「僕がビルを買ったワケ」一也blog

2007年スタート 
「PTA会長blog」としてスタートし、その後「個人」「不動産投資」「新宿44支配人」として継続

PTA season2 いじめだけはどうしても・・(第三回運営委員会挨拶文)

2012年10月16日 11時32分37秒 | 会長‐season2
改めまして、今年度石神井南中学校PTA会長を務めます早藤と申します。
つたない私ですが何卒お力添えを宜しくお願いします
保護者の皆様、日々のPTA活動お疲れ様です。
今年度のPTA活動もようやく折り返しとなりました。残りの半分も、何卒ご理解ご協力の程宜しくお願い申し上げます。
この場をお借りして、僭越ながら私の活動報告と、様々な課題に対する思いを記させて頂きます。

今年度PTAでは、昨年の3.11レベルの万一の震災に備え、現在、生徒と教職員の最低限の食料備蓄を計画しております。
現在備蓄されております中には生徒分は含まれておらず、万一の食料確保が懸念されておりました。
それを踏まえ、他校では既に準備されているPTAもあり、情報を交換しながら当PTAでも着手した次第です。何卒ご協力の程宜しくお願いします。

中P連の方では、現在小P連と連携して、練馬区からの緊急時における一斉配信メールのシステム導入を要望しております。早ければ来年度から導入される見通しです。
しかしながら、3.11レベルの大災害の場合は携帯も機能しませんし、メールもアテには出来ません。
そんな時に、唯一機能していたのはインターネットです。
3.11の際にはフェイスブック等が活躍したと聞きますが、私としては折角ある学校のホームページをもっと活用すべきと考えます。
ホームページは、副校長先生が、小まめに最新情報をアップしてくれています。
3.11レベルの場合、電話もメールも機能しない中でも、まずはホームページを見るという癖をつけることで、子供は無事か?果たして子供を残すのか?それとも帰すのか?そのような保護者にとって一番気になる情報をいち早く得られると思います。
身近なところでは、例えば天気が微妙な時に果たして運動会が決行か中止か等、小まめにホームページをチェックし活用することでホームページからの情報への信頼感も培えると思います。

いじめ問題についてですが、昨今の連続する中学生の自殺に、私も一人の親として胸が張り裂けん思いと、深い憤りを感じます。
“いじめる側”“いじめられる側”そしてそれを“ただ見てる側”
この三者の中で、私は幼少時代に“いじめられる側”と“ただ見てる側”の二者を体験したことがあります。
大変個人的な話で恐縮ですが、幼少時代、私の家は母子家庭で貧しく、家に風呂が無い事で“貧乏”などという卑劣なあだ名をつけられ辛い思いをしました。
その後引っ越しを期に私の状況は変わったのですが、今度は別の子が、同じように“貧乏”などとあだ名を付けられ苦しんでいたのです。
しかし、私は助ける事が出来なかった。
その時の私は“ただ見てるだけ”でした。
本来なら、私がその子の痛みを一番分かってあげられる筈なのに。
私は、何十年経っても未だに後悔し、その当時の自分を心から恥じております。私にとってはいじめられた事以上に心の傷となったのです。
私は、記憶が蘇る度に、心の中で
「ふざけんじゃねえ!」
大声で叫びます。
子供の小さなキャパシティの中でこの世の全てともいえる“学校”
40年生きてきて、確実に言えることは、決してそこが“全て”ではないということ。
だから、たとえまたいじめられる側になったとしても、リーダー格にぶん殴られたとしても
私は私を貫くべきだった
私は自分で自分の誇りを踏みにじったのです
人間には必ず良心がある
いじめる側いじめられる側だけでなく、ただ見てるだけの側にも深い傷を残す事を子供達に伝えたいです
この場を借りて子供達へ

長い長い人生にとって、学校は全てじゃない、どうせあっという間に過ぎる通過点なのだから、ならば、勇気を持とう!!
自分の心に、聞いてみて
実はうしろめたい自分はいないかい?
本当は、頭では分かっているのに、出来ていないことはないかい?
誰にも言えない、真実(ホントウ)のこと
自分にしか分からない、本当の自分に
一人の時に、聞いてみて
本当にすべきことは?そしてもしそれが出来ないのならばその理由は?
実は臆病な自分がいないかい?
一度、臆病を自分で受け入れてしまったら、ずっとずっとそれを背負わねばならない
「私は臆病者なのだと」
人にはそうじゃないフリが出来ても、自分自信は決してごまかせない
きっと無防備な時に出てくるよ、眠っている時とかにね
「実は、私は臆病者だ・・」
自分が自分にそう言うんだ、夢の中でね
自分で自分をごまかすような生き方は、必ず一生しこりとなって残るから
自分に恥じない生き方を
そこが“全て”ではないのだから

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2012年10月16日 11時00分41秒 | 個人的

う~ん・・
俺が変なのだろうか

このブログでも、何年も前から度々書いてきた 例の親友のことなんだけど
最初の内は、遺族の方々からも 「忘れないでいてくれてありがとう」なんて言われたり
別にお礼言われる筋合いはないのだけれど

しかし
なんていうのかな、人間というのはどんなに怪我をしても、どんなに傷ついても、長い時間をかけて修復しようとする力があるんだなぁ
よく言えば
ていうか、そうするしかないんだよね 生きていく以上
むしろ、引きづってる方がおかしい、んだよね多分一般的には
遺族の人達からも、連絡こなくなったなぁ 最近は

多分、俺がおかしいんだろうな

でも、タクのことを思い出したら、楽になるんだよ
生きる勇気がでるんだ だから
ひきづってるんじゃないと思う
多分頼ってるんだ

つまらない映画をみていて それでも多くの人は我慢して最後までみようとする
お金がもったいないから?道徳上のルールだから?

彼はあっさり途中で出て行った

えーっと・・あとは
ワープ?みたいな感じかな
かけっこ?確かに出遅れた ビリになってしまった
なにくそ最後の手段、ワープ!
白い紐のゴール の、更にもっと向こうの
更に更にもっともっと向こうのゴールへひとっ飛び

絶対に負けは許されない彼の辞書
彼のプライドはこれで保たれた つまり尊厳死

話も飛躍してひとっ飛び!!!

どっかの誰かが
「死でもって罪を償います」だあ?????
ふざけんじゃねええええええええ!!!!!

死は、罰か?じゃあなにか?死にゆく人はみんな罰を受けてるとでも言うのか

一番辛いのは、生きることなんだよ
だから
‘じ~んせい楽ありゃ、く~もあ~る~さ~’
たまには幸せもあるわけで まっとうに生きてさえいればだけど
罪人には、苦の人生を与えればいい 何故に安楽死させる必要がある
本当に死にたい人には安楽死を認めないくせに
寝たきりの人や 植物人間の人や 不治の病の人や そしてその家族達は
この世にない生き地獄を味わっているというのに
頭ごなしに生きろ生きろと
とにかく生きることが全てとばかりに押し付けて
罪人はあっさり楽にしてやるなんて
こんな不条理があるか

安楽死を認めてごらん 逆に自殺は減る筈、うまくいけば犯罪も減るかもしれない(何がなんでも(何をしてでも)生きなきゃいけないという論理から犯罪は生まれる)
もちろん全員じゃなくていい ある一定の条件を満たした者だけ
本人の意思は勿論だけど、家族の同意や、更には第三者がしっかりと審査して客観的にも認定した場合だけでいい
‘確かにこの人は生き地獄を味わっている’と
今の世の論理では‘死だけは自らコントロールができない’ということになる
自殺を除いてだけど でも、自殺はいけないことなんでしょ?
となれば、ゴールを定めず永遠に生き続けるような感覚で生きろということになる
しかし永遠に生き続けることだけは絶対にない【絶対に】

今の世の中は自殺はいけないと言いながらも、実質それは仕方ないと認めているようなもので(特にそれに対して刑罰はないから 誰かに迷惑かけたなら残された遺族に賠償責任はあるだろうけど)
極端に言い換えれば、死を自由化している訳で
それもどうなの?と逆に思ったりするわけですよ
そこらじゅうで勝手に、時と場所を選ばず、気の向くままに、しかも自己流で死なれたら、時には他人に多大な迷惑をかけることもあるし、それこそ生死倫理に対して示しがつかないんじゃない?それならいっそ、国がしっかり‘死’も管理すべきなんじゃないのか

ある寝たきりの人と話した時 彼はこう言った
「皆、頑張ろうとか、頑張ってとか言うけど これ以上どう頑張れというのだ 周りに迷惑をかけて 異臭をばら撒いて 生き恥さらして いっそ死んでしまいたいが 首から下が動かないから自殺すらできない 私にとって‘頑張れ’とは、ただ‘我慢しろ’という言葉にしか聞こえず 我慢の人生 もはや私は私ではない 生きているのではなく、ただ無理やり生かされている屍 この生き地獄は、もはや天罰だと受け止め 日々、ただひたすら我慢をし 神から許され、迎えが来るのをただひたすら待っている」

何度か首をしめようとしたが 出来なかった やるのはいいが 正直なところ、殺人で捕まりたくない つまり俺は、この人の安楽より、自分の保身をとった
とどのつまり、結局みんな自分が大事 そのために生き地獄を味わってる人が目の前にいる
スイマセン、ごめんなさい、とにかく頑張りましょう、あ、それは言っちゃいけない言葉だった、あ、いや、スイマセン!、とにかくスイマセン!! 

いいんだよ、と彼はいった

人間の尊厳を奪ってまで、どんなに恥を曝しても、とにかく生きろと?
そんなに生きるって正義なのかなぁ?ホントかなぁ????
絶対に解決することのない、膨大なストレス
この人のストレス、想像つきます?

俺はこう思うんだよなぁ
そのシステムがあるだけで、死を身近に意識し、逆に生きようとするのではないか
生き地獄であり、更に自殺をする事も出来ない人にとっては、最後の最後の‘逃げ道’となる
人生には逃げ道が必要なのだ
逃げ道とは、時に‘希望’ともいわれる

この世の獄刑は
半殺し
生き地獄

馬鹿が 未だに死を恐れ、自分達とは無縁だと思ってやがる平和な人達が
死を獄刑だと思ってやがる
死んだこともないくせに
ていうか、どうせそのうちみんな死ぬのに

多分、死んだあとに気づくよ
あれ??全然獄刑ちゃうやん!!!???むしろ幸せに導いてるやん!!!あかんやん!!!!
なんて
この世でいうあの世の概念なんて何の根拠もないので
こんな後悔の仕方もあるんだかないんだか 
なんだかんだいって俺も死んだことないし
でもどうすんだよ、万が一この世に無いパラダイスが待っていたら
あー死ねて良かったって話になっちゃうだろうが どう責任とんだおい!!?
万一、宅間が悠々自適でパラダイス送ってたらどう責任とんだおい!!!!???
死んだことないんだから、絶対無いとは言い切れないだろ
誰も死んだことなんかないんだから

どんなに科学が進歩しても こればっかりはどんな高学歴な天才秀才でも どんなにお偉い方々でも どんなにいーとこのお坊ちゃまでも
こればっかりはね
‘絶対’に、やった者にしか分からない 【絶対に!!】
だから、救われるんだと思う
どんな蔑みを受ける者も、虐げられし者も
最後の逃げ道がないとね
最後の大逆転がないとね

なんだっけ 何かの映画でみた
‘Eカード’というゲーム
カードは、皇帝、市民、奴隷の三種類
市民は奴隷より当然強い
皇帝はその市民より当然強い
しかし
奴隷はもたざる者、虐げられし者、しかし だがゆえに失うものはなにもない だから
皇帝にだけは、勝つ

そう
奴隷には、最後の手段があるのさ
市民にはとうてい想像もつかないような
だから、ワープして皇帝をもぶっちぎり!!
ってとこだよね、タク

お前は、最後の最後に、最後の手段で 勝った
確かに、勝った

いまごろ、どっかから見て、笑ってるかな
「一也はまだそんなとこをグズグズと走ってるのか のろまだな 勇気がないな」
そうだ 
俺は勇気がない
だからいつまでも、同じところをグズグズと走ってる
しかしな、いつか必ず追いつくよ これだけは【絶対に!!】


う~ん、、まあ俺が変なんだろうけどね 市民からみたらね
でも俺は思い出す 一般的には引きづってるともいう
多分、これからもずっと


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