gooブログはじめました!

写真付きで日記や趣味を書くならgooブログ

ヨハネを巡る旅

2024-01-03 07:36:51 | 日記
聖書: ヨハネ 16:32b 「あなたはわたしをひとりにしておきます。 しかし、私は一人ではありません、父が私とともにおられるからです。」

観察: イエスは、自分が最も必要とされているときに、友人たちが皆自分を見捨てるであろうことを知っていました。 イエスが彼らに、起きていて庭で一緒に祈るようにと言われると、彼らは眠りに落ちてしまうのです。 兵士たちがイエスを逮捕しに来ると、彼らは恐れて逃げ出すでしょう。 イエスが裁判を受けているとき、ペテロはイエスを知らないことさえ否定しました。 イエスはすでに、御父がご自分と共におられることを彼らに保証することによって、彼らが後に感じるであろう罪悪感に対処できるよう手助けしようとしているようです。

応用: 孤独を感じるときは、神がいつも私とともにおられることを思い出す必要があります。 時々、私を慰め、励ましてくれる人が周りにいるかどうかで気分が左右されてしまうこともあります。 話し相手がいないと落ち込んでしまい、落胆してしまいます。 神が私たちを他の人々のコミュニティを望み、必要とするように設計されたのは事実ですが、結局のところ、必要なときにいつでも私を助けてくれる人間関係はありません。 ですから、常に私のためにそこにいてくださる唯一の神から、最も深い慰めと友を得る習慣を身につけなければなりません。

祈り: 主よ、あなたの変わらぬご尽力に感謝します。 あなたがいつも私のためにそこにいて、いつも私を愛してくれて、いつも耳を傾けてくれて、いつも私の心配事を気遣ってくれていることに感謝します。 あなたは私にとても良くしてくれます。 あなたは本当に私にとって最高の友達です。 愛してます。 アーメン。

注目すべき真実:
16:7 聖霊があることは、イエスが地上に肉体を持って生きていることよりも優れています。なぜなら、イエスは一度に一か所にしかおられませんが、聖霊はいつも私たちとともにおられるからです。
16:8-11 聖霊の働きは、人々に私たちの罪と罪、そして私たちがいつか神によって裁かれるという事実を知らせ、それによって私たちがイエスの義を受けられるようにすることです。
16:13 聖霊も私たちを真理に導き、イエスの考えを教えてくださいます。
16:16 ff キリストに従う者にとって、地上での生活は時には困難なこともありますが、私たちは、イエスがいつか戻ってきてすべてを正してくださるという確信を持っています。
16:23-24 イエスは私たちに、祈りによって願いや懸念を神に伝えるよう勧め、神は私たちの祈りに応えてくださると約束されました。
16:28 イエスは、地上に生まれる前から父とともにおられましたが、死んで復活した後、再び父とともにおられました。
16:33 イエスは、ご自分に従えば私たちの悩みがなくなるとは決して約束されませんでした。 実際、彼は逆のことを約束しました。 しかし、最終的にイエスが世の悪を克服されたことを知っていると、私たちは困難の真っ只中でも心の平安を得ることができます。

‭‭ヨハネによる福音書‬ ‭16:1‭-‬33‬ ‭新共同訳‬‬ [1] これらのことを話したのは、あなたがたをつまずかせないためである。 [2] 人々はあなたがたを会堂から追放するだろう。しかも、あなたがたを殺す者が皆、自分は神に奉仕していると考える時が来る。 [3] 彼らがこういうことをするのは、父をもわたしをも知らないからである。 [4] しかし、これらのことを話したのは、その時が来たときに、わたしが語ったということをあなたがたに思い出させるためである。」 「初めからこれらのことを言わなかったのは、わたしがあなたがたと一緒にいたからである。 [5] 今わたしは、わたしをお遣わしになった方のもとに行こうとしているが、あなたがたはだれも、『どこへ行くのか』と尋ねない。 [6] むしろ、わたしがこれらのことを話したので、あなたがたの心は悲しみで満たされている。 [7] しかし、実を言うと、わたしが去って行くのは、あなたがたのためになる。わたしが去って行かなければ、弁護者はあなたがたのところに来ないからである。わたしが行けば、弁護者をあなたがたのところに送る。 [8] その方が来れば、罪について、義について、また、裁きについて、世の誤りを明らかにする。 [9] 罪についてとは、彼らがわたしを信じないこと、 [10] 義についてとは、わたしが父のもとに行き、あなたがたがもはやわたしを見なくなること、 [11] また、裁きについてとは、この世の支配者が断罪されることである。 [12] 言っておきたいことは、まだたくさんあるが、今、あなたがたには理解できない。 [13] しかし、その方、すなわち、真理の霊が来ると、あなたがたを導いて真理をことごとく悟らせる。その方は、自分から語るのではなく、聞いたことを語り、また、これから起こることをあなたがたに告げるからである。 [14] その方はわたしに栄光を与える。わたしのものを受けて、あなたがたに告げるからである。 [15] 父が持っておられるものはすべて、わたしのものである。だから、わたしは、『その方がわたしのものを受けて、あなたがたに告げる』と言ったのである。」 [16] 「しばらくすると、あなたがたはもうわたしを見なくなるが、またしばらくすると、わたしを見るようになる。」 [17] そこで、弟子たちのある者は互いに言った。「『しばらくすると、あなたがたはわたしを見なくなるが、またしばらくすると、わたしを見るようになる』とか、『父のもとに行く』とか言っておられるのは、何のことだろう。」 [18] また、言った。「『しばらくすると』と言っておられるのは、何のことだろう。何を話しておられるのか分からない。」 [19] イエスは、彼らが尋ねたがっているのを知って言われた。「『しばらくすると、あなたがたはわたしを見なくなるが、またしばらくすると、わたしを見るようになる』と、わたしが言ったことについて、論じ合っているのか。 [20] はっきり言っておく。あなたがたは泣いて悲嘆に暮れるが、世は喜ぶ。あなたがたは悲しむが、その悲しみは喜びに変わる。 [21] 女は子供を産むとき、苦しむものだ。自分の時が来たからである。しかし、子供が生まれると、一人の人間が世に生まれ出た喜びのために、もはやその苦痛を思い出さない。 [22] ところで、今はあなたがたも、悲しんでいる。しかし、わたしは再びあなたがたと会い、あなたがたは心から喜ぶことになる。その喜びをあなたがたから奪い去る者はいない。 [23] その日には、あなたがたはもはや、わたしに何も尋ねない。はっきり言っておく。あなたがたがわたしの名によって何かを父に願うならば、父はお与えになる。 [24] 今までは、あなたがたはわたしの名によっては何も願わなかった。願いなさい。そうすれば与えられ、あなたがたは喜びで満たされる。」 [25] 「わたしはこれらのことを、たとえを用いて話してきた。もはやたとえによらず、はっきり父について知らせる時が来る。 [26] その日には、あなたがたはわたしの名によって願うことになる。わたしがあなたがたのために父に願ってあげる、とは言わない。 [27] 父御自身が、あなたがたを愛しておられるのである。あなたがたが、わたしを愛し、わたしが神のもとから出て来たことを信じたからである。 [28] わたしは父のもとから出て、世に来たが、今、世を去って、父のもとに行く。」 [29] 弟子たちは言った。「今は、はっきりとお話しになり、少しもたとえを用いられません。 [30] あなたが何でもご存じで、だれもお尋ねする必要のないことが、今、分かりました。これによって、あなたが神のもとから来られたと、わたしたちは信じます。」 [31] イエスはお答えになった。「今ようやく、信じるようになったのか。 [32] だが、あなたがたが散らされて自分の家に帰ってしまい、わたしをひとりきりにする時が来る。いや、既に来ている。しかし、わたしはひとりではない。父が、共にいてくださるからだ。 [33] これらのことを話したのは、あなたがたがわたしによって平和を得るためである。あなたがたには世で苦難がある。しかし、勇気を出しなさい。わたしは既に世に勝っている。」


最新の画像もっと見る

コメントを投稿