わにの日々-中西部編

在米30年大阪産の普通のおばさんが、アメリカ中西部の街に暮らす日記

スパイダーマン・スパイダーバース

2019-03-03 | 映画・ドラマ・本
 なるほど、これは新しい!と、思いました。失った妻子を取り戻すために、巨大な加速器を用いて異次元と繋がろうと目論むキング・ピンの野望を阻止するため、異なった次元のスパイダー達が集結。キング・ピンの実験を阻止しようとして亡くなったいつものスパーダーマン、金髪碧眼ピーター・パーカー26歳の次元では、クモ・ナンバー42に刺された黒人とラティーノのミックスの中学生、マイルズ・モラリスが、スパイダーマンの遺志を継いで、新たなスパイダーマンとして成長するお話です。そこに家族愛や、友情、自分は一人じゃない、仲間がいるんだ、そして人生の中でやり直しができることなら、やり直す勇気を持とうってメッセージが伝えられ、さっぱりとした味わいの秀作でした。



 スパイダーバースには48人の異なったスパイダーマンがいるそうですが、キング・ピンと、マッドな科学者、ドクター・オクトパス(の娘さん?)の実験で、中途半端に歪んだ次元から飛ばされてきた他のスパイダー達は、白黒世界のスパイダー・ノワール、ピーターが倒れた世界でスパイダー・ウーマンとして戦うグウェン・ステーシー、「こんにちは~」って相棒のマシンとともに未来から来た二次元アニメのペニー・パーカー、マーベルの動物世界ラーヴァル・アースから来たピーター・ポークことスパイダーハム、そしてマイルズの世界から少し未来から来た中年ピーター・パーカーと、いうユニークな面々。

 それぞれの次元に応じて画面が異なり、効果音が書き文字で出てきたり、インクのかすれが表現されてたり、漫画とCGアニメの融合がセンス良く表現され、お話もテンポよく進みます。メイおばさんも、バッドマンのアルフレドのような役割もこなしてかっこいい!昨年、デジタル世界に移住したスタン・リー御大も、コミックショップの店主他、色んな所で顔を出しています。監督曰く、アニメーターが皆、御大を描きたがったから、なんだって。

 なーんか本命が外れたり、受賞者への評価が割れたり、物議の絶えない今年のアカデミー賞だけど、長編アニメのノミネート作全部観て、他の作品も気に入った私も、これは革新性やクリエーティブさで一抜けてるって納得でしたよ。劇場で見たらよかった~


KUSAMA - INFINITY クサマ・インフィニティ

2019-03-02 | 映画・ドラマ・本

図書館にあったので借りてきました。なにしろ、パッケージがこれ⇑ですから、物凄いインパクトです。これ、無視して前を通り過ぎられないでしょう。

 厳格な家庭での生い立ち、第2次世界大戦中のトラウマ、1950年代ニューヨークで受けた性差別や人種差別、そして精神病への偏見といった幾多の困難とともにあった草間の人生にフォーカス。そうした日々のなかでの、絵画、彫刻、インスタレーション、パフォーマンス、詩、文学といった、88歳を迎える現在(撮影当時)にいたるまでのたゆまぬ創作にせまる。


 草間彌生という強烈な存在を語るには、手堅い作りの映画って気がしたけど、多分、現役の日本人クリエーターとしては、ハヤオ・ミヤザキと双璧を成す有名な存在(ヨーコ・オノは流石に過去の人だけど、宮崎駿は引退は言ってるだけで、絶対また創ってくると思うんで)を、真正面から、ただしソフトに捉えて見応えがありました。ドキュメント作品としては型にはまっていても、対象が対象だけに刺激的。

 私は、彼女の作品を実際に目にしたことはなく、正直、気持ち悪いって思っていたのですが、ぜひ、本物を目にしたいと思いました。インフィニティ・ルーム、経験したい。そして、カメラを通し、私の小さなPC画面を通してすらひしひしと感じられる、草間彌生という存在の迫力!正気ではないからこそ生み出された作品群以上に、彼女自身が語る、彼女自身がアップになると、なんとも言えない圧迫感を感じました。

 面白いのは、彼女を長野の恥、松本の汚点とまで罵ってた地元が、今では市の美術館を「世界で唯一、常に草間の作品が見られる」と誇り、彼女の作品に身近に触れることのできる子供たちは幸運と、掌180度返しなのが面白かった。いや、言ってみたいですけどね、松本市立美術館。

 日本での公開は未定だそうですが、彼女の60年代、70年代のパフォーマンスのフィルムは、確かに映倫に引っかかりそう。ある意味、半世紀近くも昔の活動が未だタブーってのは、ちと考え込むものがありますね…

トランプのアメリカだからこそ…「グリーンブック」

2019-03-01 | 映画・ドラマ・本
 言わずと知れた、色んな方向か酷評されてる今年のアカデミー作品賞受賞作品。最初は見るつもりなでまったくなかったのですが、あんまり話題になっているので、見る気になっちゃったわたしゃミーハーです。見るつもりがなかった理由は、単に、あのお素敵なアラゴルンさんが、お腹の出たガサツなおっさん化している姿を見たくなかったから。でも、あまりも見事におっさん化していたので、お素敵アラゴルン様を彷彿させることを全く無く観られました。



 きっと深く考えると、世間で言われているように、白人視点(もしくは上から目線?)の黒人のお話とか、白人が黒人を救っていい気分になるとかってなるのかも知れないけど、白人でも黒人でもない私が考えずに観たら、 ( ;∀;)イイハナシダナー な、観終わって良い気分になれる「フィール・グッド・ムービー」でした。

 お話は正直、嘘っぽいと思う。黒人の飲んだグラスを指先で持って捨ててしまうほどに差別主義者だったトニーが、お金のためとはいえ、いきなり同じ車に乗って普通に接してるのは違和感がありました。クラブの用心棒として、殴った相手が面倒くさい相手だったとか、帽子を隠したのが自分だとバレたとかで、暫く街を去る必要があったとかなら、少しは納得できたかもですし、待っている間に他の黒人運転手たちとゲームに興じているのも、急に差別止めたの?と、唐突な展開に驚いた。シャーリーがYMCAで捕まった時も、物分かり良すぎでしょ、と。

 ドクター・シャーリーを演じてアカデミー助演男優賞を獲得したマハーシャラ・アリは、映画が「嘘の協奏曲」だと避難するシャーリーの親族に、映画そのものを、ではなく、この映画によって気分を害したことに対して、丁寧に謝罪したそうです。ドクター・シャーリーの優雅さや高潔さは、演技というより、演じたアリさん本人の持ち味じゃないかって気がする。熱人を演じて主演男優賞を取ったラミ君と逆ね。

 ドクター・シャーリーの、弟さん、モーリス・シャーリーさんによると「兄はトニーを友人と見なしたことは一度もなく、あくまでも(制服と帽子を身につけることに憤っていた)運転手であり、使用人だった。」そうです。そして、映画の中で「弟がいるけど何年も交流がない」というシャーリーに、トニーは「手紙を書いたら?」って言うシーンが有るけど、これは実現しなかったよう。

 この映画は「実話にインスピレーションされた」んであって、ノンフィクションじゃないから、「ボヘミアン・ラブソティー」と一緒で、事実の再現じゃなくても良い作品ならいいと思ってたけど、エンドロールで実際のシャーリーとトニーの写真を出して「生涯、友達だった」とやってるのが、微妙になってくる。脚本を書いているのが、トニーの息子さんなので、トニー側が美化され、トニー一家へのノスタルジーが感じられるのは、仕方ないかもしれませんが。作中のトニーの奥さんはチャーミングも素敵な女性ですが、エンドロールで出た本人の写真で、本当にすっごい美人で、これまた驚いた。

 行く先々でのエピソードがいちいち劇的で、でも、どこかで観たような話ばかり、そして最後はクリスマス・ミラクルで締めるのは、これが映画界において世界的に影響力の大きなアカデミー作品賞のタマか?と、言われると、私にはわからないけど(-人-)、映画ってのは、こういうのでいいんだよ!って気もする。現実のアメリカは今、とてもギスギスしており、人種間での葛藤も悪化していると思います。Oscar So Whiteといわれた一昨年、そして今回のアカデミー賞では、「白人の映画」と「黒人の映画」の対決の感が有りました。

 アメリカのお茶の間番組も、昔から黒人ドラマ、白人ドラマがきっぱり別れていて、ラテン家族やアジア人家族のドラマも出てきては、成功せずに消えていった感じ。実際、私が今住んでいる街も、ビックリするほど白人の街。成長中のコロンバス郊外なので、住民は圧倒的に白人とはいえ、それ以外も住んではいるのですが、それは新参者で、根付いているのは中流の保守的な白人です。こういう街の様子を観ていると、人種のるつぼには、まだまだ程遠い。

 この映画は、50年前には、こんなにも差別が堂々と存在していたことを思い出させてくれます。白人高齢者の多くは、当時の「常識」を未だ根本的には残している。人間、頭では分かっていても、そう簡単に深層心理まで変えられないと思う。傍から見ればトンデモなトランプを、それでも支持して大統領にまで押し上げ、未だに支持しする人々の言うグレートなアメリカは、異質なるものを嫌い、自分たちだけのホモジニアスな社会の心地良さを捨てられない、土地に根付いた人々の、変わりゆく世界への抵抗があるのではないかと思います。

 わにおの母方のお祖母さんは、わにおのお父さんにイタリア系が混ざっていたので「イタ公と結婚するなんて!」と、暫く、お母さんとは絶縁状態だったとか。それって、正に、この映画の時代。トニーは、同じ白人の中でも「新参者」で蔑まれていたイタリア系なので、差別される気持ちはわかる、俺はあんた以上にブラックだって言うけど、そこで納得しちゃだめでしょ、シャーリーさん。

 でもいいんですよ。黒人と白人の間に友情が芽生えるファンタジーで。こんな時代だからこそ、こんなファンタジーがあってもいいと思う。音楽はいいし、それに何よりケンタッキー・フライドチキンが食べたくなっちゃう。黒人大統領ののオバマさんときて、逆方向に振れてトランプで、これからまた一悶着ありそうなこの国で、お伽噺のような友情と、暖かな大家族のお話に、ほっと一息をつく。この映画の意義はそれだと私は思います。

 明日は、KFC(今どきはケンタッキーフライドチキンって名前じゃないの)買いに行こう!

司会者のいないアカデミー賞

2019-02-25 | 映画・ドラマ・本
 昨夜のアカデミー賞授賞式、面白かったですね!私はケーブルやサテライトの契約もしていないし、そもそもテレビすら持っていないので、ネットでハイライトを見ただけですが、いきなり本物のクイーン+アダム・ランバートで幕開けは、往年のファンであり、映画にも感動したファンとしては嬉しかったです。なに、このかっこいいじっさまたち、なにこのセクシーすぎる男前?!しかも、背後のスクリーンにフレディーが映し出されるなんて、年寄り泣かす気満々やんか。

 司会者のいない授賞式は、実は今回が初めてではないけど、前回は散々だったらしいです。私は、サクサクと首尾よく進んでるって感じました。ハイライトしか見ていないから?と思ったけど、今日のマスコミ見ると、結構、評判よかったみたい。ここ数年は特に、司会者が観客のスターたちを弄るのが、内輪ネタやいじくるというより貶めているようなコメントになってるように感じていたので、もう来年からも、このスタイルでいいんじゃないかな?って思った。もしまだ司会形式でやるなら、来年はメリッサ・マッカーシーがいいな。ウサギのぬいぐるみをいっぱい縫い付けてアン女王に扮して出てきたメリッサ・マッカーシー、ウサギの指人形の可愛さもあって私的にバカウケ。

 出世作の「ブライズメイズ 史上最悪のウェディングプラン」が受け付けなかったのですが、その後、サンドラ・ブロックと共演した「The Heat(日本未公開)」や、「Spy/スパイ」、「[Identity Thief(泥棒は幸せのはじまり)」や「タミー」では、お腹抱えて笑い転げちゃった。主演女優賞にノミネートされた「Can you ever forgive me?(ある女流作家の罪と罰)は、図書館のDVDを順番待ち中。 

 主演女優賞は、「女王陛下のお気に入り」でアン女王を演じたオリヴィア・が取りましたが、私はこの映画を見たばっかりで、女王の顔芸(褒めてるんです~)には、しみじみ感心したので、納得の受賞。一番、呼び名が高かったのはグレン・クローズだけど、実に7回目のノミネーションだそう。ハリウッド映画界のスーザン・ルッチにはまだまだ遠いけど、次にノミネートされたときには取ってほしいな。彼女は私にとっては、いつまでも「危険な常時」の怖いおばさんなのですが、30年経っても未だにその印象が消え去らないほどに、迫真の演技だったのでしょう。この年の主演女優賞にノミネートはされていますが、受賞したのはシェール。ほかの候補者は、メアリ・ストリープにホリー・ハンター(@_@)

 主演男優賞がラミ・マレックは意外でしたが、あれだけ研究して似せてきた役者魂への評価だと思うの。映画の感想にも書いたけど、フレディー・マーキュリーは不世出。この気持をサイバラりえぞう先生が見事に漫画で表現してくれました。

そうなのよ~!!!


 作品賞の「グリーンブック」は観ていないけど、DVDかネットで見ると思う。これは、「ドライビング・ミス・デイジー」の時代からは変わったのだっていう象徴的な選択も有るんじゃないかと思いました。スパイク・リー監督は不満そうでしたが。

「アリー・スター誕生」は、評価の高い作品なので怒られそうですが、正直、私は途中で飽きちゃったんです。劇場で見たら違っていたのかもしれないけど、PC画面じゃコンサートの熱狂とかは伝わらないし。レディー・ガガのアリーは最初からカリスマありすぎ、迫力ありすぎ。だって、ガガ様だもの、仕方ない。レッド・カーペットのガガ様もゴージャスで、正にスター!でしたね。

 昔、バーバラ・ストライザンド版の「スター誕生」は、なんちゃら洋画劇場で見てすっごく感動しました。テーマ曲の「Evergreen」が心に沁みて、今でも聞くと泣きそうなります。声がいいし、情感たっぷりで本当に上手い(だってバーバラだもの)。バーバラ・ストライザンドは、田舎のイモ姉ちゃん風ルックスで決して美人じゃないから(すみません)、説得力あったし、結末も、明らかな自殺より、赤いジャガーでぶつかって、っての方がいい。

 も一つ言っときたいのは、レッド・カーペットのアクアマンさんでしたわ。名前がモモイだけにタキシードがスーツなのは良いとしても、なんかサイズが合ってないような。余りの似合わなさに、上はタキシード、下はドレスの人よりも衝撃でした。

The Favourite / 女王陛下のお気に入り

2019-02-22 | 映画・ドラマ・本
 18世紀初頭の英国宮廷を舞台とする、ゴージャスかつグロテスクにアン女王を巡る侍女同士の覇権争いを描いた映画。史実を基にしているというのが驚きです。「The Favourite(お気に入り)」になることが、政治的実権を握ること。彼女たちが争うのは、今どきの#MeTooやらガールパワーなんて生易しいもんじゃありません。一国のみならず。周辺諸国の命運を決める究極の権力です。

 本当は映画館で観たかったけど、寒いし、引っ越してから映画館が遠くなって出かけるの面倒臭いので、図書館で借りたDVDで鑑賞。正直、下働きの女性の台詞とか、聞き取れなかったろうから、DVDで字幕付きで観られて良かった。お上品な言葉使いに、現代風の4文字言葉が混じってる面白さも、字幕なしじゃキャッチできなかったと思う。そういや、ダンスもやけにアバンギャルドでしたね。


初めは成程、女王が二人にいいように利用されてるのかと思ったけど


 監督は「ロブスター」(観てないけど、あらすじだけで無理)や「聖なる鹿殺し」(物凄く後味悪くて観て後悔)の、ヨルゴス・ランティモスなので、いや~な映画だろうなとは予想がついたのですが、エマ・ストーンとレイチェル・ワイズという、お気に入りの女優さんが出てて、豪勢なお城にドレス、合間に可愛いウサギがはねている。これだけ好物を揃えられては、避けて通れない。

 クイーン・アン様式って、建築スタイルや家具があるように、装飾的で優美でありながら、ゴシックほどにはごてごてしていないのが特徴。本物のお城で撮影されたのだそうで、建物、お庭、そして豪華な内装は目の保養。特に壁に所狭しとかけられたタペストリーときたら、もう目眩しそうw

 そして、ドレスの豪華さ!とはいえ、アン女王は未亡人だからかもしれません、彼女に使える二人のドレスもモノトーンで、それとは対称的に男性軍はカツラに厚化粧、つけボクロ。「男はPrettyでなくっちゃ」という台詞がありましたが、その分、男装のレイチェル・ワイズがかっこいい~!この女優さん、「ハムナプトラ」でのチャーミングなエヴェリン役ですっかり好きになったのですが、あの映画も、もう20年も前の作品なのね。この映画じゃ、立派なお局様であられます。

 Wiki先生によりますと、サラは1660年生まれで1744年に亡くなっており、アビゲイルは1670年生まれ1734年死去と、サラより10年後に生まれ、10年早くに亡くなっています。そしてアン女王は 1665年生まれの1714年死去で、49歳で亡くなっています。映画では、もっと高齢に見えましたが、ちょうどサラとアビゲイルの間の年齢。女優さんたちの本当の年齢も、同じ順番で、女王役のオリヴィア・コールマンのほうがレイチェル・ワイズより若いのね。歯に衣着せぬ凛々しい美貌の年上の幼馴染、戦争推進派でホイッグ党を支持するサラと、自分を褒めちぎって尽くしてくれる可憐で優しい年下、トーリー党と親しいアビゲイルの間で揺れ動く女王と同時に、国家も一緒に振り回される。


可憐で繊細に見えて、実はふてぶてしくしたたかなアビゲイル


 女王は、映画の中でも痛風に苦しみ、車椅子を使っていましたが、実際に極度の肥満で、崩御後の棺桶は正方形に近いものだったとか。一体どんだけ?現在では、17人の子どもたちが皆、流産、死産か早世なのも、免疫性疾患を患っていたからではないと言われています。死んだ17人の子供の代わりに、17羽のウサギを子供たちと呼んで可愛がる女王の孤独に、いわばつけ込んで権力を得た二人ですが、作中何度も「女王は私よ!」の台詞があるように、最後のシーンが示すのは、所詮ふたりとも、女王の胸先三寸で運命の変わる存在に過ぎず、女王の愛するうさぎたち以下の存在なのかも… 最後のアビゲイルの表情が、それに気付いてしまったようかに思われます。

 追放を知らせに来る一団を見ながら、この国は飽きたから他所へ行きましょうというサラ。「あたかも勝ち誇ったような良い草ね」と言ったサラに、アビゲイルは「勝ったのよ」と言い放ちますが、権力は失っても、愛する夫と後生を過ごし、その子孫には、英国の命運を握ったウィンストン・チャーチルや、ダイアナ・スペンサーがいる。お家断絶になったアビゲイルと、本当の勝者はどちらだったのでしょうか?
 

結局、お人形はどっちだったのか?


 話題通り、3人の女優さんの演技は素晴らしい!アビゲイルの台詞はいちいち洒落てるし、後味の良いお話ではないけど、見応え充分、満足の一作でした、でも、エンドテーマがエルトン・ジョンなのは判らなかった。なぜ?