夏衣いまだ虱をとりつくさず 芭蕉
句郎 「夏衣いまだ虱をとりつくさず」。『野ざらし紀行』に「卯月の末、庵に歸りて旅のつかれをはらすほどに」と前書きて、この句がある。貞享二年、芭蕉42歳。
華女 江戸、深川芭蕉庵に帰り着いた時の句ね。
句郎 「野ざらしを心に風のしむ身哉」。「野ざらし」とは、髑髏(されこうべ)、ドクロのことだよね。旅の途上に野垂れ死にすることを覚悟して深川芭蕉庵を旅立ったことを思えば、少し大袈裟過ぎたかなと芭蕉はかんがえていたんじゃないのかな。
華女 「案ずるよりも産むが易い」という諺があるわね。実際、そういうことってあるんじゃないの。
句郎 そうだよね。私は自分の家を自分で設計し、建築確認申請をしたんだけれども、実際してみれば案じていたほど、厳しいものではなかったよ。
華女 自分で設計した家を建て立ったのね。
句郎 いや、倹約のためだよ。大工を一人雇ってね。彼と相談して家を建てたんだ。
華女 自分でやればできるのかしら。
句郎 定年退職後、仲間三人で家を郷里の長野県に建てたという人の話を昔の仲間から聞いたことがあるよ。黒磯にログハウスの別荘を定年退職後建てた仲間がいたよ。
華女 男の人には定年退職後、いろいろなことをする人がいるのね。
句郎 一つのことを成し遂げた後、芭蕉は虚脱感に襲われてしまったのかな。そんな気持ちを詠んだ句が「夏衣いまだ虱をとりつくさず」だったのかな。
華女 そうなんでしょう。でも「虱」という言葉が強烈ね。そうじゃない。
句郎 「蚤虱(のみしらみ)馬の尿(ばり)する枕もと」という句が『おくのほそ道』にあるからね。このような当時の農民や町人が不断に使っていた言葉を用いて句を詠んだのが芭蕉だった。
華女 そこに芭蕉の近代性があるというのが、句郎君の主張なんでしょ。
句郎 そうなんだと思う。「夏衣いまだ虱をとりつくさず」。この句のどこにも分かりずらい言葉がない。普段当時の庶民が使っている言葉を使って句を詠んでいる。これはまさに言文一致の文体なんじゃないのかな。
華女 「夏衣いまだ虱をとりつくさず」。この句は日本の文体の歴史にあって、近代の夜明けを告げるような言葉なのね。
句郎 その通り。俳諧を捲く。このような遊びの普及が言文一致の文体を創造する営みを育んでいったと私は考えているんだ。
華女 どうしてそんなことが言えるのかしら。
句郎 蚤や虱、絶対に和歌では用いられることのない言葉を研ぎ、文学を表現する言葉に芭蕉は研ぎ上げた。俗語を研いで賀語にする。その営みが俳句を詠むということだったんだ。
華女 言葉そのものがその時代を表現もしているのね。
句郎 言葉は生き物だから死に、そして新しく生まれて来る。その言葉にはその社会における人間の在り方みたいなものが表現されているんじゃないのかな。
華女 「虱」という言葉を今の若い人たちは知らないかもしれないわよ。実際、最近虱を見ることがなくなってきているから。
句郎 虱と言う言葉は虱の絶滅同時に死滅する運命にある。