「僕がビルを買ったワケ」一也blog

2007年スタート 
「PTA会長blog」としてスタートし、その後「個人」「不動産投資」「新宿44支配人」として継続

心の闇

2011年12月30日 20時07分28秒 | 元会長
誰かがいった
流されてゆく人々をみて
この世には神も仏もないと


心の闇というのは、別に特別なことじゃない 
多かれ少なかれ、誰もが抱えてることで
それを表に出すか、隠すか
意識するかしないか、それらはともかくとして
皆どうにか自分の中で折り合いをつけて生きている

しかし、俺の母親は自殺してしまった
うまく折り合いをつけられず、袋小路にはまってしまったのだろうか

1998年12月
そりゃ裕福ではないけど、すぐに食うに困るような状態ではなく
そりゃすこぶる健康ではないけど、普通に日常生活は送れる
なのに、自ら命を絶つ 
世間からすれば、甘えだとか、逃げだとか、弱い人間だとか、命を粗末にしてるとか
そう、怒られるだろうか

世間では、死はまるで敗北で 
自殺は、まるで悪のように言われる 
愚かで、まるで罪でも犯したかのように
そして 哀れむ

俺は、感謝している
母親は最後に、自らの死でもって、俺に、死を教えた

死を意識すると
まるで世間ではネガティブのように言われる
まるで不謹慎な
まるで口にしてはならないタブーのように言われ 
絶対に死んではならない!生きるのがすべて!絶対に生きなさい!
口を揃えてそういう
絶対に生きなさい!!!

そうやって、多くの人間は、“死なない”つもりで生きてる
いや、ほんの1ミリ位は意識するかな?そりゃそうだ、人間はいつか必ず死ぬ
そのくらいは小学生でも知ってる しかし、それははるかはるかもっともっと先のことだろう?80歳?90歳?100歳?ま、そんな感じだろうか?

絶対に死んではならない
絶対に生きねばならない
これって結構なプレッシャーで
なにがなんでも生きるために
やりたくないことをやるしかない

例えばだけど、“最悪死ねばいい”
そんな考え方は、やはり怒られるだろうか

昔、松田優作主演の探偵物語というドラマのテーマ曲で
“運が悪けりゃ死ぬだけさ、死ぬだけさ”
そんな歌詞があったっけ
あれって、すごくポジティブな歌だと俺は思う
運が悪けりゃ死ぬだけさ
なんて元気が出るお言葉
絶対に生きねばならないというプレッシャーから開放される

ただ飯食って、うんこして、ダラダラ生きていても、それは生きているんじゃない、生かされている 
極論だけど、たとえ生き残る為なら、人を蹴落としてでも、人を裏切ってでも、人を殺してでも、それでも生きることがすべてか?
いいや、そうじゃない
最後まで、マイクを離さず警報を告げ続けた若者は、確かに自殺行為だったけど、愚かか?哀れか?負け組みとでも言うのか?
そんな訳がない!!!
死んででも、誇りと信念を貫くことは、ダラダラ長生きする100年より、余程生きている
要は、いかに生きて、いかに死ぬかが大事であって
ただ生きることだけが素晴らしいとは言わないでほしい
そして必要以上に哀れまないでほしい
死ぬことで、生きることもあるんだって
場合によっては、自ら死ぬ時期を、死に場所を、決めることもあるんだって

誰かがいった
流されてゆく人々をみて
この世には神も仏もないと

そうかな
俺は神も仏もちゃんと存在すると思う
一人、一人
人それぞれ 心の中に

生きたいように生きて
死にたいように死んだ

俺は、母親を尊敬している
コメント
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