昼顔に米搗き涼むあはれなり 芭蕉
句郎 岩波文庫『芭蕉俳句集』「瓜作る君があれなと夕涼み」の次は「昼顔に米搗き涼むあはれなり」の句である。
華女 「米搗き涼む」とは、どんな意味なのかしら。
句郎 「米搗き」とは、動詞ではなく、名詞なんだ。米搗きに雇われた出稼ぎの農民のことを意味しているんだ。
華女 出稼ぎ農民が三百年前から江戸にはいたの?
句郎 当時、江戸は世界屈指の人口の多い都市だった。日本全国から舟に積まれたお米が江戸に集まって来たからね。そのお米を船から降ろす仕事を求めて出稼ぎ人が集まった。それからお酒かな。関西の酒処から江戸に新酒が集まった。千石船に積み込まれた下り酒が樽に入れられ、河岸にあげられる。当時はすべて人力で荷を上げなければならなかったから、出稼ぎ人が集まったんだ。
華女 江戸の下町が出稼ぎ人の居住地だったのね。
句郎 田舎に帰ることができなくなった人々の居住地が「太陽のない街」裏長屋だった。
華女 貧民街ね。江戸時代にすでにスラム街が形成され始めているのね
句郎 自分の労賃だけで生活する人々が江戸時代に生まれてきているということなんじゃないのかな。
華女 高校の頃、世界史の授業で教わったような気がするわ。「資本の原始的蓄積」ということだったかしら。都市にスラム街が出現する。これが労働者の出現ということだったように思うわ。
句郎 へぇー、そんなことを覚えているんだ。貧しく、哀れな労働者たちは賃仕事を求めて信州や各地の農村から奉公の口を求めて江戸に集まってきた。
華女 米搗きも奉公の一種だったのね。米搗きというのは精米のことよね。
句郎 そうそう、精米とは籾から玄米を取り出し、玄米から糠を取り除き、白米にすることかな。
華女 川の流れに水車小屋のある農村では、そこで精米作業が行われていたのよね。
句郎 江戸では、そのような水車小屋がなかったので人力で精米作業、米搗きが行われていたんだろうね。低賃金の力作業だからね。生きていくの精一杯だったんじゃないのかな。
華女 哀れな存在だったのね。江戸の奉公人は。
句郎 昼顔の花って、何となく哀れな花だよね。誰からも大事にされることなく雑草として片付けられてしまう花なのかな。
華女 朝顔に似ているにもかかわらず、大事にされないのよね。どこにでもありふれている花だからかもしれないわ。
句郎 昼顔と江戸時代の米搗き人夫の取り合わせ、はかなさと哀れさ、芭蕉の米搗き人夫への優しい眼差しを思わせる句なんじゃないかと思う。
華女 そうね。芭蕉自身も俳諧文芸の中心地、京都へは行かずに江戸に下ったのよね。江戸には仕事あると考えてのことだったのかしら。
句郎 もともと芭蕉も身分は農民だったようだから。江戸に出た出稼ぎ人の一人だったんだろうからね。
華女 口減らしだったのかしら。
句郎 伊賀上野での生活が困窮し、やむを得ず江戸に出たと考えた方が良いんじゃないかと思っているんだ。だから同じ出稼ぎ人への同情があった。