『ロシアのユーモア―機知と笑いの歴史 ―』川崎浹著 講談社〈選書メチエ〉を読む
ほろ苦き青春の日や蕗の薹 白井一道
そろそろ蕗の薹が芽を出す季節になりました。蕗の薹を焼いて食べるとほろ苦い春の味が口の中いっぱいに広がります。人肌の燗で日本酒をいただくと「蕗の薹新酒の酔いに恵比須顔」こんな感じになります。私が高校を卒業したころはほろ苦い青春を望みもしないのにいやおうなく味あわせられていたように思います。大学受験には失敗、好きだった女の子には受け入れてもらえなかった。学んだ語学は身につきませんでした。ロシア語文化の教養を持たない私には先生の著書「ロシアのユーモア」を半分も理解できませんでした。その面白さを味わうことができない哀しみを覚えました。
1960年、フルシチョフはアメリカに行きました。空港から出て行くと西側の記者たちに囲まれ矢継ぎ早にインタビューを受けました。あなたの国には言論の自由がありますか。「フルシチョフの馬鹿野郎」という言論の自由はありますか。そのようなことを言う人間は直ちに逮捕され刑務所にいれられるだろう。国家の最高機密を漏洩したのだから、とフルシチョフが言うと西側記者団たちの間に爆笑の渦が巻き起こった。このような話を私は高校生のころ、世界史の先生から聞いたことがあります。フルシチョフは凄い、さすがソ連共産党の第一書記だと思ったことを覚えています。先生の著書164ページに同じような話が載っています。「ソ連市民が赤の広場で「ブレジネフの馬鹿野郎」と呼ばわった。早速逮捕され、裁判にかけられ、十五日と十五年の刑を宣告された。国家機密の漏洩罪で」。このアネクドートに現実性のある社会がソ連社会だったら、怖い社会だと思います。共産党独裁の社会は闇と沈黙が支配したと先生は述べています。ソ連社会には幻滅していますのでショックはおぼえませんが、この闇と沈黙が支配したソ連社会、その為政者を民衆は笑った。民衆はいつの時代でも、どの地域でも逞しい。笑いは民衆の抵抗精神の表れだと感じました。笑いには、は、ひ、ふ、へ、ほ、の笑いがあると聞いたことがあります。アネクドートにも「はひふへほ」の笑いがあるなと思いました。54ページの「鞭をくらうだろうよ」というアネクドートには「ふふふふふ」なんていう笑いがあるように感じました。ピョートル大帝は抜歯の技術を身につけると臣下の歯を全部抜いてしまったと聞いています。その抜いた歯が今も博物館に展示してあるといいます。私はロシアに行ったことがないので確認したわけではありません。本当ですか。抜歯の技術という啓蒙は皇帝の臣下に専制という不幸を与えました。先生の著書からこんなことを思い出しながら読ませていただきました。
今から三百年前、松尾芭蕉は「おもしろうてやがて悲しき鵜舟かな」と詠いました。殺生を行う鵜匠さんは被差別民だった。夏の夜、灯火を吊るした竿の先に咽を縛った鵜を離す。灯火を求め、集まってくる鮎を鵜は捕まえ、飲み込むが咽から先に落ちていかない。鮎を捕まえた鵜を舟に上げ、鮎を吐き出させる。鵜にとってはなんとも残酷な漁である。このような残酷なことを行う鵜匠は、農民たちから恐れられ差別された。鵜飼いという命に生きる鵜匠の哀しみを芭蕉は詠った。先生の著書104ページに「おもしろうてやがて哀しき祭りかな」という項目があります。芭蕉の俳諧は現代日本語の慣用句の一つになっていると思いました。芭蕉の言語活動が普遍性を得たものの一つではないかと思いながら読ませていただきました。
もう一つ、芭蕉から、「秋深き隣はなにをする人ぞ」という俳諧があります。この俳諧を島崎藤村は「秋深し隣はなにをする人ぞ」と紹介しているという。「き」と「し」の違いです。芭蕉学者は「き」と「し」を藤村が間違えていることを発見し、間違えやすいことを述べていました。しかし「き」と「し」で意味がどう違うのか納得する説明はしていませんでした。読者に自分で考えてもらいたいと言っているのかもしれません。「秋深き渓谷」というように「き」の後ろには体言がきます。この体言を芭蕉は省略しています。だから余韻がでるということでしようか。それに対して「秋深し」というとそれで終わってしまいます。だから余韻がでないということでしょう。余韻は出なくとも「秋深し」と言ったほうが落ち着きます。だから散文に近づく。私はこんなふうに理解したのですが、間違ってはいないでしようか。
日本文学を研究する外国人はこのようなことを学び、きっと「き」と「し」の違いを理解することでしよう。私たちが外国語文化を学ぶということはこのようなことかなと思いながら読み進みました。日本人がロシア語を発音するとどうしても母音が入ってしまうため間延びしたように感じると書かれています。外国語文化を身につけていない者にはだから分からないということが分るだけなのかもしれません。
「看板、かんばん」と「蒟蒻、こんにゃく」、「本、ほん」、「年金、ねんきん」。「ん」の発音が少しずつ、後ろにくる言葉によって違うということを外国人に日本語を教えている先生から教わりました。私たちが何不自由なく日本語を話しているから外国人に日本語を教えられるというものではないことを理解しました。早稲田の大学院でニーチェを読んでいたとき、佐藤先生はよく言っていました。ドイツ人よりドイツ語ができるようにならなければ一人前ではないと。きっとそうなのでしよう。
分からないながらいろいろなことを思いながら読み進みました。「人間の意識は客観世界を反映するのみならず、世界を創造する」。この言葉が波紋を起こした。このような言葉はマルクスにもあるし、レーニンにもあったように思いながら読み進むとそうだと先生は書いておられました。唯物論の皮相な理解が問題を起こした。人間の愚かさを笑う小話として理解しました。このように理解できたところも多々ありました。全般的にソ連社会の一面を学ぶことはできたと思っています。ありがとうございました。
気づいたことを一つ、136ページに「1941年から1945年までの第二次世界大戦でソ連は700万人の死者をだした。」と記していますが、私が世界史の授業で教えているソ連の死者数は、二千万人です。今、インターネットで調べてみても二千万人となっていました。41年から45年という期間に限定すると700万人ということになるのかもしれません。具体的な死者数をソ連政府は公表していないと聞いていますから私の間違いかもしれません。失礼をお許しください。
私の能力的な限界はありますが、先生のお仕事の一端をこれからも学んでいきたいと思っています。
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