千曲川のうた

日本一の長河千曲川。その季節の表情を詩歌とともに。
人生は俳句と釣りさ。あ、それと愛。

山芋変じて鰻となる

2019年11月05日 | 千曲川の魚
唐突ではありますが、山芋が鰻になるという件についてです。
長いわりに実りのない雑文ですが……。

ウナギは古くから世界中で食用にされてきた身近な魚です。しかしその生殖については謎だったので、様々な憶説が流布していました。


例えばアイザック・ウォルトンの「釣魚大全」は、鰻は腐敗物から生ずる、露が日光に照らされて鰻になる、などの説を挙げています。

日本ではもっぱらヤマイモ(自然薯)が鰻に変ずるとされていました。
歳時記には、
 腐草変じて蛍となる
 雀大水に入て蛤となる
 田鼠化して鶉となる
といった類の季語があります。しかし「山芋変じて鰻となる」という季語はありません。そもそも江戸時代には鰻は季語ではありませんでした。
いっぽうヤマイモの方は季語でした。現在でももちろん季語(秋)です。

江戸末期の歳時記である「増補俳諧歳時記栞草」(嘉永4年・1851)を見てみると、「救荒本草」を引用する形でこう述べています。

 薯蕷(やまのいも)、渓の辺に端を出し、時々風水に感じて鰻に変ず。半ば変ずるものをみる人、往々あり。

しかし、国立国会図書館デジタルライブラリで「救荒本草」を見ると、このような記述はありません。どうも「栞草」にある引用や出典の表記はルーズなようです。

「和漢三才図会」を調べてみると、巻第五十「河湖無鱗魚」にある「鰻」の項に、山芋が鰻に変ずる話がありました。
しかしこれが漢文で書かれており、浅学の身にはつらい。我流で書き下してみます。なお文中の「鱧」はここではハモではなく、「レイ」と読んでヤツメウナギを指します。


 (うなぎの幼魚が成長して川上に行き)
 然るに影を鱧魚に漫して子を生むの説未だ審らかならず。鱧無きの処に亦多く之有り。
 又薯蕷久しく濕浸せられて変じて鰻と化するもの有り。非情より有情と成るもの是れも又必ずしも盡く然らざるなり。

鰻の繁殖に関する二つの説が紹介されています。
第一の説は、ヤツメウナギをレイプして子どもを産ませるのだと言っているようです(!?)。でもヤツメウナギのいない川にも鰻がいるから、これだけでは説明が付かない。
第二の説は、山芋が濡れて鰻になるというのでしょう。でも植物が動物になるというのは、うーん。
三才図会の著者は両説を頭から否定しはしないが、それだけでは納得出来ないと言っているようです。科学的態度と言って良いのではないでしょうか。


しばらく山芋が鰻に変ずる話を拾ってみましょう。

類書「塵袋」
 蛇のうなぎになるとも、やまのいものうなぎになるとも云ふ事あり。物の変化は無定にや。

狂言「成上り」
 いやいやこれは真実なると申しまする。そのなり様は四五月のころ、雨の長う降り続いて、えて山の崩るるものでござるが、その崩れたる間より山の芋がちよつと現れ、下の谷へこけ落ち、これが鰻になると申してござる。

随筆「東遊記」橘南谿
 また近江の人の語りしは、長浜にて山の芋を掘来たり料理しけるに、中に釣針のありしことあり。其掘りし所むかしは湖水の傍なりし所といへば、此薯蕷はうなぎの変じたる事疑ひなしといへり。其物語りし人も貞実の人なりしが、いかゞありしや。

俳文「百魚譜」横井也有
 狭夜姫は石となり山のいもは鰻となる。かれは有情の非情となり、これは非情の有情となれり。石となりて世に益なく、鰻となりて調法多し。

談義本「風流志道軒伝」
 我が身も薯蕷が鰻になるやうに、尻の方から二三寸程も、出来合の聖人に成りかかりたれば。

川柳「柳多留」明和2年
 山のいもうなぎに化る法事をし

狂歌 四方赤良
 あな鰻いづくの山のいもとせを裂かれてのちに身を焦がすとは

さすがに也有と赤良(大田南畝)はうまいなあ。
江戸時代の人々だってこんな俗説を真面目に信じていたわけではないと思います。むしろ面白がっていたのではないでしょうか。
鰻になりかけの山芋を見た、という話の伝聞記録は多くあるようです。でもそれはUFO目撃談みたいなもので、「山芋が鰻になる」という話があるから目撃されるのであって、その逆ではないでしょう。

 自然薯を暴れぬように藁苞のなか 杉本雷造

これは現代の作ですが、「鰻に変じて暴れたら……」の意でしょうね。


根拠の無い話ですが、私は寺方の精進料理が始まりなのではないかと想像していました。豆腐から雁擬を作ったように、自然薯で蒲焼擬を作って「薯が鰻に化けたのさ」と洒落たのではないか。もしかしたら逆に、僧が鰻を食べながら「これは薯だ」と言い張ったのかも知れません。


話はいよいよ本題からそれて行くのですが、この図版は朋誠堂喜三次作・恋川春町画の黄表紙「親敵討腹鞁(おやのかたきうてやはらつゞみ)」の挿画です。半世紀前、高校生だった私に黄表紙の面白さを教えてくれたのはこの作でした。(ちょっとイヤな高校生だったか)。
かちかち山では兎が悪い狸を成敗したのですが、これはその後日談です。親を殺された狸の子が兎を付け狙い、ついに仇を討ちます。ウサギは真っ二つに斬られ、なんとウとサギに分かれて飛び立ちます。この挿絵は、その鵜と鷺が捕ってきた鰻を吐き出して、世話になった鰻屋に恩返しをしているところです。


昔はああだったのに今はこうなってしまった、という話は年寄り臭くて大嫌いです。でも私も年寄りになりました。
昔は置き針で鰻を狙う人がいて、岸辺の木に凧糸が結びつけられていたりしたものです。今は千曲川で鰻釣りをしている人は、……私は見ません。鰻が減っているのでしょう。
それとともに思うのは、魚を食べることを目的として釣りをする人が、特に淡水では激減していることです。釣りのレジャー化、釣りのスポーツ化、釣りのファッション化、釣りの情報化。

かく言う私も、釣った魚をどうこうしようという興味は少ないです。岩魚が釣れたら焼いて食うぐらい。でも釣りはやめられません。面白いもの。
もし鰻になりかけの山芋が釣れたらすぐに写真をお見せしますから、日々のチェックを怠らないで下さい。

コクチバス

2019年05月21日 | 千曲川の魚
らない釣り人、竹内です。

10連休のおわり、近所の川へ魚釣りに行きました。
ここらへんは千曲川の中流域、一番釣れる魚はいまやコクチバスということになってしまいました。
バスというと私には乱暴で下品な魚というイメージがありますが、それでもオオクチバスよりコクチバスの方が少し奥床しいか。



千曲川で釣れたコクチバス、20cm弱かな

釣れたのはさして大きくないバスですが、掛かった瞬間に川底へギューンと引き込むスピードと力はなかなかです。
ネットの釣り動画を見ていると、バス釣りの道具特にルアーの多彩さは呆れるほどです。現在では淡水で一番釣り人が多いのはバスですから、メーカーもどんどん新しい物を出します。
地元の釣り人を見ると、ジグヘッドにワームという人が多く、メタルバイブで大物狙いという方もいました。季節にもよるのでしょうね。

私の場合は魚が釣りたくて魚釣りをするわけではないので、道具には凝らないようにしています。基本的にスプーンのみ。


赤金は平均値が高い

知ってる人は見れば分かるでしょうが、これは渓流で岩魚を狙うルアーです。


ブラックバスは季語ではありません。
新参者だから過去の例句もないし、余り顕著な季節的変化がないので季も決めにくい。まあこれから次第に例句が積み上げられれば、夏の釣りということで季語になるかも知れません。

  乗込みにブラックバスもゐたりけり 茨木和生

これは「乗っ込み」で春の句ですね。


以下は余談です。

バスは外来魚の代表みたいで、駆除の対象となっています。しかし現実的には、もはや駆除は不可能でしょう。
あの「池の水全部抜く」というテレビ番組は、侵略的外来種の駆除を錦の御旗(古!)みたいにしています。
カミツキガメの映像をくり返し、おどろおどろしい書体の文字で外来生物の繁殖を強調する。そして大学の先生という人が「外来生物が在来種を駆逐して環境を破壊し、子どもにも危険が迫っている」みたいなことを言うが、まるでヘイトスピーチのようです。
ツキノワグマに襲われて重傷を負った人もスズメバチに刺されて死にかけた人も個人的に知っていますが、アリゲーターガーに食い殺された人の話は聞いたことがないですねえ。
鯉が外来魚だと言うに至っては「リストアポイントはどこなんだ?」と呟かざるをえません。まあ、突っ込みどころを作っておくのもテレビ番組の常道なのでしょうが。

以下は余談の余談です。
知人の奥さんが、膝の水全部抜きました。

SASORIは今もいるのだろうか

2013年07月12日 | 千曲川の魚
サソリと言えば梶芽依子、古いな。うん、古い。
そうではなくて魚のサソリのことが気にかかる。

50年ほど前、ある日友達と千曲川で魚を捕っていた。網も何も使わず、素手で石の下やアシの根本を探って手づかみするという実にプリミティブなやり方である。
一番楽に捕まるのがジンケン(オイカワ)のオスだ。こいつは体にヌメリがないので一度掴めば逃げられない。見た目は誠に派手で綺麗だけれど、これを捕まえてもあまり自慢にはならなかった。そしてバケツに入れておくと最初に死んでしまう。
その日、堰堤の魚道の下流にある浅瀬で石の下を探っていたYくんが何かを捕まえた。手を開くと小さなナマズのような魚がいたが、Yくんは「あ、サソリだ!」と言って放り投げてしまった。私はそれまでサソリという魚は全く知らなかったが、手を刺されるのだという。

私が「サソリ」という魚を見たのは生涯にこの一度きりである。先日橋の上から川を見ていてこのサソリ事件を急に思い出したのだが、記憶はひどく曖昧であった。
そもそもサソリなんて魚が本当にいたんだろうか。
辞書や図鑑類をみても分からなかったが、やはりネットは凄い。「新潟県ではアカザをサソリと呼ぶ」という記述を見付け、アカザを検索すると50年前のあの魚がいた。赤い、泥鰌とナマズの中間みたいな感じの魚である。鰭にとげがあって刺されると書いてある。疑問氷解である。気持ちがいい。

しかし、である。何故サソリなんだろう。そもそも、ヤマトに蠍なんていないのに「さそり」というヤマトコトバがあるのはどうしてなのか。
大きな辞書にあたると、ジガバチのことを古くはサソリとも呼んだという。蠍・似我蜂・アカザには「刺す」という共通性があるから、名前もそれに由来するのだろうか? ひょっとしたら「さそる」というラ行四段活用の動詞があったのか? 能登半島では鈎の付いた竿で磯の蛸を捕る漁を「タコさすり」と称するそうだが、この「さすり」はどうなんだろう?

また疑問がわき上がるわけだが、語源ほど難しいものはないから考えてもしょうがない。
それより、眼下の千曲川には今もサソリはいるんだろうか。
最近見た方、いますか?