小学校、中学校、高校の十二年間、私は母が作ってくれた弁当を持って学校へ行った。
昭和三十八年生まれの同い年では、学校給食を経験したことのない人はかなりの少数派のようだ。
ここで、長年にわたり、来る日も来る日も、弁当をつくってくれた母と、現在弁当を作ってくれている家内に感謝を捧げて本題に入ることにする。
・・・これから書くことは、以前にも書いたことがあるような気がするのだが、いつ、どういうタイトルで書いたか、ざっと過去の記事を見てみたが思い出すことも探すこともできなかった。
もし、書いていないとすれば、いつかはこの思い出をブログに記録しておきたいという気持ちが続いていたのだろう。
小学校の、何年生の時か忘れてしまったが、昼休みの弁当の時間の前に、取っ組み合いのケンカをしたことがあった。
私は、別に自慢する訳ではないが、向こう見ずにも自分より体のでかい相手との戦歴ばかりで、やるたびに引き分けか悔し涙に終わるのことが多かった。
(けっして褒められたことではない!良い子のみなさん、仲良くしましょう。・・・余談だが、我々の少年時代のケンカの時は、やるだけやらせて、ギャラリーの悪童連が、レフェリーみたいな役割をしたり、ドクターストップをかけたり
と、大きなケガをしたり、いき過ぎたことにならないように、それなりに、知恵と人情が働くうまくできた作法があったものだった。)
その時も、同級生ながら自分より大きいのとファイトに及んだのだが、腕力差は歴然で、ギャラリーの仲裁にて判定負けの悔し涙に終わった。
その後に食べた、冷たいごはんの弁当が、とても温かいものに思えたのだった。
それは、外でどんな辛い思いをしても、ホームベースがあるということの安心感や、母の愛情に包まれているのだという安心感や感謝から湧き出た感情だったのだろうと思う。
私は、冬のこの季節でも、いわゆるランチジャーでなくて、普通の弁当箱を使っている。
当然ごはんもおかずも冷たいのだが、時おり、冷たいごはんにまつわる温かい記憶が思い出されるのである。
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