磨(とぎ)なをす鏡も清し雪の花 芭蕉
句郎 岩波文庫『芭蕉俳句集』から「磨(とぎ)なをす鏡も清し雪の花」。「熱田御修覆(あつたみしゅうふく)」と前詞がある。
華女 熱田神宮修復工事後、参ったときに詠んだのね。
句郎 芭蕉は三年前、貞享元年『野ざらし紀行』の中で熱田神宮に参っている。その時のことを芭蕉は次のように書いている。
熱田に詣
「社頭大いに破れ、築地は倒れて叢に隠る。かしこに縄を張りて小社の跡をしるし、爰に石を据ゑて其神と名のる。蓬・忍、心のままに生たるぞ、中々にめでたきよりも心とどまりける。」叢(くさむら)と化していた境内が立派に修復されたことに神の力を芭蕉は感じたのかもしれない。その感動を詠んだ句が「磨なをす鏡も清し雪の花」だったのじゃないのかな。
華女 「鏡」とは、三種の神器の一つのことでいいのかしら。
句郎 、三種の神器とは、八咫鏡(やたのかがみ)・八尺瓊勾玉(やさかにのまがたま)・草薙剣(くさなぎのつるぎ)を言うようだ。神鏡八咫鏡(やたのかがみ)がピカピカ光っているのを見て、研ぎ直されていることに芭蕉は感動したんだろうな。
華女 鏡は魔法の道具なの。お化粧すると女の顔は綺麗になっていくのよ。鏡よ、鏡よ、鏡さん、どうか私を美しくしてねとお願いすると美人になるのよ。鏡は魔法の道具なのよ。奇跡をもたらしてくれるもの、それが鏡。
句郎 天皇支配を正当化する呪術の道具が三種の神器なんだろうな。天皇支配の正当性を讃える組織が神社なんだろうからね。
華女 江戸時代は徳川幕府の支配する社会だったから、神社が寂れたりすることがあったのね。
句郎、そうだと思う。でも熱田神宮のように復興する場合もあった。五代将軍徳川綱吉が熱田神宮の修復を実現した。なぜ将軍綱吉が神宮の修復をしたのかと言えば、神宮の神様に徳川支配の正当性を認めさせ、権威付けさせるためだったと思う。
華女 江戸時代は徳川幕府が権力を握り、伊勢神宮を頂点とする神社の体系が権威を持っていたと言えるのね。
句郎 ヨーロッパ中世社会は二つの中心点を持つ楕円のような構造を持った社会だったということができると昔教えられた。それは権力を持った皇帝と権威を持ったローマ教皇、この二つの中心を持つ社会だったとね。
華女 日本の江戸時代はヨーロッパ中世社会と同じような構造をした社会だったと言えるのね。
句郎 徳川幕府は神社の権威というものと一体化して支配体制を整えていたということは言えるような気がする。
華女 芭蕉は「磨なをす鏡も清し雪の花」と神社の権威を讃えているのよね。
句郎 神鏡の輝きの中に神聖なものを感じたからだと思う。この神聖さというものが徳川幕府を権威づけているのじゃないかと思うんだ。
華女 厳粛な雰囲気が神聖なものを権威づけるのよね。
句郎 「その社会の支配的な思想はその社会の支配的階級の思想である」とマルクスが述べているが本当にそうだと思うな。芭蕉は徳川幕府の支配を当たり前のものとして受け入れていたその結果としてこの句が誕生した。