ニュースよりの随想
我が母校である五島高校のある石田城跡には台場があった。
あった、というより今でもある。
言うまでもなく台場とは大砲の砲台を据え付けるための施設である。
平たい敷地なので、仲間が集まって休憩したり、よからぬ談合をするのに便利に使っていた。
全国の城跡でも、台場のあるところはきわめて珍しいことだと思う。
それもそのはずで、石田城は幕末に海防を強化するために、海に面して作られた城郭だからである。
離島の小藩が、築造費用をどう捻出したのだか、実際に砲台は据え付けられたのか、果たして大砲を据えたところで、何らかの効果があったものかどうか、考えれば不思議なことだらけである。
何か世の中で大きな動きが起こっていることと、時代が変わりつつあること、また世界、異国の動きを、本土の他藩の人たちよりも、福江および五島の人々はいち早く感じていたのだろうと思う。
現代では、経済的な宿命でもあるが、生計をたてるために異郷の地へ物怖じしないで出て行き、人一倍努力するといわれる五島人気質の根がそのあたりにあるような気もしてくる。
今日は、石田城で打ち払おうとした異国船を受け入れるために横浜の港が開かれてからたったの150年めにあたる日である。
横浜が人もまばらな寂しい町から今日の未来都市のように変貌するきっかけとなったそのころ、離島の城下町は、当時の横浜よりも、はるかに威風堂々とした街並みを誇っていたのだと思うと興味深い。
なぜか、横浜という土地に心魅かれる私。
海の向こうへのあこがれ。未知なる物への好奇心。敵対から友好への甘美なロマンが、DNAとして記録され、伝わっているのだろうか。
(写真はネット上から検索したものを借用しました)
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