昨日の21時からNHK総合テレビ(意地でもGだかG1とは言わない)
映像の世紀クロニクル拡大版はなかなか良かった。
・個人的に大好きな、吉田茂が出てきたこと
・個人的に全然好きではなかった岸信介のことを知りたかったこと
・個人的によくやってくれたと思う田中角栄の若い動画を見られたこと
戦後処理、の中で日本にとって幸運だったことは
戦勝国に日本を分断占領されなかったこと(九州が中華民国)(北海道がソ連)なDとなる可能性が高かったのに、アメリカが全部自分がやると言ったこと
そして吉田茂が、的確冷静な判断をしてくれたことだと思う。吉田はアメリカも白人も怖くなくて、言うべきことはいい、折れる所は的確に折れて結果的にアメリカの占領政策はある程度の部分上手く行った。(今の言葉で言うとwin・winというやつか)後年の研究者には異論もあろうが、いま吉田茂の悪口を声高に言う世論はない
でも旧商工省の官僚で、戦犯で拘束されていた岸信介には吉田の行った安保条約が日本にとって不平等で何とか条件を緩和して日本の立場を有利にしたいとの思いがあり、またいずれは憲法改正と考えていた。だから首相になると必死で日米安全保障条約改正に全力を尽くした。岸は戦前大陸での動きもあやしかったらしいし、日本に帰って来てからも何かと画策して主流派にはなりえなかったらしいのだが、安保改正への思いにうそと邪心はなかったと思われる。
むしろ激しかったのは60年安保闘争の方で、話には聞いているが(番組ではラジオ関東の島アナウンサーの実況音声も挿入されたが)記録フィルムで見る限り物凄いものがあった。学生さんの中に樺さんのように命を落とされた女子大生も居たくらい。いくら民主主義でもこれは許されないだろう。岸は苦労したろう。
最近見た、亡くなった安倍晋三の動画に、渋谷駅前高層ビル展望台の会場挨拶で
・子供の頃よく、東急文化会館の中にあるパンテオンという映画館によく来た。いま東急文化会館はどちらの方向ですかと聞いたら笑われた。(閉鎖し、更地にしてこのビルが建っている)
・遠くまで見渡せるので(富ヶ谷にある)自分の私邸を探したが、どうも小さくて見えなかった。
・(当時の)麻生副総理(吉田茂の孫)の家は大きいのでよく見えた。
と自分を揶揄しながらスピーチを行い笑いを取っていたが、
やはり、吉田茂にはかなわない、と思っていたのではないか
また、本人が6歳くらいの時に祖父の苦労した姿を見れば、感情的にも見える反対派を(こんな人たち)と言ってしまうのにも、同情すべき点があるのだろう。
天国で岸と安倍晋太郎、安倍晋三の、祖父、父、子は今頃何を話しているのだろう
今年も、多くの皆様に、当ブログにおいでいただきありがとうございました。
いつもよりも暦の上で長めの年末年始休暇の方もいらっしゃると思いますが、お休みの間、事故やご病気などになりませんよう、どうぞよいお年をお迎えくださいませ。本年もありがとうございました。
12月31日 もりしたあき
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