ここ最近で結構ショックだったのが、
西武ライオンズの
松坂引退のニュースと、
晩年になってから
全国区の時の人となった、
ジャガーさんが
ジャガー星に帰還された一報。

今回はちょいとジャガーさんネタを、
潮風太子風に書かせていただこうかと。
ネットにはあまり書かれていないようなので、
30数年前の懐かしネタなど少々。
日テレ系深夜番組、
「月曜から夜ふかし」で、
すっかり全国区の
お馴染みキャラとなった、
千葉県ご当地ミュージシャン、
ジャガーさん。
これより少し前、
イラストレーターの
「みうらじゅん」氏が、
ジャガーさんについて取り上げると、
単なる千葉のローカルスターから、
オタク系マニア間の口コミにより、
メジャー級のB級スターとなり、
その後月曜から~で、
マツコ・デラックスの、
お墨付きをもらうと、
全国区に知られるほどの
歴史上の偉人になられた。
そうなった途端、
いきなり千葉では昔から有名だった!
などという千葉の輩どもが急増。
マツコ・デラックスの一言に始まり、
私も知っていた云々カンヌン?
「ふざけるな!」と言いたい私メ。
1985年千葉テレビで5分番組、
「ハロージャガー」放送開始当時、
怪しげな新興宗教の教祖かと、
皆、眉唾モノで冷ややかに
見ていただろうに。
またこの番組は、
夕方の通常放送のほか、
超深夜の再放送もあったりして、
夜更かし族の私メは、
そのあとの千葉テレビの、
シュールなクロージング見たさに、
ついでに観ていたもの。
当時この番組について仲間に話すも、
「あの気味悪いヤツね」
程度の反応だったのに。
今では伝説の番組扱いとは…
特に印象に残っているのが、
名曲「グズグズするな」のPVで、
1970年代後半の、
「ブリティシュロックあるある」
みたいな、
どこかパクリ臭プンプンながらも、
バンド活動を始めていた潮風太子に、
「俺でもこんなんなら書けそうだな」
と変な自信をくれた曲だった。
おかげで24歳まで
バンド活動に勤しむハメに。
ハロージャガー放送以前は、
本八幡の単なる変人扱いだった
ジャガーさん。
自前で番組枠を買い取り、
プロモーション番組の放映を始めると、
怪しい番組ながらも、
千葉テレビとはいえ、
そこはテレビのチカラというヤツで、
こういう人だったのか・・・と、
ようやく「市民権」を獲得。
地元では、
ちょっとした有名人に「昇格」。
ところが、
このあたりから、
いずこも同じ、
テレビのチカラの弊害、
アンチも登場するようになり、
当時人気絶頂期だった、
「聖飢魔Ⅱのデーモン小暮のパクリ」
などと揶揄されたりするように・・・
「そんな恰好をして恥ずかしくないのか?」
などと町で一喝する年寄りも、
一人や二人じゃなかったし、
近所の工業高校のバカ学生たちに、
「おっジャガーだ!ジャガーだ!」と、
指さされる光景も
日常茶飯事の光景となるが、
これに一切キレることのなかった、
ジャガーさん。
とにかく見かけと全く違い、
悪いハナシをトンと聞かない。
本当に不思議な人だった。
やがて、
そもそも彼は何者?
ってな議論が近所を中心に始まると、
「クリーニング屋の
隣のお直し屋のドラ息子だよ」
なんて噂話が広まり始め、
やっかみもあり影口を
叩かれるようになったが、
実はこの「お直し屋」が、
ジャガーさんが起業して始められた、
一世一代の事業だったことを、
世間一般の皆が知ることとなるのは、
それから30年以上経ってからのこと。
またジャガーさんは当時、
ジャガーカフェという、
ロック専門のライヴハウスを、
道路の角地のガラス張りのビルで、
経営していて、
確か2Fが美容室だったか、
ビルのオーナーでもあった。
これも自分のチカラで建てたのだが、
当時はドラ息子の道楽だと、
小馬鹿にしたような揶揄をする者多数。
これが実際。
それでも一切ブレることなく、
キレることなく、
キャラを押し通したところが、
ジャガーさんのスゴいところ。
やがて、こういうところに人は集う。

村上春樹の1Q84に書かかれている、
青豆と天吾が通っていた
市川市〇〇小学校近くの風景に、
よく似た土地だと書けば、
イメージしやすいか。
そんな光景の中で、
ジャガーさんは暮らしていたのだ。
後々、
この小説を初めて読んだとき、
まさか村上春樹がこんな、
本八幡の小さなそしてマニアックな、
エリアを知っているのか?
と勘繰ったほどだがどうなんだろう。
ライヴハウスネタついでに補足すると、
この当時の本八幡のライヴハウスは、
ジャガーカフェのほか、
長崎屋
(スターレーンボーリング)の、
向かいにあった
「ルートフォーティーン」と、
コルトンプラザ1Fにあった、
「サードステージ」。
ルートフォーティンと
サードステージはド素人、
高校生でも出演可能だったものの、
ジャガーカフェはプロもしくは、
ジャガーさんの目にかなったレベルの、
アマチュアハードロックバンド
でないと、
出演ができなかったので、
当時あのあたりでバンドを
やっていた連中の中では、
ジャガーカフェは一目置かれる、
ステイタスを保っていた。
当然のことながら、
潮風太子のヘタクソバンドなど、
出演できるわけナシ(笑)
よってミュージシャンとしての、
ジャガーさんのステイタスは、
当時の本八幡音楽界では、
実質トップの存在だったことは、
間違いない事実。
この当時の本八幡音楽史については、
また機会あれば一筆。
今でこそオシャレな町、
本八幡で売っているものの、
当時は、
JR(国鉄)本八幡駅の、
改札を抜けると、
京葉そば(立ち食いソバ屋)の
独特なダシの香りと、
タバコと生ごみのニオイが
混ざったような、
隣の市川駅とは全然違う、
強烈なニオイが特徴の駅で、
右の北口には、
にわかヨーロッパ建築風の
外壁のビルにボーリング場と、
ボロいながらも映画館があり、
ちょいと文化の匂いがする、
こちら側が山の手(笑)
進学校とお嬢様学校が鎮座し、
その反対側の南口側はというと、
パチンコ屋とゲームセンターと、
雀荘に赤ちょうちん多々・・・
ビーバップハイスクールの
実写版みたいな公立の工業高校の
チンピラ学生と、
どうみてもオーバーステイってな、
アジア系外国人がウロウロ・・・
ってな見るからに、
ガラの悪い雰囲気の町で、
この線対称な光景が、
私メはたまらなく好きだった。
ちなみにジャガーさんは、
南側エリアの住人。
いや、
だからこそジャガーさんなのだ。
平成時代に入り、
テレ東の関東ローカルの、
情報バラエティー番組に
「イジられキャラ」ながらも、
出演したあたりから、
関東エリアでも、
知名度がアップし始め、
千葉のカルトスター
「ジャガー」は、
関東のローカルキャラへと昇進。
このあたりから「マニア」たちが、
注目し始めるようになり、
やがて「みうらじゅん」氏など、
今風でいうインフルエンサーたちから、
「このオッサンかなりヤバイ」的な、
紹介のされ方ながら、
認知されるようになると、
次第に地元、
本八幡はもちろん、
千葉県内でも「マトモな人」として、
再評価されるようなり、
このあたりから、
バカにする者もひとり、
また一人とカードが反転するように、
消滅していった。
月曜から~以降は、
もう書かずもがなで、
今やジャガーさんをバカにする者など、
すっかりいなくなった。
それどころか、
実は大変な実業家だった的な、
ことが判明した途端、
オレは私は、
昔から知っていた・・・
ってな評ばかりに状況一変。
それをニヤニヤしながら、
眺める私メ。
よかったですねジャガーさん!
最後はアナタの勝ちでしたよ!
ブレない心って活字(SNS)では、
簡単に書けるものの、
この30数年を地べたの目線で、
見てきた者として、
これは生半可な気持ちでは、
ここまでになれない。
そう改めて思うと、
まさに尊敬に値する方なのだ。
皆さんも、
改めてよく観察してほしい。
ジャガーさんは決して
憎まれ口叩くでナシ、
笑われてもバカにされても、
キャラを押し通し続け、
それでいて自分の信念を
最後まで貫き通す。
さすれば、
やがて最後には大きな
「花」それも「大輪の花」を
咲かせることが、
出来るというコト!
これを見事に、
そして鮮やかに体現してくれた。
なかなか真似のできるこっちゃナイ。
最近は、
なんでも批判批判。
結果がすぐに想像できるが故に、
絶対に無謀なバカを
演じることなどしない。
そういう人間が増え過ぎた。
「そんなんでイイのかぃ?」と、
最近のそういう風潮に、
こうして無言のゲキを飛ばしてきた、
ジャガーさんに改めて拍手!

こういう情報も令和ならでは・・・
でも本当のジャガーさんのファン、
いやヒーロー認知できた人たちは、
今や皆こう思っているハズ。
「余計なコト書くな」と。
江頭2:50の(裏)大ブレイクにも、
みられるように、
こういう無謀キャラの登場が、
もう出てこないであろうことを、
皆が知り始めた。
だから珍しがる・・・
貴重な存在として崇めたがる。
ずいぶんと「平成」までも、
遠くなってきた気がする最近。
今回改めて認識・・・・
ではまた次回。