背寒日誌

2024年10月末より再開。日々感じたこと、観たこと、聴いたもの、読んだことなどについて気ままに書いていきます。

「殺意の瞬間」のダニエル・ドロルム

2005年10月21日 14時10分38秒 | フランス映画
 ジュリアン・デュヴィヴィエ監督の「殺意の瞬間」は恐ろしい映画だった。この映画はサスペンスでもスリラーでもホラーでもない。あえて言えば犯罪ドラマで、中年男をだます若い女の魔性を余すところなく描いた作品であった。女という生き物はなんと恐ろしいものか、とつくづく思うと同時に、男っていうのはなんて馬鹿なんだろうと身につまされる映画なのだ。
 パリの中央市場の近くにある高級レストランのオーナー兼シェフがこの映画の主人公である。この役を演じるのは私の大好きなジャン・ギャバン。初老にさしかかった五十男で、料理の腕は一流、客の接待もソツがなく、レストランは大いに流行っている。しかし、寂しいかな今は独り者なのだ。
 ある日、このレストランに二十歳そこそこの若い女の子が訪ねて来る。貧しい身なりで化粧もしていないが、素顔が可愛らしく不思議な魅力を持っている。気立ても良さそうで、清純な子に見える。ダニエル・ドロルムという女優がこの役を演じているのだが、これが素晴らしく良いのだ。もちろん演技の話で、この小娘がとんだ食わせ者だったのである。ちなみにダニエル・ドロルムは戦後期待の演技派女優だったが、出演した映画は数本に過ぎず、二度の結婚の末、映画のプロデューサーになってしまった。(一度目の結婚は男優のダニエル・ジュランで、二度目が映画監督のイヴ・ロベールだった。)
 ドラマはこの女の身の上話から始まる。
 「私はあなたが昔に別れた妻の一人娘で、あなたの実子ではないかもしれません。実は先だって母が死んで、身寄りがなくなってしまいました。あなたのことは母から聞いていたので、死んだことを知らせにパリまでやって来ました。」
 若くて可愛い女がそんな告白をするのだから、中年男はたまらない。年齢から考えてわが子ではないことは解ったものの、自分を頼って訪ね来た娘を追い返すことなど出来るはずがない。ギャバンはこの女に店の料理を食べさせ、自分の家に住まわせてやる。そして、あろうことか三十も年齢の離れたこの若い女に魅せられ、溺れていく……。
 しかし、この女の言ったことはみんなウソだった。玉の輿に乗って、ギャバンの財産を乗っ取ろうという魂胆だったのだ。まあ、映画の内容を紹介するのはこのくらいにしておこう。見ていない人の興味を奪ってしまうと思うからだ。ただ、この映画は、デュヴィヴィエ監督特有のペシミズムに貫かれ、人生の醜悪さを露骨に描き出していて、特に後半は目を覆いたくなる凄惨な場面が多いことだけは付け加えておきたい。

気になる女優、ダニー・カレル

2005年10月20日 22時10分18秒 | フランス映画
 映画を見た後で、それもずっと後になっても、妙に印象に残って気になる女優がいるものだ。私の場合、フランス映画ではダニー・カレルがそんな女優の一人である。カレルは50年代半ばの短い期間に活躍した女優で、この頃のフランス映画のファンなら知っているはずだと思う。かく言う私はリアル・タイムのファンではなく、後年になってテレビやビデオでこの頃のフランス映画を見た者なので、大それたことは言えないのだが、その辺はお許し願いたい。
 ダニー・カレルが出演した映画でいちばん有名なのは、ジャン・ギャバンとフランソワーズ・アルヌールが主演した「ヘッドライト」である。長距離便のトラックの運転手が給油所で働く若い女の子とのっぴきならない関係になる話で、アンリ・ヴェルヌイユ監督の傑作だった。この映画でカレルは中年運転手ギャバンの娘役で出ていた。陰影のある映画で、単調な人生に疲れたギャバンと物憂げなアルヌールがとても良いのだが、良い映画というのは脇役も光るものだ。ギャバンの古女房がいかにも所帯やつれして見るも哀れなのだが、この言葉少ない暗い家庭で長女のカレルだけは減らず口を叩き、明るく振舞っている。父親ギャバンに小言を言われながらも反抗しモデルのバイトをやろうとしている。カレルが登場する場面で特に印象に残るのは、愛人アルヌールから来た手紙の内容を両親の前で暴露するところだ。まるで鬼の首でも取ったかのように父親に読んで聞かせるのだ。愛人に子供をはらませたこともバラしてしまう。父親にぶん殴られ、そばに居た母親の悲しい顔を見て、娘のカレルは我に返る。そして、出て行った父親を追っていく。このあたりのカレルが実にいいのだ。
 もう一つ、ダニー・カレルの出演した映画で名作と言えるのは、ルネ・クレール監督の「リラの門」である。これは名優ピエール・ブラッスールと人気歌手ジョルジュ・ブラッサンスが共演した映画で、パリの下町人情を描いた、いかにもクレールらしい作品だった。この中でカレルは居酒屋の女給役で、どこにでもいそうなポーッとした可愛い女の子を演じている。昔トランジスター・グラマーという女性の形容があったが、カレルにはこの言葉がぴったりあてはまる。つまり、小柄だが胸が大きく、なんとも色気があるのだ。飲んだくれでろくでなしのブラッスールは優しいカレルに岡惚れなのだが、否応なしにかくまった手負いのギャングに彼女がそそのかされて、大金を奪われてしまう。そんな話なのだが、カレルは危険な遊びに心をときめかす生娘役を見事に演じていた。いや、見事というより、これがカレルの地なのかもしれないと思ったほどだった。
 他に、ダニー・カレルは「奥様ご用心」にも出演していた。この映画はもうずいぶん昔にテレビで見た記憶があるが、その内容はあいまいである。今度また見てみようと思っている。また、カレルは60年代終わりに復帰し、「パリ大捜査網」でジャン・ギャバンと共演したという。この映画も見たとは思うが、残念ながら印象に残っていない。

ジャン・ギャバン

2005年10月07日 14時57分19秒 | フランス映画
 きのうジャン・ギャバンの「現金(げんなま)に手を出すな」のビデオを久しぶりに見た。この映画を見るのは三度目だと思うが、見るたびに新たな発見が得られる。きのう見て気づいたことがある。まずこれは、いわゆるフランスのフィルム・ノワール(暗黒映画)の範疇には収まらない映画であり、監督のジャック・ベッケルが描きたかったのは、何よりも老境に差しかかった中年男の悲哀と友情だったのか、と気づいたことだ。主役のギャバンは年季の入った辣腕のギャングだが、大仕事の後そろそろ引退を考えている。彼には昔からの頼りない相棒(ルネ・ダリー)がいて、ギャバンがずっと世話を焼いてきた親友なのだが、年甲斐もなく若い踊り子(駆け出しのジャンヌ・モローが演じている)にうつつを抜かしている。二人とも妻子がおらず、暖かい家庭のない寂しい中年ギャングなのだが、この二人の心の交流が実に細かくうまく描けていた。ギャバンが隠れ家に連れて来た相棒を諭した後、二人で寂しく就寝するシーンはこの映画の見せ場だった。えっ、こんなシーンがあったんだ!という感じなのだ。ギャバンが相棒のためにパジャマやタオルや歯ブラシを女房のように揃えてやるところが特に印象的だった。
 ジャック・ベッケルといえば、あの「モンパルナスの灯」を作った監督で、日本ではそれほど評価が高くない。フランス映画と言うと、戦前派のクレール、ルノワール、デュヴィヴィエ、カルネなどの巨匠がいて、戦後はゴダール、トリュフォー、マル、レネといったヌーベル・バーグの監督たちに目を奪われがちになる。が、戦前派とヌーベル・バーグの間にも優れた作品を撮った映画監督はたくさんいた。ジャック・べッケルはそのうちの一人だ。私はジャン・ギャバンやジェラール・フィリップが好きなので、埋もれかけたヌーベル・バーグ以前の監督たちの映画も見ることが多い。50年代から60年代初めにかけてのギャバンは最高だった。戦前の「望郷」や「大いなる幻影」や「我等の仲間」の若いギャバンもいいが、アンリ・ヴェルヌイユの「ヘッドライト」「地下室のメロディ」、そしてデュヴィヴィエの「殺意の瞬間」などに主演した中年ギャバンの魅力は、本当に味わい深いと思っている。

「男と女」のアヌク・エーメ

2005年09月29日 02時11分04秒 | フランス映画
 アヌク・エーメという変わった名前の女優を初めて見たのは、「男と女」のヒロイン役で、ちょっと年増になってからだった。端正な顔立ちだが、ずいぶん口の大きな女性だと思った。クロード・ルルーシュ監督のこの映画は、カンヌ映画祭でグランプリを取ったものの、評価の定まらない作品だった。それは今も同じである。好きな人と好きでない人が真っ二つに分かれる。私はどっちつかずな方だが、最初この映画を見たときの新鮮さは二度三度と見るたびに色あせてきたのも確かだ。名画なら何度見ても鑑賞に耐えるにちがいない。
 とはいえ、「男と女」には今でも大好きなシーンがある。ジャン・ルイ・トランティニアン(妻に先立たれた男)とアヌク・エーメ(夫に先立たれた女)が子供を学校の寄宿舎へ送って、その帰り道ホテルのレストランに立ち寄り、食事を注文するシーンだ。注文を終えて間もなく、トランティニアンがまだ注文があると言って、ガルソンをテーブルに呼び戻す。この後のセリフがカッコいい。「もう一つ注文があるんだけど…」ちょっと間を置いて、ずばっと「ユンヌ・シャンブル!」フランス語で「部屋を一つ」という意味なのだ。ここで画面は急転し、ベッド・シーンが始まる。ここからエーメの悩殺的な顔のアップがえんえんと続く。私は熟女というのが苦手で、エーメのように燃える女に迫られても困ってしまうなーと思いながらも、息を詰めて見てしまう。
 「男と女」のあと、エーメの出ている映画を時代を遡るようにして見た。フェリーニの「8・1/2」はあまりよく覚えていない。「モンパルナスの灯」のエーメはすごく良かった。ジェラール・フィリップ扮するモジリアーニの若奥さん役がエーメで、母性本能のような深い愛情ある女を見事に演じていた。つい最近アメリカでリメイクされたが、私はまだ見ていない。やはりベッケル監督の旧作の方がいいに決まっている、と思うのだ。「モンパルナス」の次に「火の接吻」を見た。エーメは情熱を内に秘めた恋する乙女役。可愛くて、実にけなげなヒロインだった。内気でおとなしそうで、思いつめたら命懸け、そんな女にエーメはぴったりだと思った。

記憶に残るジョアンナ・シムカス

2005年09月25日 15時10分43秒 | フランス映画
 彗星のように現れて消えていった女優がいる。ジョアンナ・シムカスはそんな女優の一人だった。確かカナダ出身で、元ファッション・モデルだったと思う。60年代終わりに「冒険者たち」で鮮烈なデビューを果たした後、「若草の萌えるころ」「オー!」など三、四作に出演したきりで、映画界から引退してしまう。活躍した期間はわずか3年。多くのファンは、彼女を追いかけ始めて、あっという間に姿をくらまされ、大きな失望を感じたものだった。もちろん私もそうだった。「冒険者たち」を見れば、ジョアンナ・シムカスの魅力にイチコロにならない男はあるまい。成熟した肢体、長い栗色の髪の毛、あどけない面長な美少女顔、とりわけ水着姿がたまらない。高校1年の頃、私は日比谷の映画館でこのシムカスを見て一目惚れしてしまった。
 「冒険者たち」は、美男アラン・ドロンと渋い中年男リノ・バンチュラが前衛彫刻家シムカスを誘って、宝探しの冒険に出るストーリー。一人の美女に対し親友の二人の男が思いを寄せながら話は展開していく。ロマンチックな現代版騎士道物語とでも言おうか。美しい映像のバックに流れる音楽がまた効果的で、見終わった後も耳に残って離れない。
 この映画には製作の裏話がある。監督のロベール・エンリコがシムカスに本気で惚れてしまったというのだ。監督のナマの恋愛感情が移入されたのだから、彼女が特別美しく映っているのも当然かもしれない。映画の中で彼女は中年男の方に愛を告白する。美女必ずしも美男を愛せず、というわけだ。きっとこれも監督の強い願望だったにちがいない。しかし、現実は監督の思い通りには行かなかった。シムカスはもうニ本彼の映画に付き合った後、彼を振って、黒人俳優シドニー・ポワチエのもとに走り、結婚してしまう。以後監督のエンリコは、失恋が原因なのか、ロクな映画を作っていない。