のほほん書斎(日高茂和)

公開が楽しみ・・・コピーが手に入らんもんじゃろか!

「坂の上の雲」の秋山真之と同じく、維新のリストラで家禄を失った家に生まれ、貧窮のなかに凛とした節義を保ち、

日清・日露に士官として奉公した祖父をもつ小生としては、ドラマ「坂の上の雲」の世界は、

祖母や父から何回も聞かされたことを、目の前に見る思いで、他人ごとではない。

毎回涙を流すことしきりで、それも号泣に近い泣き方をしてしまう。

まちがいなく、その時代を生きた人たちの姿を演じる(生きる)彼らの「真摯さ」が強く心を揺さぶる。

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興味深い記事に接した。

以下は長崎新聞のホームページの記事である。


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本海海戦の詳細伝える紙面発見 十八銀本店で、1905年の長崎新報



右:十八銀行本店の資料格納室で見つかった1905(明治38)年6月3日付の長崎新報
左:105年前に発行された新聞を見つけた岩永さん=長崎市銅座町、十八銀行本店
 長崎市銅座町の十八銀行本店で、1905(明治38)年6月3日付の長崎新報=長崎新聞の始祖=が見つかった。日露戦争で日本の連合艦隊とロシア・バルチック艦隊が対馬海峡で激突し連合艦隊が勝利した日本海海戦が同年5月27日。その1週間後に発行された紙面で、同海戦の詳細が掲載されている。

 長崎新報は1889年から1911年まで発行。今回見つかった紙面は、長崎新聞社や県内の主な図書館にも残っていない。同行地域振興部業務役の岩永滋さん(52)が本店資料格納室で見つけ、今月放映されたNHKドラマ「坂の上の雲」の時代をほうふつさせる内容だったため、長崎新聞社に連絡した。

 見開き4ページで、破損もなく保存状態は良い。紙面では、日本海海戦の勝利に関する勅語を受けた、東郷平八郎連合艦隊司令長官の「奉答」が1面トップ。続いて、同海戦を報じた欧州各国新聞について伝え、「日本艦隊の成功に対し驚愕(きょうがく)せり」などと記載。ロシア艦隊の死傷者数や「古今大海戦比較表」なども載せている。

 2面では「第一艦隊の戦況」として「春日艦乗組将校の談」を掲載。5月27日、ロシア艦隊に近づき、距離8千メートルとなってロシアが砲火。5800メートルほどで連合艦隊が射撃を開始。「第一艦隊が斯(か)くの如(ごと)く前頭を圧する間に第二第三艦隊は南方より敵の後尾に迫りたれば敵は全然潰乱(かいらん)し殆(ほとん)ど戦闘力を失ひたれば午後七時半我艦隊は打方(うちかた)止めの号令に接し戦闘を中止す」などと記している。

 ロシア旗艦の軍医から聞き取った同海戦のロシア側の動きのほか、ジュネーブ条約に基づき解放した非戦闘員の捕虜たちが佐世保から出港した際、雨の中で甲板に整列し涙を流す一方、船中ではバイオリンを取り出して弾き始めた様子なども伝えている。長崎のちょうちん行列の道順も載っている。

 4面に十八銀行の広告が掲載されているため、保管されてきたとみられる。岩永さんは、長崎新報の1909年12月21、22日付紙面のそれぞれ片面と、翌年8月27日付の東洋日の出新聞も一緒に発見。いずれも同行の広告が載っている。45年8月の原爆投下時、同行は資料や帳簿などを複数の場所に分散、保管していたため焼失を免れたらしい。

 「当時は武士道精神が残っており、捕虜にも敬意を払っていたことが読み取れる。記事もことさら士気を鼓舞することなく、様子をそのまま伝えているところが面白い。記者の意欲も伝わってくる」と岩永さん。今後、同行の史料展示室で閲覧できるよう検討するという

コメント一覧

日高茂和
拝復 ワシ 様
コメントありがとうございます。

お久しぶりです。

アドバイスに勇気付けられて問い合わせの手紙を書いてみます!
ワシ
たぶんもらえる
この新聞記事の写しだけど、手紙でお願いしたら多分もらえるはずだよ。
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