醸楽庵だより

芭蕉の紀行文・俳句、その他文学、社会問題についての評論

醸楽庵だより  686号  御命講(おめいこう)や油のような酒五升(芭蕉)  白井一道

2018-03-30 17:02:39 | 日記


        
     身延山にある「御命講や油のような酒五升」の石碑


  御命講(おめいこう)や油のような酒五升  芭蕉

句郎 岩波文庫『芭蕉俳句集』から「御命講(おめいこう)や油のような酒五升」。『芭蕉庵小文庫』芭蕉45歳の時の句。
華女 「御命講」とは、何なのかしら。
句郎 日蓮の忌日(十月十三日)に営まれる,宗祖報恩のための法会をいう。
華女 私、池上本門寺の万灯練行列を見たことがあるわ。
句郎 今でも凄い人出のようだね。
華女 元禄時代から万灯練行列はおこなわれていたのかしらね。
句郎 芭蕉も池上本門寺の御命講を見たことがあるんじゃないのかな。日蓮聖人が亡くなられた時、庭先の桜が時ならぬ華を咲かせたという故事から、万灯は紙で作った造花で灯明輝く宝塔を飾って行列を作るようだからね。
華女 「御命講(おめいこう)や油のような酒五升」とは、何を表現しているのかしら。御命講という行事に信者からお酒五升を頂いたということなのかしら。
句郎 そう、ひな壇のような所にお酒五升が飾ってあったのかもしれないな。
華女 日蓮宗はお酒御法度じゃないのね。
句郎 日蓮自身もお酒を嗜んだようだからね。百薬の長としてお酒を飲んだということのようだけど。
華女 「油のような酒」という表現が上手だと思ったわ。薄っぺらなお酒じゃない。しっかり味ののったお酒という感じがするわ。
句郎 この表現は日蓮消息文の中にある、日蓮が信徒からもらった贈り物への礼状に書いた文章、「新麦一斗、筍三本、油のやうな酒五升、南無妙法蓮華経と回向いたし候」から採ったようだ。芭蕉自身のオリジナルではなかったみたい。
華女 芭蕉は、日蓮へ差し出された手紙の一節を読み、上手いなと思い、自分の句の一部にしたということなのね。
句郎 「油のような酒五升」という言葉が御命講という行事を表現していると私は思うな。
華女 日蓮宗が江戸庶民の宗教になっているということね。
句郎 そうだと思う。「おめいこうや」という字余りに芭蕉の思いが籠っていると思う。
華女 「御命講」という行事の本質が「油のような酒五升」という言葉によって表現されているということね。。
句郎 山本健吉がこの句を場使用の名句の一つとして取り上げていることに納得できると思う。だからというわけでもないが、この句の石碑が日本全国に九つもあるそうだ。
1埼玉県深谷市の光厳寺
2千葉県勝浦市の本行寺
3同県・松戸市の本土寺
4静岡県富士市の「かんかん堂」
5長野県富士見町真福寺
6山梨県身延町の久遠寺
7大阪府大阪市の妙法寺
8岡山県井原市の妙典寺
9長崎県平戸市の瑞雲寺
華女 こんなにもたくさん芭蕉のこの句の石碑があるということは、芭蕉のこの句を愛する日蓮宗の信者がたくさんいるということなのよね。
句郎 「葷酒(くんしゅ)山門に入るを許さず」という仏教の教えを日蓮は乗り越え、仏教を日本の民衆の仏教にしたということなんだろうな。そのような日蓮の仏教の教えの本質を表現している句が芭蕉の「御命講や油のような酒五升」だと思うな。

醸楽庵だより  685号  行く秋や身に引きまとふ三布蒲團(芭蕉)  白井一道

2018-03-29 16:00:50 | 日記


 行く秋や身に引きまとふ三布蒲團  芭蕉

句郎 岩波文庫『芭蕉俳句集』から「行く秋や身に引きまとふ三布蒲團(みのぶとん)」。『韻塞』芭蕉45歳の時の句。
華女 「三布蒲団」とは、どんな蒲団を言うのかしら。
句郎 一布を「ひとの」と読むようだ。35センチ幅のことを一布という。だから三布蒲団とは、105センチぐらいの幅を持つ蒲団を言う。
華女 掛け布団にしては狭いわね。
句郎 芭蕉が生きた時代には、掛布団を使うことはなかった。
華女 えっ、掛け布団はなかったの。じゃ、どうして寝ていたのかしら。
句郎 江戸時代、布団と言えば、敷布団を意味していたようだ。江戸時代、綿花の栽培が普及し、木綿の綿を布地の中に入れた蒲団が普及したが、これは高級武士や豪商しか、普段に使用することはできなかった。庶民の中に生きる芭蕉が使用できた蒲団は和紙の袋の中に藁を入れた紙衾(かみふすま)だった。
華女 深川芭蕉庵には畳は入っていたのかしら。
句郎 勿論、畳という高級品などが敷き詰められていたわけではない。土の上、二、三十センチのところに床板が張られていただけだったんじゃないのかな。その上に藁ござを敷き、三布蒲団を「引(ひき)まと」って寝たということなんじゃないのかな。
華女 「行く秋」に紙衾のようなものにまとわりついて寝るのね。今のホームレスとあまり変わらない状態だったのね。
句郎 でも案外、藁の入った紙衾は暖かったのかもしれないよ。コンクリートの上に新聞紙を敷くと思ったより、暖かく寝ることができると言っている話を聞いたことがあるよ。
華女 寒さに向かう寂寥感は身に凍みるものがあったんでしようよね。分かるわ。温かさが何よりの御馳走よ。寒さに向かっては。
句郎 「身に引きまとふ三布蒲團」には、「行く秋」の本意が表現されていると思うな。
華女 「秋暑し」を惜しむ気持ちね。
句郎 その気持ちが「行く秋」の本意なんだろうね。
華女 「行く秋」が季語として成立したのは、いつ頃だったのかしら。
句郎 北村季吟が正保5年、1648年に季寄せ『山之井』を出版した。この歳時記に季の言葉として「行く秋」が載せられたのが初めのようだ。
華女 「行く秋」という季語はまだ初々しい季語だったということなのね。
句郎 芭蕉の「行く秋」を詠んだ五句が伝わっている。私の好きな句「行くあきや手をひろげたる栗のいが」。「行く秋」が表現されているよね。この句は「行く秋」の実りが表現されていると思う。「行秋のなほたのもしや青蜜柑」。この句も「行く秋」の寂寥感ではなく、実りの喜びが表現されている。実りの喜びのようなものを詠んだ句に芭蕉の句の本質があるように私は考えているんだ。
華女 三布蒲団を引き纏っても芭蕉は貧しさと寒さに負けているんじゃないのよね。そんな生活を楽しんでいるじゃないの。
句郎 そうなんだと思うな。男一人、家族もなく、寂しい限りだが、少しも寂しくない。大勢の仲間がいるから。笑っている。

醸楽庵だより  684号  西行の草鞋もかかれ松の露(芭蕉)  白井一道

2018-03-28 13:32:54 | 日記


 西行の草鞋もかかれ松の露  芭蕉


句郎 岩波文庫『芭蕉俳句集』から「西行の草鞋もかかれ松の露」。芭蕉45歳の時の句。『笈日記』。「画讃」とのみ前詞がある。
華女 「画讃」とは、絵を見て感じたことを句にしたということなのかしらね。
句郎 もともと中国では絵の空白に書をしたためる慣わしがあったみたいだからね。
華女 絵と書とを一緒に味わっていたということなのね。それを真似、この絵にこのような書を加えるといいのにねぇーと詠んだ句なのかもしれないわね。
句郎 絵は、その物自体が句なのかもしれない。
華女 絵は現実を認識する手段であると同時に認識した結果だということなのよね。
句郎 どんな絵が描かれていたのかな。
華女 それは西行の草鞋と松の露が幾分大きく描かれていたんじゃないのかしら。
句郎 秋の朝、旅立つ西行の草鞋と松葉を滴り落ちる朝の露だったんだろうな。
華女 秋の朝日ね。真新しい藁の香が漂う足下の草鞋が元気よく動きだす。足下に滴る松の露に濡れしみを広げる草鞋の絵が浮かんでくるわ。
句郎 西行というと旅の人というイメージだよね。だから草鞋。旅人にとって一番元気な時は朝だからな。
華女 松の露が朝日に輝く一瞬があるわね。
句郎 芭蕉には絵を見て西行の歌を思い出していたんじゃないのかな。
華女 西行のどんな歌なのかしら。
句郎 「ここをまたわれ住み憂くて浮かれなば松は独りにならむとすらむ」。ここがまた住みづらくなってきた。ここを出て浮かれ出て行こう。私と一緒にいた松は一人ぼっちになってしまうが。
華女 旅の人、西行にとって松の木を頼りに生き、松の木に癒され、元気をもらい旅に生きた人だったのかしら。
句郎 『山家集』には、「庵の前に松の立てりけるを見て」と詞書があるようだから。
華女 芭蕉は絵を見て、西行の歌を思い、この句を詠んだということなのね。
句郎 そうなんじゃないのかな。宮崎県に「松の露」酒造という焼酎メーカーがあるんだ。そのホームページを見ると「松の露は、松の葉から滴る朝露の美しさから命名されました」とあるからね。確かに松葉から滴る朝の露には全宇宙が表現されているような輝きがあるように感じるからね。草鞋と松の露に芭蕉は西行の人生が表現されていると考えていたんじゃないのかな。
華女 草鞋と露は確かに旅を象徴するような働きがあるのかもしれないわ。
句郎 露を詠んだ芭蕉の句に「今日よりは書付消さん笠の露」と詠んだ『おくのほそ道』にある句があるでしょ。この句の「露」にも旅人の命が吹き込められているような気がするんだ。また「露とくとくこころみに浮世すゝがばや」という句が、『野ざらし紀行』にあるじゃない。この「露」という言葉にも命を蘇らせるような働きがあるでしょ。清いもの、生き生きとさせるもの、朝の空気のようなものを表現する力が「露」というものにはあるのかもしれない。


  岐阜県恵那市長島町中野西行塚の句碑。牛久市森田武さん提供






醸楽庵だより  682号の写真  唎酒を楽しむ  白井一道

2018-03-27 16:40:28 | 日記

 
  唎酒を楽しむ    白井一道


 唎酒三月例会は下記の写真、五本の吟醸酒を楽しんだ。「水芭蕉」は春を表現したと蔵元は言っている。薄濁りの酒だった。ここに淡い雪を表現したつもりなのかもしれないと思った。山形の「出羽桜」には、本生の酒、炭酸のシュワシュワ感が残っていた。山形の酒が表現されているのかなと思った。「谷川岳」は「水芭蕉」と同じ酒造会社永井酒造が醸す酒だ。この酒を醸した杜氏の意気込みのようなものを感じた。「三百年の掟やぶり」、今まで何回も飲んだ酒だったが、今まで一番美味しい酒だった。最後が静岡県富士宮市の富士高砂酒造の酒、富士山の伏流水、超軟水の水で醸した酒だった。柔らかな咽越し、切れの良さ、リーズナブルな値段、とても気に入った。



醸楽庵だより  683号  木曽の痩せもまだなほらぬに後の月(芭蕉)  白井一道

2018-03-27 12:59:10 | 日記


 木曽の痩せもまだなほらぬに後の月  芭蕉


句郎 岩波文庫『芭蕉俳句集』から「木曽の痩せもまだなほらぬに後の月」。芭蕉45歳の時の句。『笈日記』。「帰庵に十三夜」と前詞がある。
華女 「後の月」、十三夜のことね。
句郎 旧暦の社会に生きた人々にとって月の満ち欠けが人々の生活とって大きな影響を与えていたんだと思うな。
華女 そうなのよね。十三夜というと樋口一葉の短編小説『十三夜』を思い出すわ。この小説は十三夜の月明りが主人公と言ってもいいような小説だと思うわ。
句郎 月明りの下で農民は農作業をしていたからね。街灯のなかった時代、月明りが夜道を照らしてくれた。
華女 月明りに照らされた夜道を人力車に乗った女性が車夫の姿に初恋の男を見出す。立派なお屋敷に嫁ぎ、虐められている境遇を女は胸の内を明かす。生きる哀しさが月明りに癒される。『十三夜』、胸に沁みる小説よね。
句郎 月の満ち欠けに固有名詞がある。いかに月の満ち欠けが人々の生活に大きな影響を与えていたのかを示していると思う。
華女 新月というのは、太陽に邪魔されて月が何も見えないことを言うのよね。一日ごとに少しづつ月が弓なりになって見えてくるのよね。
句郎 新月から三日目の月が三日月、半分の月が上弦の月、満月に次いで美しいと言われた十三夜、小望月、十五夜(満月)とね。このような月の満ち欠けに固有名詞が付けられ、それぞれの行事が行われた。最も美しい月見ができるのが旧暦の八月十五日の十五夜だった。それから一月後の九月十三日の月が美しいと言われて十三夜。だから「後の月」といわれるようになったみたいだ。旧暦の九月十三日は新暦の十月十日前後だったから、「十三夜に曇りなし」と言われた。
華女 芭蕉の生きたじだいにあっては、後の月という言葉が人々の想像力を豊かにしていたということね。
句郎 毎日を忙しくビルの谷間で生活している人々にとっては、月の満ち欠けは遠い昔の世界の話になってしまっている。
華女 天気については関心があっても月の満ち欠けには関心が無いわね。
句郎 月の満ち欠けに関心が寄せられない社会にあって、後の月といっても我々の想像力が刺激されることはないな。
華女 また、「木曽のやせもまだなほらぬに」と言われても、事情を知っている人には伝わっても、見ず知らずの人には何のことだか、わからないと思うわ。
句郎 蕉門俳諧の連衆には伝わっても、一般の人々には伝わらない俳句なんじゃないかな。
華女 『更科紀行』の旅を終えて間もないころに詠んだ俳句の一つなんでしょ。
句郎 芭蕉は月日の速さ、無常なる世界を詠んでいるのではないかと思うが、普遍的なものを詠んだとしても、欠点があるように思っているんだ。
華女 個別具体的なものをとおして普遍的なものを詠んでこそ古典と言われる俳句になるのよね。
句郎 そうなんだ。残念だけど、芭蕉のこの句は歴史の中でいつかは忘れられていく句の一つなのではないかと思う。