形之医学・しんそう療方 小石川院長 エッセー

昭和の頃、自然と野遊び、健康と医療のことなど。

おでんの屋台

2013-10-10 19:24:07 | Weblog

子どもの頃、町を流して歩く屋台といえば、私の住んでいたところでは、
おでんの屋台だった。 おでんは冬のもののようだが、夏でも屋台は
出ていた。 他には秋から冬のあいだは、焼き芋屋のリヤカーが来た。
チャルメラを吹くラーメンの屋台は、もっとあとで見かけるようになる。

おでんの屋台は、昼間から、チリンッチリンッとリヤカーの引き棒に
つけた鐘を鳴らしながら、町を歩いていた。 値段は驚くほど安かった。
大人になる頃にはもちろん値段は変わったが、他のものの値段に
比べると、なぜこんな値段で売れるのだろうと、不思議に思うほどだった。
6人分の夕食のおかずにと、中ぐらいのナベを持っていって買うと、
500円ぐらいで食べきれないほどあった。

蒲田駅の近くに、おでん種を売る、古くからの店がある。
おでんを売る屋台や店が仕入れに来るような店で、沢山の種類の
薩摩揚げや袋詰めなどを、山のように盛って売っている。 
おでん屋のおじさんもこういうところで仕入れていたのだろう。 
昼間、路地裏で屋台を出し、おでんを仕込んでいるのを幾度か見た。

夏休みのプール帰り、学校の門の前に、屋台を止めて待っていることも
あった。 夏とはいえ、プールで冷えた体で食べるおでんはうまい。 
お金がないときは、コンブが5円ぐらいで一番安かったから、それを1個、
竹串に刺してもらって食べた。 今のおでんのコンブはちゃんと結んで
あって、それなりの格好をしている。 その頃のはダシを取ったあとの、
半分溶けかけた、ヨレヨレのコンブだ。 なので竹串に巻きつけるようにして
渡され、あまりうまくなかった。 友だちがチクワなどを食べていると、 
コンブをやるから、1回だけ、かじらせてくれ と頼むこともあった。
たいていいやだと断られた。

からだの形は、生命の器
形之医学・しんそう療方 東京小石川
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