酒のみに語らんかゝる瀧の花 芭蕉
句郎 岩波文庫『芭蕉俳句集』から「酒のみに語らんかゝる瀧の花」。芭蕉45歳の時の句。「龍門」と前詞を置き、「龍門の花や上戸の土産にせん」と並べて『笈の小文』に載せている。
華女 芭蕉は龍門の滝に咲く花を見ながらお酒を飲んだのかしら。
句郎 そうじゃないよ。酒好きの俳句仲間にこのような見事な龍門の滝に咲く桜の花を土産話にしてあげようということなんじゃないのかな。
華女 じゃー、「龍門の花や上戸の土産にせん」の句と同じことを詠んでいるのね。
句郎 芭蕉にとって俳句仲間は家族のような存在だったんだろうな。
華女 秀句だと言われていない句を読むと芭蕉の人柄と言うか、性格のようなものが伝わってくるように感じるわね。
句郎 きっと花見酒を楽しみしていた俳句仲間のことを思い出していたのかもしれないな。
華女 きっと、そうなんでしよう。
句郎 酒を詠んだ芭蕉の句は人情のようなものが詠まれているように感じるな。例えば、「朝顔は酒盛知らぬ盛り哉」。私の好きな芭蕉の句があるんだ。朝顔を詠んでいるんだが、酒盛の楽しさが偲ばれる句になっているように思っているんだ。
華女 夜通しお酒を楽しんだ後だったのよね。そんな気持ちが伝わって来る句よね。
句郎 、「御命講や油のような酒五升」というお酒そのものを詠んだ句がある。
華女 「御命講」って、何。
句郎 日蓮の命日を祝う儀式のようだ。
華女 そのような「講」に集う信者たちがいたのね。信者たちがお酒を寄進したのね。
句郎 この句はなかなかな秀句なのかもしれないな。体言と体言とを並べただけで立派な句になっている。これが俳句だというようなくなのかもしれないよね。
華女 「油のような酒」とは、どんなお酒なのかしら。
句郎 この句にも静かさがあるよね。だから心が静まるようなお酒なんじゃないのかな。泡がでて賑やかさを醸し出すビールのようなお酒は油のような酒とは言わない。美味しい日本酒を譬える言葉が油のような酒なんじゃないのかな。
華女 盃に盛り上がってくるようなお酒なのかしら。
句郎 きっと甘口のボディのあるお酒なんじゃないかと思う。当時にあっては、甘口のお酒が美味しいお酒だったんじゃないのかな。
華女 高級酒は甘口だったのね。
句郎 油のような酒とは高級酒ということかな。澄んだお酒、清酒が当時は高級酒だったのではないかと思う。普段、芭蕉が楽しんだお酒は白濁したお酒だったんじゃないかと思うよ。
華女 「御命講」で芭蕉は油のようなお酒を頂くことができたのかしらね。
句郎 疑問だな。御命講でお酒が五升上がっていたのを見て、詠んだのかもしれない。大変なお酒が上がっているなぁーと、芭蕉は賛嘆しているということなんじゃないのかな。ただ芭蕉はお酒を眺めて手を合わせて、拝んだのかもしれない。昔、果物屋の棚の上に桐の箱に入ったメロンがあった。そのようなものだよ。