SHINKO の ブログ日誌

今日を大切に生き、明日を信じて未来を語りたい …

7/10 旅の4日目、ヤズドの 沈黙の塔 へ

2008-08-18 | 旅行

旅も4日目の午後に ゾロアスター教徒が鳥葬、風葬の場として使用した沈黙の塔へ参りました
草木も無い岩山の丘の上に円形と方形の二つの塔があり、ゾロアスター教徒の死体安置所です
ササーン朝から使われていて、50年前にこの伝統は終わりになりました。火以外に水や 土も
神聖なものと みなされ、火葬や土葬も嫌われたので鳥葬、風葬が採られました。魂が鳥と共に
天高く飛翔するために という思いもあるのでしょうが、少し不気味で寂しく、物悲しく感じました。
サムネール写真をクリックで御覧下さい。

<沈黙の塔 左は男性用で右側は女性用
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ゾロアスターの拝火教神殿

2008-08-18 | 旅行

ゾロアスター教は紀元前7世紀末~6世紀初頭のゾロアスターにより唱えられた善と悪の二元論的一神教です。
世界の終末に救い主が現れて、神の裁きが行われ、悪は滅ぶという。火を神聖視するので拝火教と呼ばれる。
アケメネス朝ペルシャの王たちはゾロアスター教を信奉していたことが碑文などから、うかがえるが、ササーン朝
では国教と位置付けられた。しかしイスラム教が勢力を伸ばし追い詰められてゆき 最後の砦となったのが、ここ
砂漠に囲まれた ヤズドの地でした。現在ここの教徒は1万2千人、全イラン教徒の半数以上の数になるという。
ケルマン通りにあるここの神殿に1500年以上燃え続けている聖火がある。ガラス越の撮影で反射してしまい、
人物等が写ってよく分からない写真になってしまいましたが…。画像の釦クリックで御覧下さい。

<ゾロアスター教の 創造主アフラ・マズダ像>
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ヤズドの町

2008-08-17 | 旅行

ヤズドは イランの中央部に位置しており 四季がはっきりしている。イスラム時代初期は
アレキサンダー大王の 監獄として知られていた。642年頃、アラビア軍に征服された後
シルクロードの中継基地として栄えた。マルコポーロが訪れた14~15世紀頃が最盛期
であった。民家の屋上でよく見かける空冷式塔(風塔)は屋上をわたる風をとらえて下の
住居の地下に溜めた水で 冷やして涼をとる施設で 40℃を越える暑さの砂漠乾燥地の
天然のクーラです。 暑い土地での 生活の知恵ですね! 感心すること ばかりです。


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アミール・チャグマーグのタキイエ、15世紀の寺院やバザールの総合施設
<>><<画像番号:1




イランで最も古い砂漠都市、ヤズド へ

2008-08-17 | 旅行

旅行日記もあまり、時間を空けると記憶が薄れて頭の中が混乱するので、少しづつ再開してゆこうと思います。
ペルシャ帝国の首都、パサルガダエからヤズドへ向かう長いドライブの途中にソロモンの牢獄を道路より見る。
紀元前9世紀の神殿跡で円錐形の岩山頂上の切り立った崖の上にあり、ソロモン王の牢獄と言われる風景に
ぴったりである。アバルクの町~タフトの町を抜けいよいよ、ヤズド州へと入りました。まずは(金曜のモスク)へ 
18世紀に建てられ イラン国内でも最も高いミナレット(52m)を持つ、細かなタイル装飾が見事なモスクです。




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ソロモンの牢獄


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パサルガダエ のお花達

2008-08-05 | 旅行

アケメネス朝ペルシャ帝国を開き、パサルガダエを最初の首都とした、キュロス大王は
エジプトを除くオリエントを支配する世界帝国を築きました。彼は傑出した指導者であり
有能な戦術家 であったが、また彼ほど高潔な名声 を後世に残した国王はいません。
写真をクリックして浮かぶスライドショーを御覧下さい。









7/10 4日目、パサルガダエの遺跡へ

2008-08-04 | 旅行

ペルセポリスの観光も 終わりになり、大急ぎで回ったように感じますが、ここは2日間かけて
観光できたので、ラッキーでした。ヨルダンのペトラ遺跡、シリアのパルミラ遺跡と共に中東の
3Pといわれるなかでは、規模は一番小さいように思いました。それはラフマト山の麓に高さ
8m~18mの大基壇を築き、その上に総面積が12万5千平方Kmの敷地内に 大宮殿群が
建設されていたところですから他の都市国家とは規模は違うのでしょう。でも、アバダーナの
階段の 各国の使節団のレリーフは 見ごたえがありました。服装や持ち物でペルシャ人や
メディア人、バビロニア人、フェニキア人と分かれて描かれているのが面白かったです。ただ、
長い間、保存状態もあまり良くなかったのと、イスラム過激派の 影響でしようか? 宮殿内の
壁や門に描かれているレリーフも 顔の部分が 主に削られていて、はっきりと見えないものも
多くあったのは残念に思いました。旅も4日目、この後 パサルガダエの遺跡に向かいました。
パサルガダエは イラン系ペルシャの王家 アケメネス家のキュロス大王が 紀元前550年に
メディア人を破りペルシャ帝国発祥の地としました。また大王は 征服した他民族に対しても
寛容で高潔な指導者であったようです。その後、王位を得たダレイオス1世が引継ぎました。
今は見渡す限りの広大な荒地に ポツンと宮殿跡やお墓があります。しかし当時は張り巡ら
された 水路 によって 緑豊かな 美しい宮殿 であったようです。  マウスオンで 御覧下さい


<キュロス大王の墓>
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ペルセポリスの 王墓

2008-08-01 | 旅行
ペルセポリスは紀元前520年ごろ、アケメネス朝のダレイオス1世の命により建造を始めた都市である
その子クセルクセス1世に建築活動が引き継がれる。アルタクセルクセス1世→アルタクセルクセス2世
以後も歴代の王たちが増築や改築をした。紀元前331年アレキサンダー大王が陥落する。火をつけて
焼き討ちにして、百柱の間より出火した。また、宮殿の内部や門の上に、ゾロアスター教のシンボル、
アフラ・マズダを幾つも見た。王の頭上にも飾っていた。ゾロアスター教の最高神であり創造神である。
墳墓の上にもあった。ライオンが 牝牛に噛みついている図は、ライオン(王)を善、牝牛を悪の象徴と
みなして 最後には 善が悪に打ち勝つ、という、ゾロアスター教の 善悪二元論を あらわしていると
いわれるが王の力を誇示しているのだろうと感じました。サムネール写真にマウスオンで御覧下さい。


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<ダレイオス1世の宮殿

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