無き人の小袖も今や土用干 芭蕉
句郎 岩波文庫『芭蕉俳句集』から「無き人の小袖も今や土用干」。芭蕉45歳の時の句。「千子(ちね)が身まかりけるを聞きて、美濃の国より去来がもとへ申しつかはし侍りける」と前詞がある。『猿蓑』に載せてある。
華女 「千子」とは、芭蕉とどのような関係にあった人なのかしら。
句郎 千子は芭蕉の門人で去来の妹だった。芭蕉は去来からの手紙で知ったようだ。
華女 これは、芭蕉の追悼句なのね。私、芭蕉の追悼句、好きだわ。思いが籠っているのに軽いのよね。その軽さが気にいっているのよ。
句郎 千子の辞世の句「もえやすくまた消えやすき蛍かな」。この句、とてもいいよね。
華女 妙な執着がなくていいと思うわ。
句郎 妹の死を悼んで去来は、「手の上に悲しく消ゆる蛍かな」と詠んでいる。
華女 去来は妹を大事にしていたのね。しみじみとした哀しみね。
句郎 土用干しという風習が日本にはあった。そのような風習がなくなって久しいが、日常生活を大事にしていた昔の日本人の生活を知る上でもこの句は後世に残していきたい句の一つだと思うな。
華女 「小袖」と言っても、小袖を日常生活で着ていたのは、私の祖母の頃だったんじゃないのかしら。私の母はもう洋服というか、スカートとブラウスを着ていたように思うわ。
句郎 着物の洗濯というのは大変だったと思うな。着物はすべて布切れにこわし、洗い張りしたあと、また縫って着物に仕立てていたんだからな。
華女 だから季節が変わり、夏を迎えると土用干しが絶対必要だったのよね。この土用干しの風習を実感できる人には、芭蕉のこの句を身に沁みて感じることができるんじゃないかと思うわ。
句郎 土用干しした小袖はやがて子供の着物として着続けられていくんだろうな。
華女 庶民は丁寧な日常生活を送らなければ、生きていけいないという状況があったんでしょうよ。
句郎 そのような庶民の日常生活の中に芭蕉は美しいものがあるなぁーという感慨をもったんじゃないのかな。
華女 無き人が着た小袖を今や、土用干しして亡き人の子がその小袖を着て母の思いや願いを実現すべく生きていこうとしていますよと、いうことね。
句郎 一編の物語があるね。この句には。
華女 物語が生まれるような句が名句なんじゃないのかしらね。
句郎 芭蕉の追悼句というと、「入る月の跡は机の四隅哉」が思い出されるんだ。今は亡き人が愛用した机が部屋に入る月の明かりに照らされている。その机の上で書かれたものに思いを寄せている芭蕉の気持ちがわかるような句だと思っているんだ。
華女 句郎君の読みを聞いてなるほどねと、思ったわ。
句郎 「埋火も消ゆや涙の烹ゆる音」。通夜の静かさが表現されているように感じているんだけどね。
華女 通夜とは、このようなものでなければいけないわ。お酒を飲んで単なる雑談している風景を目にするけれど、昔の通夜はこのようなものであったんだと教えられるような句ね。
句郎 芭蕉は庶民を詠った。