それでは、ロバートとはどんな人なのか?以下、英語版のWikipediaを要約・編集して示します。
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ヘンリー・マーティン・ロバート(Henry Martyn Robert。以下、ロバート)は、1837年5月2日 にサウスカロライナ州ロバートヴィルで生を受け、オハイオ州で育った。彼は成長して、陸軍士官学校に入学し、1857年にクラス4位の成績でそこを卒業した。陸軍では工科部隊に属し、多くの成果をあげ、旅団将軍(Brigade General)に任ぜられ、1901年5月2日に退役した。1923年5月11日に没している。
ロバートはマサチューセッツ州の第一バプティスト教会で教会の会合の議事進行をおこなったが、地元を守ることへの懸念から、会合はあからさまな対立に発展した。ロバートは、教会の会合での自分の力のなさを痛感し、他の会合に出席する前に、議会手続きについて学ぶことを決意した。この経験に基づいてロバートは、1876年にPocket Manual of Rules of Order for Deliberative Assemblies(審議を行う会合のための議会規則携帯マニュアル)を出版した。このマニュアルは後にRobert’s Rules of Order(ロバート会議規則)と呼ばれる。この規則は、米国下院で使用されている手続きを緩やかに基にしているが、国や州の議会で使用することを意図したものではない。Robert’s Rules of Orderは、今日でも米国で最も一般的な会議運営法である。
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ロバートさんは、軍人であり然も技術者なんですね。ちょっとびっくりです。
ロバート会議規則は日本でも青年会議所が会議運営に使っていると聞いています。
さて次からはロバート会議規則の内容に入ります。