今日は5月22日。暑くなりました。
足利日赤にてCT検査。大腸癌の手術をして3年半経ちました。
甲状腺癌が以前からあってそれが転移したのではと2年前に先生はおっしゃいました。
そんな今になってと思いましたが振り返れば声が出なくなったときが69歳。
調べたいことがあってPCに午前2時くらいまで向かう日が
2週間くらい続き、声が出ないことに気が付きました。
今でもPCに向かっていると声が出にくくなります。電磁波のせいかも知れません。
当時、他の病院でしたが声帯ばかり検査していました。
その時、既に甲状腺癌になっていたのかも知れません。
日赤では様子を見ると言う私の意見を尊重して下さり定期的に検査しています。
今日も余り変化ないとのことでした。
「しんそう」で癌をなおすことはできませんが調整するとからだは楽になります。
「しんそう療方」と巡り合い31年、開業して24年目に5月5日に入りました。
当時、高校教員をしていて1年生を担任して入学間もなく体育祭で男子生徒が走り終わって倒れ急死しました。
救急車の中で私は何もすることができなかったのです。夏休み明け交通事故で女子生徒が亡くなりました。
亡くなった男子生徒のロッカーの中を片付けていると
教室掃除だったその女子生徒が傍に来て「先生!」と声をかけてくれ
また掃除に入り、机の中を片付けているとまた傍に来て「先生!」と声をかけてくれたその女子生徒だったのです。
本当に愛らしい生徒さんでした。2人の生徒のことは一生忘れることはないでしょう。
今だから書けることです。あれからもう30余年経っているのですね。
自分が良く生徒を観て上げてたらこんなことにはならなかったのではと
自分を責めて心を病みました。毎日泣いている日が続きました。
その時、元気の氣を入れてくれるところがあると友人に紹介されて夜学に通いました。
心身統一合気道の学校で今は亡き藤平光一先生のご指導をいただき氣圧療法を学びました。
週3回でしたが2回が精一杯でした。
勤務が終わると直ぐに出発、3時間の授業、往復4時間かかり帰宅は夜中12時を回ってました。
夫は船員でしたし子供たちは大学で、一人の生活でしたのでできたことでした。
氣圧療法は病んでいる所に氣を送り痛みをとりますが続いてからだ全体をみる「しんそう療方」と巡り合いました。
健康に関して何かお役に立てることはないかとさがしていると巡り合うものです。
最も弱い立場の人のお役に立ちたいと56歳で早期退職し土地探しを始めました。
たまたま道を挟んで住まいの目の前の土地が空いていました。
お願いに行くとありがたいことに売っていただけることになりました。
目の前ですから本当にありがたいことでした。
退職金で土地を求め小さな治療所を建て58歳で開業しました。
夫の協力があってこそ叶えられたことであり
5月5日が夫の誕生日でしたので開業記念日を5月5日にしました。
ほそぼそとながら患者さんが来て下さっております。
調整をさせていただいているときが一番の至福の時です。
次は草取りです(笑)。草取り大好きです。狭いですが庭がありありがたいです。
「しんそう療方」創始者の林 宗駛(しゅうじ)先生は生前「しんそうは何歳になってもできるよ!」と
おっしゃってました。終活をしながら全うしたいと切に思っています。
周囲の田圃は麦秋になりました。
お天気の良い日は南から筑波山、北に男体山、奥に日光連山、赤城山、榛名山、妙義山
遠く浅間山、秩父連山、富士山と見渡すことができます。館林は山がありません。平野ですが
私はこういう景色が大好きです。間もなく麦刈りが始まります。