醸楽庵だより

芭蕉の紀行文・俳句、その他文学、社会問題についての評論

醸楽庵だより  753号  夏山に足駄を拝む首途かな(芭蕉)  白井一道

2018-06-07 13:49:58 | 日記


  夏山に足駄を拝む首途かな  芭蕉


句郎 岩波文庫『芭蕉俳句集』から「夏山に足駄を拝む首途(かどで)かな」。元禄二年。『奥の細道』にある句である。「修験光明寺と云ふ有り。そこにまぬかれて行者堂を拝す」と書きこの句を『おくのほそ道』に載せている。
華女 『おくのほそ道』のどこで詠んでいる句なのかしら。
句郎 黒羽の館代浄坊寺何がしの方に訪れて、とあるから「黒羽」で詠んだ句なまじゃないのかな。
華女 栃木県大田原市黒羽でいいのかしら。
句郎 芭蕉さんのお陰で大田原の観光名所になっているよ。
華女 『おくのほそ道』途上の芭蕉宿泊地は今やその地の観光名所になっているのね。
句郎 芭蕉はたくさんの財産を今の世に残したということなのかな。
華女 『おくのほそ道』はそれだけ今を生きる人々に読まれ続けているということなのかもしれないわね。
句郎 なにしろ高校の国語の授業で学ぶんだからね。
華女 文化遺産は同時に観光資源ということなのよね。
句郎 この観光資源としてのこの句を観光してみたいと思うんだ。
華女 俳句は季語を詠む文芸だと日文科の先生から教わったような記憶があるけれどもこの句は季語「夏山」を詠んでいないわね。「首途」を詠んでいるのよね。
句郎 この句の発案は曾良の『俳諧書留』にある句のようだ。「黒羽光明寺行者堂」と前詞を置き、「夏山や首途を拝む高あしだ」とあるから、芭蕉は季語「夏山」を詠んでいるが推敲した結果、『おくのほそ道』には、「首途」の気持ちを詠んた。
華女 芭蕉の句は文学になっているということなのね。
句郎 そう、文学は人間を表現するものだからね。
華女 「足駄」とは、草履のようなものなのかしら。
句郎 「足駄」とは、高下駄のようだよ。
華女 朴歯のようなものが足駄なの。
句郎 修験道の祖だと言われている役行者、役小角(えんのおづの)は高下駄、足駄を履いて険しい山道を駆け抜け、修行したという伝説があるんだ。
華女 そういえば、昔の板前さんは一本歯の下駄を履いていたわ。私、昔、実際一本歯の下駄を履いて働いている板前さんを見たことがあるわ。
句郎 長靴を履いて働く板前さんより、一本歯の高い下駄を履いて働く板前さんの方が恰好がいいかもしれないな。
華女 長靴じゃ水虫に苦しめられるんじゃないのかしら。
句郎 私が高校生だったころ、通学に朴歯を履いて通ってくる人がいたのを覚えているよ。昔の旧制中学生は朴歯を履いていたらしいからね。
華女 私も見たことがあるわ。
句郎 芭蕉は関東平野のすそ野、夏山が間近に見えるところまで来てあらためて陸奥平泉に行く決意をしたんじゃないのかな。
華女 義経最期の地、平泉へ行きたいという思いを心にちかったということなのね。
句郎 旅の基本は足だからね。夏山を旅する安全を祈願し、思いが実現することを願ったんだろう。
華女 役行者が履いたと伝えられている足駄を拝み、旅立ったということね。


醸楽庵だより  752号  近江商人とは   白井一道

2018-06-06 14:36:44 | 日記

 
  近江商人の江州店とは


日野 横田さん、日野屋の屋号は横田さんが経営者なのになぜ日野屋なの。
横田 酒販店・日野屋を始めた人は埼玉県行田の酒蔵、横田酒造から出た人だったんだ。関東一円には江州店と言ってね、近江商人が酒造りを始めた蔵が多かったんだ。横田の先祖様は近江の日野から出てきた人が始めた酒屋だったから『日野屋』と命名したという話を親父から聞いたことがあるんだ。
日野 そうなんだ。横田さんには近江商人の血が流れているわけなのね。
横田 実を言うとね。江戸後期の町人文化を代表する時代を文化文政時代というでしょ。その頃、横田酒造は酒造りを始めたらしい。
日野 文化の中心が上方から江戸に移ってくるころなのかな。
横田 そのようなんだ。そうした時代背景が行田あたりでの酒造りの背中を押してくれたんだと思っているんだけれどね。
日野 大阪商人(あきんど)に伊勢商人、近江商人という言葉が生まれ時代かな。
横田 「近江泥棒に伊勢乞食」なんて江戸の町人に悪口を言われたみたいだけれど、実際の近江商人は神仏への信仰心が篤く、規律道徳を重んずる者が多かったようだ。
日野 有名な商人の心がまえを唱えた言葉があったよね。
横田 「三方よし」ですか。
日野 そうそう。「三方よし」ですよ。
横田 「売り手よし、買い手よし、世間よし」ですか。世間の人に嫌われるようなことをしてはいけない。いや世間に良いことをしなければ商売は続けられないということです。だから先祖の人は皆、地域社会の人々の生活向上のために尽くしたみたいですよ。例えば、神社仏閣に寄進をしたり、道路の補修をしたり、橋を架けたり、地域の人々の生活の利便をはかった。それが回りまわって商売繁盛につながった。
日野 当時世界最高水準の複式簿記を考案したのが近江商人なんだってね。
横田 そうみたいですね。「中井源左衛門」ですね。日野の商人だったらしいですよ。
日野 凄いね。
横田 商売の合理的精神が生んだ技術の一つなのかもしれませんね。
日野 プロテスタントの精神が資本主義の精神を生んだというのと何か、共通するものを感じるね。
横田 マックス・ウェーバーですか。質素・倹約・勤勉の精神ですね。確かに、近江商人にはこのような精神道徳があるようですよ。怠惰・無駄遣い・贅沢はしない。これが商人道徳ですから。
日野 その他にも家訓のような標語があったね。
横田 「始末してきばる」ですか。
日野 そうだったかな。
横田 「始末」とは無駄をしないということが倹約です。単なるケチじゃないんです。たとえ高いものであっても本当に良いものを選び長く使います。長期的視点で物事を考えることだと思います。また「きばる」というのは本気で取り組むことだと思います。ですから「日野屋街ゼミ」本気で取り組もうと思っています。営利至上主義を諌める言葉もあります。儲けとは真面目に務めたあげた結果のおこぼれだという考えもあります。




醸楽庵だより  751号  ホロコーストとナクバ⑥  白井一道

2018-06-05 11:34:37 | 日記


   ホロコーストとナクバ⑥


侘助 フランスの映画監督、クロード・ランズマンが撮った「ショア」をノミちゃん、見た?
呑助 テレビで見たような記憶がありますよ。
侘助 長い長い映画だったよね。本当に恐ろしい映画だった。ホロコースト、ユダヤ人絶滅政策をしたナチスを断罪した映画だった。
呑助 アウシュビッツ強制収容所などのユダヤ人絶滅収容所にユダヤ人を収容していく映画でしたね。
侘助 私がアウシュビッツ強制収容所について初めて知ったのはアウシュビッツ強制収容所を生き延びたフランクルが書いた『夜と霧』を読んだのが初めてだった。
呑助 ガス室でユダヤ人を殺していったんですよね。
侘助 ショアの映画で印象に残っている場面があるんだ。裸にされた女性のユダヤ人がガス室に入る順番を待っている間に脱糞した後が残っている。恐怖というものがリアルに表現されているなと思った。
呑助 あー、そんな場面がありましたか。
侘助 今から二千年前、中国、秦の始皇帝は儒家の教えを説く書物をすべて焼き尽くし、儒家の思想家をすべて生き埋めにして殺した。このことを焚書坑儒と言うと中学の頃、初めて教えられた。ナチスが滅んで七二年になるがしかしこれから永遠に世界中でナチスが行った蛮行は教えられ、語り続けられていく出来事なんだろうと思うな。
呑助 決して忘れられてはいけない出来事なんだろうと思いますね。
侘助 このホロコースト、ショアを語る際に忘れてならないことがあるように考えているんだ。
呑助 それは何ですか。
侘助 ショアを撮ったランズマンはシオニストのようだ。ナチスを断罪してイスラエル建国を讃えることがあってはならないということなんだ。
呑助 なぜなんですか。
侘助 岩波ホールでナチスナンバー2の力を持っていたといわれる、宣伝相ヨーゼフ・ゲッベルスの秘書を務めたブルンヒルデ・ポムゼル氏のインタビューを映すドキュメンタリー「ゲッベルスと私」が、6月、創立50周年記念作品として公開されるようだ。この映画を見た人が言っていた。この映画はシオニズムのプロパガンダ映画だとね。
呑助 ナチスを断罪するのは良いがイスラエル建国を讃えることがあってはならないということなんですね。
侘助 イスラエル建国によるナクバ、アラブ人にとっての大災厄、アラブ人絶滅の危機、ナクバの日とは、一九四八年五月一四日イスラエル独立宣言の日だからね。
呑助 シオニストにとって喜びの日がアラブ人にとっては大災厄の日、ナクバだということなんですか。
侘助 そうなんだ。第二次世界大戦が終わり、パレスチナに対するイギリスの委任統治を終わらせ、パレスチナ人の国とユダヤ人の国とを独立させる国連のパレスチナ分割決議案が一九四七年十一月二十九日国際連合総会において議決された。この議決によってイスラエルは建国されたと認識している日本人が多いようだけれども実はそうではない。イスラエルは一九四七年のパレスチナ分割決議を犯してパレスチナ人居住区域を侵略してイスラエル建国をしている。イスラエルが一九四七年の国連パレスチナ分割決議を犯したアラブ人居住区域に対する侵略に対してパレスチナ人が戦ったのが、第一次パレスチナ戦争なんだ。イスラエルは初めから侵略戦争国家として生まれているんだ。
呑助 アダモの歌に「インシャラー」というのがあるでしょ。イスラエルの平和を願った歌だと聞きましたが、とんでもないということになりますか。
侘助 インシャラーとは、日本語で言うと「御意」というような意味らしい。イスラエルの生存が御意だということはアラブ人にとっては、絶対あり得ないことだよ。シオニストは、侵略者だよ。


醸楽庵だより  750号  ホロコーストとナクバ⑤  白井一道

2018-06-04 12:48:59 | 日記


 ホロコーストとナクバ⑤



侘助 第一次世界大戦でオスマン・トルコ帝国は英仏軍に降伏し、ベルサイユ講和会議後の一九二〇年イタリアのサン・レモで行われた会議において、旧オスマン・トルコ帝国領のアラブ人居住地域のうち、アラビア半島を除くシリア、レバノンがフランスの委任統治領、パレスチナ、イラク、ヨルダンがイギリスの委任統治領となることが確定した。
呑助 このころからパレスチナ問題が起きて来るんですね。
侘助 そうなんだ。十九世紀後半、ユダヤ人迫害が酷くなっていったからね。社会的不満を持つ市民の怒りの矛先をユダヤ人に向けるようなことを各国政府がしていたからね。
呑助 ユダヤ人迫害に市民の不満を向けさせることによって政府は社会の安定を図ったと言うことなんですね。
侘助 ポグロムというのはユダヤ人を殺戮、財産を略奪、家を破壊する。仕事で差別する。それは惨いものだったようだ。
呑助 そのころからですか、シオニズム運動が起きてくるのは。
侘助 そう、パレスチナにユダヤ人が植民してくるようになった。一九三〇年代になるとナチスによるユダヤ人迫害が猖獗を極めると多くのユダヤ人がパレスチナに難を逃れて植民して来るようになった。
呑助 パレスチナには、アラブ人たちが住んでいたんですよね。
侘助 聖書で「乳と蜜の流れる場所」と描写されカナンの地とはおおよそパレスチナの地域だからね。この辺りはほとんどが砂漠地域だが、パレスチナは「乳と蜜の流れる場所」肥沃な雨の降る地域、「約束された場所」なんだ。農業のできる地域なんだ。オリーブやブドウ、リンゴの実る豊かな地域だ。
呑助 旧約聖書にある「約束の地」に迫害を逃れてユダヤ人たちが入植してきたんですね。
侘助 二十世紀を迎えるまではアラブ人とユダヤ人たちは、大きな敵対的な争いもなく、住み分けしていたようなんだ。
呑助 問題は第一次世界大戦後に起きて来るわけなんですね。
侘助 私が理解しているところによるとユダヤ人たちはパレスチナに資本主義を持ち込んできたということなんだ。
呑助 二十世紀のパレスチナに住むアラブ人たちには資本主義経済が普及していなかったということなんですか。
侘助 アラブ人たちは、伝統的なオリーブの栽培、油を搾る。このような牧歌的な生活を営んでいた。ユダヤ人たちは銀行業をパレスチナで始めた。資本主義的な小麦栽培を始めた。シオニズムとは資本主義経済をパレスチナに持ち込むことだった。
呑助 資本主義という経済の仕組みは何よりも富の追求を第一義的に求める経済ですよね。
侘助 利潤というか、利益の追求かな。
呑助 正規の従業員と非正規の従業員の間に差別を持ち込むことが会社の利益になるということで単純事務業務などを非正規従業員に変えることが進んでいるんですよね。
侘助 資本主義経済は社会に差別を生む。このような働きをすると私は考えているんだ。パレスチナに入植したユダヤ人たち、資本家たちはアラブ人を差別した。金融資本家の代表者であるロスチャイルドは同時にシオニズム運動の推進者だったんだからね。
呑助 ナチズムも資本主義経済の強化、深化を計ったんですよね。弾丸道路ですか、今の高速道路建設などをしたというじゃないですか。
侘助 そうだよね。ナチズムがユダヤ人を迫害したようにパレスチナに入植し始めたユダヤ人はアラブ人を迫害す。資本主義経済が発展すると豊かになる人と貧しくなる人の格差が広がっていく。その最悪の場合がナチズムやシオニズムなんじゃないかと考えているんだ。
呑助 資本主義がナチズムとシオニズムを生んだということですか。

醸楽庵だより  749号  ホロコーストとナクバ④  白井一道

2018-06-03 12:11:19 | 日記


  ホロコーストとナクハ ④


 レーニン wikipediaより


呑助 英仏ロは中東をどのように分けるかを話し合いサイクス・ピコ協定を結んでいたんですね。
侘助 イギリスはイラク(バグダードを含む)とシリア南部(ハイファとアッカの二港)、
 フランスはシリア北部とキリキア(小アジア東南部)、
 ロシアはカフカースに接する小アジア東部を分割して領有し、パレスチナ(イェルサレム周辺地域)は国際管理地域とするという秘密の約束をしていた。
呑助 最終的には帝国主義国が植民地を拡大しようと約束しあっていたということですか。
侘助 第一次世界大戦はドイツ、イタリア、オーストリアとドイツ、フランス、ロシアとで植民地の奪い合いをしたという戦争だったということかな。
呑助 強国同士が弱い国の資源や富を奪い合った戦いだったということなんですね。
侘助 ロシア革命の指導者レーニンは第一次世界大戦を強盗の奪い合いだと述べていた。
呑助 英仏に比べてロシア軍は弱かったようですね。
侘助 そうそう、弱かったんだよね。だから革命が起きた。強い軍隊を持つイギリスやフランスでは革命が起きなかった。ロシア軍は日露戦争でも日本軍に敗れているからな。
呑助 ロシア政府には、いかがわしい人物、ラスプーチンがいたからなんですかね。
侘助 血友病患者であったアレクセイ皇太子の治療にあたり、成果を出したということが皇帝夫妻の信頼をラスプーチンは勝ち得て、政治にまで口を出すようなことをニコライ二世皇帝は許してしまったからね。
呑助 このようなことが起こったということは、ロシア政府の一種の腐敗ということなんですかね。
侘助 一方ではロシアヴォルシェヴィキの勢力が大きくなっていた。第一次世界大戦では、ロシア軍の中の厭戦気分が蔓延し、革命勢力側に寝返ったからね。その結果、レーニンを中心とする勢力が政権を握ると秘密の金庫を開け、サイクス・ピコ協定を全世界に公表したんだ。
呑助 そりゃ、イギリス、フランス政府は参ったでしような。
侘助 帝国主義政府というのは、自国民も全世界の国々の指導者、国民をも騙す。表立っては正義の味方、善意の政治だというようなことを言うが実際はそうではないようだ。
 一九一七年十一月ソヴィエト政府が成立し、「平和に関する布告」を発表した。その内容は、まず第一に、「無賠償(敗戦国から賠償金を取らない)、無併合(敗戦国の領土・国民の併合をしない)による即時平和」を実現するための交渉をただちに開始することを呼びかけた。あわせて民族自決の原則と、従来のあらゆる秘密条約を廃棄し、秘密外交を否定することを声明した」。このソヴィエト政府の「平和に関する布告」に対抗して、アメリカのウィルソン大統領は新たな戦争目的を表明する必要があると考え、翌年の一九一八年一月「平和十四ヵ条の原則」を発表した。
呑助 高校の時に、教わりましたよ。ウィルソンの平和十四カ条には民族自決権がうたわれていたんですよね。
侘助 そうなんだ。しかし、敗戦国オーストリア・ハンガリー帝国支配下の諸民族とロシア帝国支配下にあった諸民族の自治権は認められたが、イギリスやフランス支配下にあったアジアやアフリカの諸民族の自治権は認めなかった。
呑助 ロシアやオーストリア、ドイツに対しては懲罰的に民族の独立を認めたということなんですね。
侘助 そうなんだ。だからドイツが中国山東省に持っていた権益を日本が継承するとした第一次世界大戦の講和条約ヴエルサイユ条約の内容を知った北京大学学生たちは怒り五四運動を展開することになったんだ。
呑助 民族自治権を懲罰として認めたということなんですか。ここに帝国主義国の真意があったということなんでしよう。