ペルセポリスの観光も 終わりになり、大急ぎで回ったように感じますが、ここは2日間かけて
観光できたので、ラッキーでした。ヨルダンのペトラ遺跡、シリアのパルミラ遺跡と共に中東の
3Pといわれるなかでは、規模は一番小さいように思いました。それはラフマト山の麓に高さ
8m~18mの大基壇を築き、その上に総面積が12万5千平方Kmの敷地内に 大宮殿群が
建設されていたところですから他の都市国家とは規模は違うのでしょう。でも、アバダーナの
階段の 各国の使節団のレリーフは 見ごたえがありました。服装や持ち物でペルシャ人や
メディア人、バビロニア人、フェニキア人と分かれて描かれているのが面白かったです。ただ、
長い間、保存状態もあまり良くなかったのと、イスラム過激派の 影響でしようか? 宮殿内の
壁や門に描かれているレリーフも 顔の部分が 主に削られていて、はっきりと見えないものも
多くあったのは残念に思いました。旅も4日目、この後 パサルガダエの遺跡に向かいました。
パサルガダエは イラン系ペルシャの王家 アケメネス家のキュロス大王が 紀元前550年に
メディア人を破りペルシャ帝国発祥の地としました。また大王は 征服した他民族に対しても
寛容で高潔な指導者であったようです。その後、王位を得たダレイオス1世が引継ぎました。
今は見渡す限りの広大な荒地に ポツンと宮殿跡やお墓があります。しかし当時は張り巡ら
された 水路 によって 緑豊かな 美しい宮殿 であったようです。 マウスオンで 御覧下さい
<キュロス大王の墓> | ||
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