おもしろや今年の春も旅の空 芭蕉
句郎 岩波文庫『芭蕉俳句集』から「おもしろや今年の春も旅の空」。注釈に「よとぎの詞」の初めに見える句とある。
華女 芭蕉の人生を窺わせる句ね。
句郎 軽く生きているということかな。
華女 しがらみがなかったのね。旅に死んでも平気だという気持ちよね。
句郎 この句を詠んだとき、芭蕉は四十六歳になっていた。元禄時代にあっては、もう初老だったんじゃないのかな。
華女 無一物。だから軽く生きられたのよね。
句郎 芭蕉には家族がなかった。親はもう亡くなっていた。旅に生きる俳諧師だったからね。
華女 旅を芭蕉は楽しんでいたのね。旅の毎日が面白くて、楽しくて、しょうがなかったのね。
句郎 腹の底から湧き上がって来る喜びでいっぱいだったんだろうな。
華女 句を詠むことが嬉しくてしょうがなかった。そんな人だったのかもしれないわ。
句郎 芭蕉とほぼ同時代を生きた漂泊の僧侶に円空がいる。この円空について哲学者の梅原猛は『歓喜する円空』という本を書いた。円空は仏を彫り、地域住民の幸せを祈った。生活に苦しむ人々のために祈り、木造仏を彫ることが嬉しくしてたまらない。芭蕉より十二年早く生まれ、芭蕉より一年長く生きた。芭蕉は病に倒れたが、円空は自分の死を悟り、即身仏になる道を選択した。生きることが嬉しくて嬉しくてたまらない。旅に生きることが嬉しくてたまらない。苦渋に顔が歪むことがない。怒る仏を彫っても、その仏に向かうと心が休まる。癒される。円空仏の本質は笑顔にある。「おもしろや今年の春も旅の空」。この芭蕉の句にも円空と同じような心があったのではないかと思っているんだけどね。
華女 芭蕉も円空も単に自分のためだけに生きていないと言うことかしら。
句郎 円空は木造物を彫っただけではなく、和歌も詠んでいる。「歓喜(よろこび)はいつも絶やせぬ春なれや浮世の人を花とこそみれ」。生活に苦しむ浮世の人は花なんだ。厳しい労働に疲れ切っている人の真実は花なんだという認識を円空は持っていたと梅原氏は理解していた。
華女 木造仏を彫り、地域住民と一緒に祈ると疲れ切った顔に笑顔が現れるということなのね。
句郎 芭蕉は俳諧の座を地域住民と一緒に囲み、俳諧を詠んで、微笑む。俳句を詠み合うことが嬉しくてたまらない。面白くてたまらない。
華女 俳諧の座には「歓喜する芭蕉」がいたのね。
句郎 俳諧の座にあって芭蕉は柔和な笑顔の人だったんじゃないのかな。
華女 芭蕉と一緒に俳句を詠み合いたいと思ってくれる人がいなくちゃ、俳諧師にはなれないでしようからね。
句郎 俳諧は笑いに本質があるようだからね。
華女 笑いは本質的に庶民のものなのよね。
句郎 そう、俳諧は本質的に農民や町人の遊びだった。楽しい遊びだった。笑顔に満ちた遊びだった。誰でもが気後れすることなく、遊ぶことができた。そのような座を芭蕉はつくることができた。
華女 厳しい旅が面白く、楽しいものだったからこそ、芭蕉は旅に生き、旅に死ぬことができたのね。