見出し画像

のほほん書斎(日高茂和)

くらわんか碗 (その1)

先日、テレビで放送された鬼平犯科帳の映画版を見ていたら、当時の公共交通機関である、京都ー大阪間の淀川を上り下りしていた三十石舟が、枚方に停泊したところに漕ぎ寄せてきて、「酒くらわんかー、飯くらわんかー」と物売りする、通称「くらわんか舟」の様子がよく再現されていたが、残念ながら磁器の「くらわんか碗」は映し出されなかった。

写真の茶碗はダイビングをする友人が長崎港の香焼で引き揚げたものです。
江戸中期より波佐見で大量に焼かれ、庶民が磁器碗でモノを食べるという食文化の変化に大きく影響を与えたもので、通称「くらわんか碗」と呼ばれている茶碗の典型的なものです。

この名まえの由来は、はじめに書いた大阪枚方で「くらわんか舟」で使われたことで日本中に知られるようになったものなのです。

現在私たちが商っている波佐見のやきものは、その時代に大量生産を確立した伝統のうえにあります。

いわば、いつの時代も庶民の暮らしとともにある、庶民の味方であるわけです。

それにしても、海底に眠っていたくらわんか碗は、どうしてそこにあったのかをいろいろと想像すると、いろんな物語が浮かんできます。

さて、この茶碗はかなり楕円形に変形していました。
これについての物語は、次回また書きますね
名前:
コメント:

※文字化け等の原因になりますので顔文字の投稿はお控えください。

コメント利用規約に同意の上コメント投稿を行ってください。

 

  • Xでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

最新の画像もっと見る

最近の「のほほん所感」カテゴリーもっと見る

最近の記事
バックナンバー
人気記事