朝、新聞を取ろうととを開けたら、ヒンドゥー教徒なお向かいのインド人奥さんが、「メリー・クリスマス!」と言ってくれたので、不特定多数教徒な私(時と場合と気分により、仏教徒だったり、神教だったり、無神論者だったり、クリスマスにはしゃいだり、ユダヤ教の食べ物好きだったり、etc...)も「メリー・クリスマス!」と返す、そんな朝。張り切って、近くの映画館まで行って参りました!普段は、ここの経営は大丈夫なのかと余計な心配をしてしまう、いつも空いてるシネコンに、今在かつて無かったほどの長い列ができておりました。言わずと知れた、本日公開の
「レ・ミゼラブル」の観客の列です。私も、その列に参加。
切符は売り切れで劇場内は満員。私は一人だったので、劇場中央で、前は子供(頭がじゃまにならない)な、良い席に滑りこむことが出来ました。予告を見て待つ間も、早く始まれ~!とムズムズ。そして、シンバルの音と共に映画の幕が開く!以下、激しくネタバレにつき、ご注意。しかも長い。
もっかい言います。以下、盛大にネタバレかつ辛口
ずばり、ガッカリでした。良い映画だと思います。配役も皆、適役だったと思います。でも、自分が勝手に期待を大きくし過ぎた所為で、その過大な期待には応えてはくれなかったといいますか… 私は映画を見る時には、「せっかく、お金払って、ここまで足を運んだんだから」という、せせこましい理由もあって、劇場で観た映画は大抵、過大評価してしまう傾向があります。この映画も、払った料金に、劇場までのガソリン代を足しても十分に元が取れたと思うし、並んで観た甲斐はあったと思う。ただ、見る前の期待が大きすぎた。そして、私は劇場を選び損なったらしく、肝心の音響がイマイチだった。ご近所の皆様、ローリンング・ヒルズのAMCは、おススメできません
そして画像、なんしか、あの異様にクリアな「ホビット」の後だけに、なーんか画面が荒く、曇ってるように感じちゃう。ホントはこっちのが普通なんだけどね。ジャン・ヴァルジャン役のヒュー・ジャックマンは、他の俳優さんが思い付かないほどに適役だとは思いますが、もっと低目で豊かな声質の方が良かったな。対して、ジャヴェール警部のラッセル・クロウ!朗々たる、という表現がぴったりな声で、私はいきなり冒頭から惚れました。元から素晴らしい役者さんだとは思ってたけど、このジャヴェール役は実にはまり役だと思う。蛇のようにしつこくヤな奴のジャヴェールが、ラッセル・クロウのテディー・ベア顔のせいで、自分の信じる正議に殉じる純粋さが出たと思う。しかし、あんなにも、いい声の持ち主だったとは!
フォンテーヌのアン・ハザウェイも素晴らしかった。大好きな女優さんなのですが、その贔屓目無しに見ても、I Deamed A Dreamの場面は、えーい、感動しやがれこの野郎!と言われて、素直に「ううっ!はいっつ、感動しますっ!(鼻ツーン)」な場面でした。ここも含めて、顔のアップの多い映画だったけど、これは舞台にはマネの出来ない映画ならではの演出ですものね。でも、歯も売ったはずなのに、ちゃんと前歯があるのが気になって… 細かすぎる?そいから、死にかけの病人なのに、おっぱいがツヤツヤのぷるんぷるん。
舞台なら、第二幕の開幕とともに響く「Upon These Stones(Building the Barricade)」、劇場中継のビデオや、アニバーサリー・コンサートのビデオでも足元からゾワゾワ来る感動の場面なのですが、映画では「ゾワゾワ」が感じられなかった。やっぱ音響に問題有りだったな。そして実は、後半はひたすら、マリウスをドツキ倒したいとイライラし続けていました。こいつと「オペラ座の怪人」のラウール、私的にミュージカル2大うっとおしい若造ども。エポニーヌに、コゼットの居場所まで連れて行ってもらう時、ふとした触れ合いに喜ぶエポニーヌに対する無神経な鈍感っぷり、仲間が真剣に革命を語り、覚悟を固めてるのに女にうつつを抜かし、バリケード内ですら容姿に一目惚れした女のことを考え、全ての仲間を失い自分だけが生き残った後、「革命遊びはもうやめた」とばかり、お金持ちの祖父の家に戻って、のーのーとして立派な豪邸で豪勢な結婚式。ああ、ブン殴ってやりたい。マリウスは、原作者、ヴィクトル・ユーゴーが自身を投影した登場人物らしいので、美味しい役割なのは仕方ないのか。
そして、学生たちのリーダー、アンジョルラス。マリウスとアンジョルラスの二人が最初に登場する、台上で演説してる場面では、こっちがマリウスかと思っちゃった。元となったのは、革命の大天使・ルイ・アントワーヌ・ド・サン=ジュストらしいです。サン=ジュストといえば、私世代には、「ベルサイユのばら」でオスカル様に「すごい美人」と言われた、花のサン・ジュスト様のイメージが強いんで、もっと若くてピチピチな美形がいいよ~!と、自分勝手に失望する私。あと気になるのは、ガヴローシュ役の子が、コゼットの子供時代の子によく似てること。エポニーヌの弟じゃなくて、実はコゼットの弟なんじゃないの?って思えちゃうくらい。
映画で一番の衝撃は、学生たちの築いたバリケードの小ささでした。え?こんなモン?って感じ。確かに、これが事実で、舞台の大きなバリケードのほうが虚偽なんだけど、現実をつきつけられると、学生たちの無力が、空回りな熱意が、虚しく、そして哀しくてなりません。自分たちは民衆のために命をかけてるつもりなんだけど、実は当の民衆達は冷めていて、所詮は若い理想主義者達の自己満足にすぎない。アンジョルラスと彼とともに蜂の巣になったグランテールはじめ、学生たちの死は、自分は自由に身を捧げたのだと、本人達にはさぞや満足の行くものであったのでしょうけど、顔のない側である政府軍の勇敢さにも心を打たれました。銃弾飛び交う中を前に進むというのは恐ろしい。戦闘の後のシーンには、学生たちだけではなく、多くの兵士たちの遺体もありました。自由の為、祖国のためと高揚した学生側に対し、制服側は何を思いながら前に進んだのでしょうか?彼らもまた、祖国のために?
私は、舞台はブロードウェイで一度、ワシントンD.C.で一度観ただけなのですが、それでも二度も舞台見て、10周年と25周年コンサートのビデオ(毎度、お世話になってるKちゃんが送ってくれた。いつもありがとう)も何度も見て、ロンドンの舞台の中継も観たことあるのに、ジャン・ヴァルジャンとジャヴェールの地下水道での対決後から、フォンテーヌがヴァルジャンを迎えに現れるシーンまでの間が全く記憶欠落してるんです。だから、映画でジャヴェールが飛び降り自殺したり、結婚式があったり、死の床にあるジャン・ヴァルジャンの元にマリウスとコゼットが駆けつける場面では「あり??」でした。そういや、こんな場面もあったよなぁ、みたいな。多分、この辺、舞台では、涙、涙で、舞台見てるどころじゃないって修羅場になってたんではないかと。
タオル持参で見に行った映画ですが、実際に使ったのは、ジャヴェールがガヴローシュの亡骸に勲章を付ける場面だけでした。そういや、ラッセル・クロウは、自分がアカデミー賞取った時に、おじいちゃんの勲章をお守りみたいに大事に付けてたね。テナルディエ夫婦のサーシャ・バロン・コーエンとヘレナ・ボエム・カーターも、はまってましたね~。舞台でも、大事なギャグ要員ではあるけど、やっぱ、この二人大っ嫌いで、出てくる度にムカツイた。ま、そういう役なんだけどさ…
エピローグ、巨大なバリケード上で歌うABCの面々、そしてエポニーヌ、ジャン・ヴァルジャン。その晴ればれとした表情に、なぜか、生き残った二人がLosersに思えてしまったよ・・・
ヒュー・ジャックマンの次の役はベートーベンで…とか思った(観たら分かる)
おまけ:「ああ無情」は、みなもと太郎作のオモシロ漫画版が
ここから読めます。マリウスの背後関係やら、バルジャンがなんで市長にまでなったか、コゼットを引きとった後、二人はどう暮らしてたかも簡単に説明されてるよ。