醸楽庵だより

芭蕉の紀行文・俳句、その他文学、社会問題についての評論

醸楽庵だより  657号  無き人の小袖も今や土用干(芭蕉)  白井一道

2018-02-28 11:39:25 | 日記

 
 無き人の小袖も今や土用干  芭蕉


句郎 岩波文庫『芭蕉俳句集』から「無き人の小袖も今や土用干」。芭蕉45歳の時の句。「千子(ちね)が身まかりけるを聞きて、美濃の国より去来がもとへ申しつかはし侍りける」と前詞がある。『猿蓑』に載せてある。
華女 「千子」とは、芭蕉とどのような関係にあった人なのかしら。
句郎 千子は芭蕉の門人で去来の妹だった。芭蕉は去来からの手紙で知ったようだ。
華女 これは、芭蕉の追悼句なのね。私、芭蕉の追悼句、好きだわ。思いが籠っているのに軽いのよね。その軽さが気にいっているのよ。
句郎 千子の辞世の句「もえやすくまた消えやすき蛍かな」。この句、とてもいいよね。
華女 妙な執着がなくていいと思うわ。
句郎 妹の死を悼んで去来は、「手の上に悲しく消ゆる蛍かな」と詠んでいる。
華女 去来は妹を大事にしていたのね。しみじみとした哀しみね。
句郎 土用干しという風習が日本にはあった。そのような風習がなくなって久しいが、日常生活を大事にしていた昔の日本人の生活を知る上でもこの句は後世に残していきたい句の一つだと思うな。
華女 「小袖」と言っても、小袖を日常生活で着ていたのは、私の祖母の頃だったんじゃないのかしら。私の母はもう洋服というか、スカートとブラウスを着ていたように思うわ。
句郎 着物の洗濯というのは大変だったと思うな。着物はすべて布切れにこわし、洗い張りしたあと、また縫って着物に仕立てていたんだからな。
華女 だから季節が変わり、夏を迎えると土用干しが絶対必要だったのよね。この土用干しの風習を実感できる人には、芭蕉のこの句を身に沁みて感じることができるんじゃないかと思うわ。
句郎 土用干しした小袖はやがて子供の着物として着続けられていくんだろうな。
華女 庶民は丁寧な日常生活を送らなければ、生きていけいないという状況があったんでしょうよ。
句郎 そのような庶民の日常生活の中に芭蕉は美しいものがあるなぁーという感慨をもったんじゃないのかな。
華女 無き人が着た小袖を今や、土用干しして亡き人の子がその小袖を着て母の思いや願いを実現すべく生きていこうとしていますよと、いうことね。
句郎 一編の物語があるね。この句には。
華女 物語が生まれるような句が名句なんじゃないのかしらね。
句郎 芭蕉の追悼句というと、「入る月の跡は机の四隅哉」が思い出されるんだ。今は亡き人が愛用した机が部屋に入る月の明かりに照らされている。その机の上で書かれたものに思いを寄せている芭蕉の気持ちがわかるような句だと思っているんだ。
華女 句郎君の読みを聞いてなるほどねと、思ったわ。
句郎 「埋火も消ゆや涙の烹ゆる音」。通夜の静かさが表現されているように感じているんだけどね。
華女 通夜とは、このようなものでなければいけないわ。お酒を飲んで単なる雑談している風景を目にするけれど、昔の通夜はこのようなものであったんだと教えられるような句ね。
句郎 芭蕉は庶民を詠った。






醸楽庵だより  唎酒に遊んできた  656号  白井一道

2018-02-27 11:19:22 | 日記

  唎酒に遊ぶ

A、三連星 無濾過生原酒、純米直汲み (季節商品)  720ml 1475円税抜
 滋賀県甲賀市 美冨久酒造株式会社
 酒造米:滋賀県産吟吹雪、   精米歩合:60%精米
 アルコール度数:16% 日本酒度 : +5.5  酸度:1.6

B、川鶴純米酒生原酒 (季節商品)720ml 1450円
 香川県観音寺市 川鶴酒造株式会社
 酒造米:さぬきよいまい、 精米歩合:58%精米
アルコール度数:17%   日本酒度:+3


C、白玉香 山廃純米無濾過生原酒   720ml 1480円
 千葉県いすみ市 木戸泉酒造株式会社
 酒造米:兵庫県産山田錦  精米歩合:60%精米
 アルコール度数:18.5%   日本酒度:秘密(飲んで甘辛を決めてもらいたい)


D、澤姫 生酛純米     720ml 1250円
 栃木県宇都宮市 (株)井上清吉商店
 原料米: とちぎ酒14   精米歩合:60%精米
アルコール度数:15   日本酒度:+2    酸度1.8


E、景虎純米酒  720ml 1180円
 新潟県長岡市 諸橋酒造株式会社
 酒造米:五百万石 精米歩合:65%精米  
アルコール度数:15~16%  日本酒度:+3 


 今回は、いろいろな飲み比べが楽しめた。一つは、季節商品としての酒と年間商品としての酒の違いです。季節商品とは、今の時期しか楽しむことができない酒です。季節商品とは、酒蔵がお得意さんの酒販店にのみ出荷する特別に醸した酒のことです。造りの方法、グレードが同じであっても、仕込む製造量が少ないので、タンクごとのブレンドをしていない場合が多いです。特に出来の良かったタンクの酒を出荷してくれているようです。その蔵の特徴の出た限定流通のお酒です。三連星と川鶴が季節商品です。
 又、原酒と加水した酒の違いです。三連星と川鶴、白玉香が原酒です。また、生酛、山廃造りの酒は化学製品の乳酸菌が使用されていません。乳酸菌を入れた酒を速醸酛造りの酒といいます。酒の醸造期間を大幅に短縮できるので、それだけ安くできているわけです。そのような酒と麹の力によって乳酸菌を造る酒では、どのような違いがあるのかを味わうことができた。白玉香と澤姫が生酛、山廃酛で醸造したお酒です。生酛、山廃酛で醸造した酒は骨格がしっかりしているといわれています。酒本来の味が楽しめるという感じだった。同じ酒を二回のみ、一回目に飲んだ酒と二回目に飲んだ酒を当てることができるかというマッチングをする遊びです。当たっても、当たらなくとも酒を本気になって味わう楽しみがありました。
  

醸楽庵だより  655号  海は晴れて比叡降り残す五月哉(芭蕉)  白井一道

2018-02-26 13:40:16 | 日記


 海は晴れて比叡降り残す五月哉  芭蕉


句郎 岩波文庫『芭蕉俳句集』から「海は晴れて比叡降り残す五月哉」。芭蕉45歳の時の句。「五月末、ある人の水楼にのぼる」と前詞がある。
華女 「海」とは、琵琶湖のことでいいのよね。
句郎 芭蕉は琵琶湖が好きだったみたいだな。
華女 「五月雨に鳰(にお)の浮巣を見にゆかん」。この句のどこにも琵琶湖の鳰の浮巣とは、書いていないにもかかわらず、五月雨の中、琵琶湖に舟を進めようということなのよね。芭蕉にとって鳰と言えば、琵琶湖の鳰なのよね。
句郎 鳰の海とは、琵琶湖のことだからね。
華女 上五「海晴れて」、下五「五月哉」だから、五月晴を詠んでいるのよね。
句郎 琵琶湖の空は青空。なのに比叡山には雨雲がかかり、雨が降っているのかなと詠んでいる。
華女 五月晴の琵琶湖、大景を詠んでいるんだと思うわ。
句郎 雨降りの比叡山を別にして後はすべて琵琶湖の空は五月晴だということなんだよね。
華女 「五月雨の降り残してや光堂」。この句の場合、光堂は五月雨が降り残したので、今も残っているんだという感慨を詠んでいるのよね。。
句郎 時間の流れは変わり行く流行の中、無常であるが、その中にあって不易なるものがあるんだなぁー。光堂は不易なるものだという発見をした喜びを詠んでいるのかな。
華女 「海はれて」の句は、「五月雨の」の句とは、逆のものを降り残しているということなのよね。
句郎 「比叡降り残す」という中七の言葉には芭蕉の気持ちが籠っているのかもしれないな。
華女 それは、芭蕉のどんな気持ちだったのかしら。
句郎 比叡山と言えば、延暦寺。延暦寺といえば、最澄、『往生要集』の源信、浄土宗の開祖法然、臨済宗の開祖栄西、道元、親鸞、日蓮など日本の歴史に大きな影響を与えた高僧を生んだ名刹の寺だからね。芭蕉には比叡山を仰ぎ拝むような気持があったのじゃないのかな。
華女 そのような気持ちが芭蕉にはあったのかもしれないと思う一方には、なんか湿っぽいなぁーという気持ちもあったんじゃないのかしら。
句郎 芭蕉は禁欲的な人ではなく、人間の欲望に対しては肯定的なところがある人みたいだから、仏教にある禁欲的な面に対しては付いて行けないなぁーという気持ちはあったかもしれないとは思う。
華女 琵琶湖の五月晴には、芭蕉の心を開放する晴れやかさがあったのじゃないかと思うわ。
句郎 山国育ちの芭蕉にとって琵琶湖は海そのものだったんだろうな。
華女 海は人と人とを結び合う交流の場なのよ。
句郎 琵琶湖は日本の西と東とが出会うところであると同時に戦の場所でもあったからな。
華女 東海道と中山道とが合流し、京都に向かうところが琵琶湖だったのよ。
句郎 関ケ原は琵琶湖の湖畔にあるともいえるような場所にあるからな。
華女 芭蕉にとって琵琶湖、近江というところは、心が落ち着く所だったんでしょ。
句郎 そうなんだろうな。だから近江を詠んだ芭蕉の句は多いし、同時にまた近江蕉門の門人も多いのかもしれないな。

醸楽庵だより  654号  五月雨に隠れぬものや瀬田の橋(芭蕉)  白井一道

2018-02-25 13:18:39 | 日記

 
  五月雨に隠れぬものや瀬田の橋  芭蕉


句郎 岩波文庫『芭蕉俳句集』から「五月雨に隠れぬものや瀬田の橋」。芭蕉45歳の時の句。
華女 「瀬田の橋」とは、どこにある橋なのかしら。
句郎 東海道・中山道方面から京都へ向かうには、琵琶湖を渡る、もしくは南北いずれかに迂回しないかぎり、琵琶湖から流れ出る瀬田川を渡る必要がある。1889年(明治22年)まで瀬田川にかかる唯一の橋であった瀬田の唐橋は、交通の要衝であり、京都防衛上の重要な土地であったことから、古来より「唐橋を制する者は天下を制す」と言われた。唐橋を舞台として繰り広げられた、壬申の乱、寿永の乱、承久の乱、建武の乱など、昔から様々な戦乱に巡り合ってきた歴史上有名な大津にある橋をいうようだ。。
華女 瀬田の橋には今まで歴史上有名な人物の思いが詰まっているということなのね。
句郎 芭蕉は琵琶湖畔の大津という地域が好きだったんじゃないのかな。
華女 芭蕉の墓のある義仲寺は琵琶湖畔にある膳所にあるのよね。
句郎 五月雨に煙る琵琶湖畔はすべて靄のなかにある。その中にあって大きな大きな瀬田の唐橋の姿がぼんやり薄墨色に見えているということなんだろう。
華女 五月雨の中、芭蕉は瀬田の橋への思いに浸っているということなのよね。芭蕉は五月雨が好きだったんじゃないのかしら。五月雨を詠んだ名句があるような気がするわ。
句郎 最も有名な句は「五月雨を集めて早し最上川」かな。
華女 「五月雨の降り残してや光堂」。平泉、中尊寺で詠んだ句ね。高校生のころ、『おくのほそ道』の授業で教わった句だわ。
句郎 「五月雨の空吹き落せ大井川」。この句も芭蕉名句の一つとしてあげている人が多いようだ。
華女 「五月雨に鳰(にお)の浮巣を見にゆかん」。この句も五月雨と琵琶湖を詠んだ広く知られている句のようよ。
句郎 「五月雨や桶の輪切るる夜の声」。五月雨の情緒が表現されている句だと思うな。
華女 「五月雨や色紙へぎたる壁の跡」。若い頃、一人住いをしたアパートの一室を思い出す句だわ。五月雨に閉じ込められ、アパートの部屋の壁を眺めていた陰鬱な日々が思い出される句ね。
句郎 芭蕉の若かった頃の句に「五月雨に御物遠や月の顔」なんていう句があるよ。毎日、五月雨でお月さんにご無沙汰しているというような句を芭蕉は詠んでいる。
華女 「五月雨に鶴の足短くなれり」。こんな句も芭蕉は詠んでいる。理屈の句ね。
句郎 その句は笑いを取ろうとした句なんじゃないの。
華女 「五月雨は滝降り埋むみかさ哉」。「みかさ」とは、水嵩のことのようね。川の増水のため滝が埋めらけてしまったわ、ということよ。
句郎 「五月雨も瀬踏み尋ねぬ見馴河(みなれがわ)」五月雨も川に尋ね、尋ね降っているようだ。
華女 五月雨は芭蕉によってすべて詠まれてしまったような感じね。もう五月雨の詠みようがないというところまで詠んでしまっているような感じね。
句郎 だから季語は増殖し続けていくのかもしれないな。

醸楽庵だより  653号 蛸壺やはかなき夢を夏の月(芭蕉)  白井一道 

2018-02-24 15:31:25 | 日記

 蛸壺やはかなき夢を夏の月  芭蕉

句郎 岩波文庫『芭蕉俳句集』から「蛸壺やはかなき夢を夏の月」。「明石夜泊」と前詞を置き、『笈の小文』に載せている。芭蕉45歳の時の句。
華女 『笈の小文』を読むと芭蕉は須磨に泊っているのじゃないのかしら。
句郎 前詞「明石夜泊」というのは事実ではない。「明石夜泊」はフィクションなんだろうな。『笈の小文』の旅に出たのは、貞享四年十月のことだけれども、紀行文『笈の小文』を執筆したのは元禄三・四年のことだったようだから、「明石夜泊」の前詞によって「蛸壺や」の句が文学作品になると芭蕉は考えたんじゃないのかな。
華女 文学というのはフィクションを書くことによって真実を表現するといわれているのよね。
句郎 そうなんじゃないの。真蹟懐紙には次のような詞書が残っているようだ。「須磨の浦伝ひして、あかしに泊まる。其比卯月の中半にやはべるらん。ばせを」とね。でも実際はもう少し季節は晩夏のようだったみたいだ。
華女 場所も季節も変えて句を詠んでいるのね。
句郎 一七世紀後半の江戸時代、明石はすでにタコの名産地として有名だったんじゃないのかな。
華女 芭蕉が明石で美味しい蛸料理を食べ、この句を詠んだんだと思うと想像力が広がるような気がするわ。
句郎 茹で上がったばかりの蛸を串に刺し、ほおばっている。美味しかったねと、一息をつく。句が湧いた。そんな感じかな。
華女 夏の月の光が海面を通り蛸壺の中に射す。月の光を受け、蛸はどんな夢をみていたんだろうと芭蕉は思ったということなのね。
句郎 ほんとうに儚いものだと実感しているということかな。
華女 若い女の美貌のようなものよ。
句郎 番茶も出ばなは美味しい。そういうことなのかな。
華女 百人一首にあるでしょ。「花の色はうつりにけりないたづらにわが身世にふるながめせしまに」と詠った小野小町の歌があるじゃない。『古今集』にある句よ。美貌なんてものもほんとに儚いものなのよね。
句郎 華女さんも昔は美貌だったのかな。
華女 私が生まれ育った町を春日町といったのよ。娘時代、私は春日小町なんて言われてものなのよ。
句郎 へぇー、そうなんだ。
華女 芭蕉自身も自分自身の人生を儚いものなんだという実感をよんでいるのかもしれないわよ。
句郎 蛸の美味に舌鼓を打って頂いた喜びも儚いものだと芭蕉は感じたのかもしれないな。
華女 明石が蛸の名産地として知られるようになったのは、明治以後のことなんじゃないのかしら。蛸を食べる文化は関西の文化よ。関東に蛸を食べる文化が広がるのは戦後のことのようよ。
句郎 「高砂や歌人も知らぬ蛸の味」。このような句を聞いたことがあるけど、これは関西での話なのかな。
華女 たこ焼きの普及が蛸を食べる文化を広げたんだと思うわ。
句郎 そう言えば、蛸が季語として登録されるようになったのは、まだ最近のことなのかな。
華女 この句は蛸壺を詠んでいるのではなく、夏の夜の儚さを詠んでるのよ。