完全と平和
あなたの人生に何が起こっても、心配することを拒否し、代わりに神を信頼することができます。
ローマの信徒への手紙 5:1-5 新共同訳
[1] このように、わたしたちは信仰によって義とされたのだから、わたしたちの主イエス・キリストによって神との間に平和を得ており、 [2] このキリストのお陰で、今の恵みに信仰によって導き入れられ、神の栄光にあずかる希望を誇りにしています。 [3] そればかりでなく、苦難をも誇りとします。わたしたちは知っているのです、苦難は忍耐を、 [4] 忍耐は練達を、練達は希望を生むということを。 [5] 希望はわたしたちを欺くことがありません。わたしたちに与えられた聖霊によって、神の愛がわたしたちの心に注がれているからです。
今日の箇所で使徒パウロは、忍耐、人格、希望など、信者が艱難に直面したときに得られる多くの良いことを挙げています。 3 節と 4 節でこれらの祝福が重なり合っている様子は、この箇所を非常に引用しやすく、楽しく覚えられるものにしています。しかし、これらすべてのプラスの利益の根本にあるものを見落としてはなりません。
それは1節にあります:「私たちは、私たちの主イエス・キリストを通して神との間に平和を持っています。」(強調追加)。 「平和」と訳されているギリシャ語はエイレーネで、これは動詞エイロの派生語で、「結合する、一つに結びつける」という意味です。主の寛大な救いの申し出に「はい」と答えたとき、自分自身の砕けた部分はすべて元に戻りました。すべての隙間が埋まりました。今では何も欠けていないし、壊れているものもありません。
その絶対的な正しさ、つまり平和は「すべての理解を超えています」(ピリピ 4:7)。イエスが嵐に揺れる船の中で眠ったとき、周囲で何が起こっていても安全で安らかな状態であることを実証されました(マタイ 8:24-26)。これは私たちが住まうよう求められている平和であり、それを切実に必要としている他の人々に届けられるよう求められています。
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