彼は生活保護を受けながら、五回フランスに競馬を見に行っていた。
私は以前何度もそのフランスの写真を見せてもらったことがあった。
彼はフランス語を話せないが、どうにか手振り身振りで競馬を取材しているような、その旅行を楽しんでいた。
彼はそれを良くボランティアたちに自慢していた。
そして彼は詩人でもあり、自分の作品が国会図書館にあると良く言っていた。
先週の土曜日、カレーの炊き出しを終えてから、足の不自由な白い髭を伸ばしっ切った男性がブラザーに手を引かれるように炊き出しの場所に来た。
いつも後から来た人が居ても、カレーを渡せるように、五個ぐらいのカレーは残してある、それを彼に渡した。
私は彼に声を掛け、彼の話しを聞いた。
数分後、私は彼の正体がようやく分かった。
彼は上記に書いたフランスに良く行っていた男性だった。
出会うのは数カ月ぶりだろう、その変わりようは激しく、以前の趣はなく、以前よりも話している内容も分かりづらく、その会話は支離滅裂していた。
彼は生活保護を切られ、路上生活を余儀なくされていた。
最初は役所の悪口が続いた。
ほんとうに何を言っているのかが分かりづらかったが、役所では「水でも飲んでろ!」と言われたらしい。
その前後の話しの内容までは分からなかったが、それはたぶん彼が一番傷付いた言葉だったのだろう、はっきりとした口調を憤怒をあらわにしていた。
私は彼にとりあえず座ってもらい、ゆっくりと彼の話しを聞くことにした。
彼は話したいことが床にこぼしたパチンコ玉のように相互に口に出す前にぶつかり合い、まっすぐ真意を伝えることが不可能であったが語らずには居られない心境であることは鋭く私の心を貫いた。
彼はすべてを盗まれたと言い、持ち物は何もなかった。
ただ汚れたビニール傘とふるさとの会が配っていた古着をビニール袋に入れて持っていた、そのみすぼらしい姿は死の様相をまとっているようにも見えた。
{つづく}