七田チャイルドアカデミー札幌幼稚舎

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母と子

2010年07月30日 | その他
Number 12/24号より

鄭大世(チョンテセ)
1984年生まれ。25歳。愛知県生まれ。在日朝鮮人3世。2006年川崎フロンターレ入団。3年連続二桁ゴールを達成。2007年北朝鮮代表デビュー。北朝鮮、44年ぶりのワールドカップ出場の立役者。

 北朝鮮で生まれ育った選手の価値観を理解できず、チームに馴染めなかった。ピッチでもなかなかボールが回ってこず、本来の力を発揮できなかった。日本のJリーグと比べると、明らかに見劣りした環境面にも不満があった。昨年6月の韓国戦ではそうした不満を爆発させて自分勝手な行動をとり、チーム関係者から「そんな態度ではもう二度と代表に呼ばないぞ」と窘(たしな)められた。しかし反省の素振りは見せず、むしろ、「だったら、もう代表には行きたくない」と反論したのだ。

 そんな自暴自棄になっていた自分を本気で戒めてくれたのも、やはり母だった。それも、いつものように優しい言葉をかけてくれたのではない。名古屋から新幹線に飛び乗りわざわざ川崎までやってきて、いつになく強く咎められた。生まれて初めて受けた母の叱り。それが息子にはかなりこたえた。

 「自分を見失っている。いったい何様のつもり? 在日同胞の代表であることを忘れないでって・・・。多くを語ることはないけど、オモニ(母)はいつもオレの心の核心部分をズバッと突いてくる。あの一言で、変わらなきゃと痛感した。」

 実際、それからの鄭大世は変わった。環境や待遇への不平不満を一切漏らさなくなり、チームメートの中にも積極的に飛び込んだ。プレースタイルも変えた。パスが回ってこないなら、自分がパサーになり、味方のためのスペースを捻出しようと囮にもなった。気がつくと、チームに愛着を抱いている自分がいた。

 「それまでのオレは代表をちょっと見下していたところもあった。でも、アイツらのほうがサッカーに純粋で、見習うべきことが多かった。要求ばかりしていた自分が恥ずかしかったし、このチームでワールドカップに行きたいと心底思えるようになった。」
 だから、ワールドカップ出場を決めたときには涙が止まらなかった。母はその涙こそ、息子の成長の証だと考えている。

 「今年はいろいろあったでしょ。以前のテセだったら、もっと愚痴や不満をぶちまけて、感情的になっていたと思うんです。でも、今年は辛抱強く耐えて、自分をコントロールしようとしていた。それは代表での試練を乗り越えたからこそ、だと思うんです。今年の姿を見ると、大人になったなぁという嬉しさと、私の知らないテセになっていく寂しさ。両方の感情がこみ上げてきますね。」

 その言葉には複雑な母心が滲(にじ)んでいたが、鄭大世はこれからも母との絆を深めていくだろう。彼だけではない。たとえ大人になっても、母と子の関係は永遠なのだ。まして鄭大世にとって母は、ときに自分を励まし、ときに自分を正してくれる存在でもある。彼はかけがえのない母をこう表現する。

 「オレが間違っているときは間違っていると気付かせてくれるし、悩みに迷ったときは導いてくれる。自分で答えがわかっているときも、オモニに再確認しているオレもいるし。そのとき、その瞬間のオレの姿をありのままに映し出し、進むべき道やヒントを示してくれるオモニは、オレの鏡なのかもしれない。」

 鄭大世は最近ふと思うことがある。どうしたら母を喜ばせることができるだろうか、と。
 今年は母の小言を聞くのが面倒で、試合前後に携帯の着信があっても、なかなかバックしなかった。メールも返さない。プロとしてゴールという形で結果を残せるようになったが、「心からの親孝行はまだできていない」とも思う。

 だから来年こそは目一杯の親孝行がしたい。大世という名は、「世界に大きく羽ばたいてほしい」という願いを込めて、母が出産直後に付けた名だが、くしくも来年は世界の舞台が待っている。ワールドカップ。南アフリカの地から最高のプレゼントを母に届けたいと、鄭大世は密かに誓っている。
 「ワールドカップで活躍したら、たまにはオレからオモニに電話してみようかな」



ワールドカップ、北朝鮮の初戦、鄭大世選手は試合開始前の国歌斉唱のときにすでに泣きじゃくっていましたね。このエピソードを知っていたので、余計、感動しました!


心が変われば態度が変わる 
態度が変われば行動が変わる 
行動が変われば習慣が変わる 
習慣が変われば人格が変わる 
人格が変われば運命が変わる 
運命が変われば人生が変わる
(ヒンズー経典より)


すてきな母と子のエピソードですね!

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