い男と恋に落ちた人妻役を演じているが、これはまさにうってつけの役だった。場所はローマ駅。男と別れる決意をして、帰途の旅につこうとする女。引きとめようと駅まで追ってくる男。この男を若きモンゴメリー・クリフトが演じているが、彼の偏執的な演技が実にいい。男の熱意に後ろ髪を引かれる女。「終着駅」は行きずりの男女の別れを凝縮したドラマで、イタリア人の監督ビットリオ・デ・シーカの名作の一つである。
 「慕情」の後、ジェニファー・ジョンーズはヘミングウェイ原作の「武器よさらば」に主演したが、残念ながらこの映画の評判は良くなかった。(看護婦役の彼女が素晴らしかったし、良い映画だったと私は思う。)以後彼女はハリウッドで活躍の場を失ってしまう。夫(プロデューサーのセルズニック)にも先立たれ、睡眠薬と酒浸りになって、精神的にもボロボロになってしまったという。十数年後、再起してパニック映画「タワーリング・インフェルノ」に出演したが、私は見ていて、端役の彼女のあわれな姿に目を覆いたくなる思いだった。
<終着駅>
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中年の魅力、ケーリー・グラント

2005年10月02日 13時46分41秒 | アメリカ映画
 ダンディな品格があり、チャーミングで大人の魅力を備えた男優。ケーリー・グラントはそんなアメリカの二枚目俳優だった。私の知っているケーリー・グラントは、もちろん戦後の彼で、ヒチコック監督の「泥棒成金」そしてスタンリー・ドーネン監督の「シャレード」に出演した彼である。麗しのグレース・ケリーやオードリー・ヘップバーンを見事にエスコートできる中年男は、グラントをおいて他にない、と思ったのは私だけではあるまい。それほど魅力的な中年だっだ。ケーリー・グラントには茶目っ気があり、しかも頼りがいのある男の余裕といったものが備わっていた。だから、若い女性の美しさが引き出せたのだろう。「北北西に進路を取れ」では、地味な女優エヴァ・マリー・セイントが特別に美しく輝いて見えたのは、グラントのおかげかもしれない。
 ケーリー・グラントはこの頃、映画の中で必ず背広を着ていた。あの横に分けた髪型も同じで、いつも金持ちの実業家のようだった。演じる人物の性格も同じというか、まさにケーリー・グラントそのもの。明るく楽天的で、陰湿なところが微塵もない、いかにもハリウッド・スターらしいスターだった。
 グラントが主演した恋愛映画で最も有名なのは、デボラ・カーと共演した「めぐり逢い」である。どちらかというとシリアスなメロ・ドラマだったが、私は事故の後の暗い後半よりも、豪華客船の中で出会った二人が愛し合うロマンチックな前半の方が好きだ。イギリス人の女性は美人が少ないという悪い評判があるが、「めぐり逢い」のデボラ・カーのなんと美しいこと!彼女はイギリス出身の女優だが、ヴィヴィアン・リーと双璧をなすイギリス美人の代表である。私は今でもそう思っている。そういえば、ケーリー・グラントも実はイギリス出身で、若い頃アメリカに渡り、そのまま定住してしまったのだそうだ。聞く所によると、あのクラーク・ゲーブルの代役として映画に出演したのが、グラントの出世のきっかけだったらしい。もちろん戦前の話だ。そして戦後、「ローマの休日」のキャスティングではグラントが主演を断ったのだという。そこでオードリー・ヘップバーンの相手役にグレゴリー・ぺックが選ばれたのだそうだ。ヘップバーンとは後に「シャレード」で共演することになるが、「ローマの休日」で、もしケーリー・グラントが新聞記者役を演じたとしたら、もっと素晴らしかっただろう。
<デボラ・カーとグラント>
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初恋のオードリー・ヘップバーン

2005年10月01日 05時54分20秒 | アメリカ映画
 オードリー・ヘップバーンは、私の初恋の人である。初めて出会ったときのことは今でも鮮明に覚えている。場所は東横線の白楽という駅のそばにあった映画館。その名を「白鳥座」といった。今から40年前、横浜に住んでいた私が中学1年の頃だ。そのとき、私は母親と一緒だった。なぜ母親と一緒だったかというと、当時は子供が一人で映画館へ行くのは不良の始まりだと思われていて、母親が保護者として付いてきたのだ。私は中学1年なのに、子供扱いだった。もっとも映画へ一人で行くのが禁じられていたのは中1までで、中2になると一人で映画館へ行き始めた。が、小遣いをはたいて映画を見に行くには限界があった。「白鳥座」はロードショーの映画館ではなく、ちょっと古い洋画を二本立てで入場料120円で上映していた。この頃はよく白鳥座へ通った。そして、ほとんど母親と一緒だった覚えがある。そのほうが小遣いを減らさなくても済むという利点もあったからだ。
 オードリー・ヘップバーンには一目惚れだった。スクリーンにオードリーが現れるやいなや、目が皿になった。そこは緑も目映い牧場だった。風のように颯爽と現れた彼女は、クリーム色のドレスをまとい、大きな帽子をかぶっていた(ような気がする)。一目見て胸が高鳴り、海の向こうにはこんな美しい女性がいるんだ!と、まるで新発見をしたように思った。
 オードリーに私が初めて出会ったこの映画は、トルストイ原作の「戦争と平和」だった。3時間近い大作である。私はストーリーなどどうでもよく、ただただスクリーンのオードリーを目で追っていた。この映画はカラー映画で、その頃テレビは白黒の時代だった。外国の女優を生身に近い姿で見る機会は映画館でカラー映画を見る以外になかった。肌の色、目の色、髪の色、唇の色、服装だって色彩がなければ、女性の美しさは引き立たない。声も大切だ。もちろん、当時私は英語を習い始めたばかりで、何を言っているかまったく解らなかったが、オードリーの声の可愛らしさとあの品の良い話し方くらいは感じ取っていたと思う。
 オードリー・ヘップバーンは、私にとって初恋の西洋人女性になった。「戦争と平和」を見てから、私の追っかけが始まった。どこかでオードリーの映画をやっていると、矢も楯もたまらず、その映画館に足を運んだ。白鳥座だけでなく、渋谷の全線座や東急名画座にも遠征した。「尼僧物語」「ローマの休日」「サブリナ」「昼下がりの情事」「緑の館」「ティファニーで朝食を」「シャレード」など古い映画を遡って見る一方、封切りの新作「マイフェアレディ」「暗くなるまで待て」「おしゃれ泥棒」「いつも二人で」なども順番で見に行った。その間、またその後も、他の西洋人女優に目移りし、つい浮気をしてしまったことも正直言って多々あった。が、誓ってもいいが、オードリーに対する私の初恋の思いは、死ぬまで変わらない。
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アメリカン・ニュー・シネマの女神

2005年09月27日 01時13分38秒 | アメリカ映画
 先日テレビのニュースでウォーレン・ビーティを見た。評判の悪いシュワルツネガーの対抗馬としてカリフォルニア州知事に立候補するらしい。ずいぶん年をとったなあと思った。
 ビーティと言えば、昔は苦みばしった二枚目俳優で、実生活でもプレイボーイでならしていた。ナタリー・ウッドと共演した名作「草原の輝き」で人気を博して以来、女性遍歴がたたってか、ずっと鳴かず飛ばずだった。が、60年代終わりに衝撃的な映画で一躍時代のヒーローとして復活した。アーサー・ペン監督の「俺たちに明日はない」のギャング役によってだ。原題は「ボニー・アンド・クライド」。大恐慌時代に実在した若い男女のギャングを描いた作品で、アメリカン・ニュー・シネマの幕開けとなった画期的な映画だった。ビーティはクライド役を格好良く見事に演じた。そして、ボニー役がフェイ・ダナウェイ。彼女はこの映画一本で一躍スターダムにのし上がった。
 思い起こせば、60年代終わりから70年代初めはアメリカン・ニュー・シネマの全盛期だった。ハリウッド映画は沈滞し、フランスのヌーヴェル・バーグは新鮮味を失いかけていた。ちょうど私の高校生時代で、人生でいちばん多く映画を見ていた頃だ。「イージー・ライダー」「卒業」「真夜中のカーボーイ」「明日に向かって撃て」……。どの映画も社会秩序からはみ出した若者を主人公にした映画だった。なかでもアウトローの破滅的な生き方を描いた傑作が「俺たちに明日はない」だった。
 当時反体制派の憧れのアメリカ女優が二人いた。いわばアメリカン・ニュー・シネマの女神ともいえる存在で、一人がフェイ・ダナウェイ、もう一人がキャサリン・ロスだった。ダナウェイは知的でたくましく、いかにも魅力的な大人の女といったタイプで、ロスは清純で可憐、守ってあげたい美少女タイプと言ったら良いか。この二人のスターは人気を二分していたが、私は欲張りなことに両方とも好きだった。「俺たち…」のほかに「華麗なる賭け」のダナウェイはすばらしかった。キャサリン・ロスはなんと言っても「卒業」で、教会の結婚式でダスティン・ホフマンに拉致される花嫁姿の彼女は今でも目に焼きついている。「明日に向かって撃て」で、バカラックのメロディーが流れる中、彼女が自転車に乗るシーンが印象深く、思い浮かべてみるだけで、年甲斐もなく胸がキュンと詰まる気持ちがこみ上げてくる。
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美女と醜男の恋愛映画

2005年09月24日 02時56分20秒 | アメリカ映画
 恋愛映画の主人公である女と男のパターンを美醜によって分類すると次の四つになる。①美女と美男②美女と醜男(ぶおとこ)③醜女(ぶおんな)と美男④醜女と醜男である。つまり、4通りの恋愛映画が可能なわけだ。このなかで、いちばん多いのはもちろん①、美男美女の恋愛映画だ。一昔前のハリウッド全盛期にはこれが圧倒的に多かったといってよい。そして、私の知る限り③は、ない。醜女と美男の恋愛映画を私は見たことがない。ブスとは言わないまでも十人並みの女と美男が恋愛する映画*も見たことがない。片思いならあるかもしれないが、相思相愛の関係が一時的にも成立する過程を描くのが恋愛映画だ。そうだとすると、片思いのままで終わる映画は恋愛映画ではない。次に④、これもほとんどない。普通の女と普通の男の恋愛映画もないように思う。現実的にはこうしたカップルがいちばん多いはずだが、普通の男女の恋愛ではきっと映画にならないのだろう。
 さて、最後に残った②。これは、結構多い。美女と醜男の恋愛映画である。渥美きよしの「男はつらいよ」シリーズもその一種かもしれない。寅さんが美女に恋をするという筋立ては全作に共通するパターンだが、片思いが両思いに変わる話もいくつかあった。
 古い映画にヴィクトル・ユーゴー原作の「ノートルダムのせむし男」というのがあった。この映画でジプシーの美女を演じたのがジーナ・ロロブリジーダで、私が大好きだったイタリア女優。彼女のまぶしいほどの美しさに対し、醜男どころか化け物みたいなせむし男を演じるのが、アンソニー・クイン。アメリカの個性派俳優だ。せむし男の美女に対する一途な純愛。その思いにほだされて、美女の彼に対する憐れみが愛に変わる。そんな劇的なストーリーだった。この映画、ニ度見た記憶があるが、もう一度見たいと思っている。
 「アパートの鍵貸します」は、この手の映画の傑作だった。私は監督のビリー・ワイルダーの映画が好きで、「アパート」は何度見ても見飽きない映画である。主役のジャック・レモンはカエル顔で、決して美男子とはいえない。この映画では上司が逢引きするために部屋を貸すウダツの上がらないサラリーマン役を演じている。悲哀とユーモアあふれるレモンの演技は天下一品だが、上司の愛人役のシャーリー・マクレーンがまた良い。マクレーンは美女というよりファニーフェイスで愛嬌のあるタイプだが、レモンの相手役としてまさに最適の女優だったと思う。同監督でこの二人の映画には、「あなただけ今晩は」もあるが、これも是非もう一度見たい映画だ。
 *キャサリン・ヘップバーン主演の「旅情」はそんな映画だったことを思い出した。今度ビデオを見直しておきたい。
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