千曲川のうた

日本一の長河千曲川。その季節の表情を詩歌とともに。
人生は俳句と釣りさ。あ、それと愛。

ホッピーをいただいた

2019年05月30日 | いただきもの歳時記
いきさつは省略しますが、ホッピーというものを頂きました。おすそわけというやつです。



漠然と知ってはいましたが、これまで飲んだことはなく実物は初めて見ました。





付いていたリーフレットには、

  冷たいグラスに冷やした焼酎を入れ
  勢いよくホッピーを注ぐ
  氷は入れない
  かき回さないこと

とあります。

どうやらノンアルコールビールのようなものらしい。これで焼酎を割るとビールテイストの飲み物ができるわけですね。
1948年に出来たと書いてあります。つまりビールがとても高くて焼酎がとても安かった時代に発明されたということでしょう。

ビールと焼酎の価格差の大きな要因は酒税の税率でした。
現在もそうですが、ビールにかかる酒税は異常に高い。そのため発泡酒や第3のビールなどが作られたわけですが、ホッピーはそれらの元祖みたいなものだったのかと想像されます。酒税のかからないホッピーと安い焼酎を混ぜればビールになる。大した発明です。しかも自分でアルコール度数を調節出来る。

焼酎は現在とても好まれているし、高級品もたくさん作られています。でも私の子どもの頃の感覚では安酒の代表でした。どころか、焼酎はアルコール中毒の社会脱落者が飲むものというイメージでした。(あくまでも、幼く非常識だった私一個の偏見に過ぎませんが)。

そうそう、労働歌「赤旗」の替え歌に、

  民衆の酒焼酎は安くて回りが早い

なんてありましたっけ。



焼酎もビールも夏の季語。ホッピーもこの際夏の季語にしたいところですが、私の恣意では決められませんから、無季。

  焼酎をホッピーで割る春の宵  野浪正隆
ううむ、そのまんまやないか!

  ホッピーの張り紙煙る秋刀魚かな  七草
京成線沿いの飲み屋だね、きっと。

せっかく頂いたが、わが家に焼酎はない。長年持て余しているテキーラがあるから試してみようかと思うのですが、ホッピーファンに叱られるでしょうか。

蕨をいただいた

2019年05月28日 | いただきもの歳時記
知人から蕨を頂きました。



すでにアク抜きしてあるので、すぐ食べられます。

以前頂いた時は、ナマの蕨にアク抜き用の灰が一掴み添えられていました。で、私は「次からはアク抜きして持ってきてくれ、何なら身欠鰊と煮たのでもいいよ」と図々しい注文をしたのでした。



とりあえず辛子醤油で食ってみましょう。


  蛇穴を出てみれば周の天下なり  虚子

ずーーーっと昔の中国。武王は主君である殷の紂王を討って周王朝を建てました。この時、伯夷と叔斉の兄弟は武王の方針に反対し諌めました。しかし結局武王は戦いを進め勝利したのでした。
兄弟二人は周の天下で生きるのを恥として首陽山に籠もりました。ひきこもり生活での一番の問題は衣食住の確保でしょう。山には食糧が乏しく、二人は「薇」を食べてしのいでいましたが、やがて餓死してしまいます。その時作ったのが「采薇歌」です。

  登彼西山兮 采其薇矣
  以暴易暴兮 不知其非矣
  神農虞夏 忽焉沒兮 吾適安歸矣
  吁嗟徂兮命之衰矣

紂王の暴虐を討つといったが、結局武王も暴力を用いて勝っただけではないか。聖人が治める平和な世が望めないなら、我等はどこに行けば良いのか。武王に仕えて飯を食っていくくらいなら、山に隠れて山菜を食べよう。……てな意味でしょうかねえ。

「薇」を辞書で調べると「ぜんまい」ですが、この逸話を紹介する文献の多くは「わらびを食べていた」としています。

  やせこけた死骸があると蕨取り(誹風柳多留)

むろん「ぜんまい」派もあるし、慎重に「山菜」としているものもあります。

ゼンマイと書いてあるのに何故ワラビになるのか?

どうやら日本では「薇」を「ぜんまい」にも「わらび」にも宛てていたんですね。そして本家中国ではこの字は野生のエンドウ豆を指すようです。
おそらく伯夷と叔斉が食べたのは野生の豌豆でしょうが、要は周の農産物ではないものというのがポイントであり、「薇」は山菜の代表として詠まれているのでしょう。だから日本では山菜代表のワラビという話になります。(以上は素人の憶説です)。

「采」の字義は「採」に同じ。ですから「采薇」は「山菜採り」くらいに考えれば良いのでしょう。
矢島渚男先生の第一句集は「采薇」でした。
題簽加藤楸邨、序文森澄雄、1973年刊。



「采薇」というタイトルについて森澄雄は、伯夷・叔斉の故事を思い出す人が多かろうが、自分はそんなかたい話より「詩経」の「草蟲」の詩や万葉集の志貴皇子の歌を思い出す、とし、

 「明るい山国の春、また山国人の楽しみ、どこか相聞の歌ごゑのきこえる明るい集名であらう。」

と書いています。この「山国」とは、

  故郷(くに)離れざるものわれと寒鴉 渚男

と詠まれた作者の生地である信州丸子町(現上田市)です。

この句集についてはいろいろ思うところがあるのですが、別の機会に整理を試みることとし、今は集中から数句を引いておきます。

  木曽の簷道へあまりて雲雀籠    渚男
  漉き紙のほの暗き水かさねたり
  やはらかに雲結びあふ袋角
  むらさきになりゆく二羽の青鷹

玉葱をいただいた

2019年05月27日 | いただきもの歳時記
Oさんから今年もたくさんの玉葱を頂きました。



こんなに大量の玉葱を食べたら、血液さらさらどころではなく、全身さらさらと流れ去ってしまうかも。



紫も綺麗

  火の中にゐる高齢の玉葱たち  飯島晴子
  玉葱の葉の居丈高それはそれ
  玉葱はいま深海に近づけり

たかが玉葱なんですが、飯島晴子さんの手に掛かるとインパクトのある句になりますねえ。

とりあえず、まるごと一個を蒸してポン酢でたべてみようかな。

干し柿をいただいた

2019年05月22日 | いただきもの歳時記
知人から干し柿を頂きました。



季節外れっちゃ季節外れですが、昨秋作って冷蔵してあったものです。



余所ではこんなことしないでしょうが、この辺では干し柿に胡桃を入れます。干しあがった柿を良く揉んでから蔕を取り、胡桃の実を押し込みます。独特の食感で、これが美味いんです。柿を干すシーズンになると、農協やスーパーの店頭に剥き胡桃が並びます。



このまま食べてもちろん美味しいのですが、私はヨーグルトに一晩埋めておくのが好きです。柿がとろとろになって、ウマイ!


さて話は変わるのですが、この自家製干し柿のような手の掛かった食べ物を見ると、私は「まて」という今はあまり使われない言葉を思い出します。

  黄鳥(うぐひす)のまてにまはるや組屋敷  一茶

1軒も漏らさず回っているというのでしょう。

日本国語大辞典で「まて」をひくと、「まじめなさま。律儀なさま。念入りなさま。ていねいなさま。」とあって、日葡辞書が「実直な」の意としていることを紹介しています。

信州方言かなあと思っていたのですが、もっと広く使われていたようです。

私個人の語感では、手を抜かず律儀に仕事をすることであって、およそ杜撰の反対語というニュアンスで受け取っていました。

柿一顆も無駄にせず収穫し、干して保存食にする。剥いた皮も干していろいろに利用する。例えばそれが「まて」です。

更に言うと、何かを無駄にするのは罪悪だという寒村の価値観の息苦しさのようなものも張りついていたかも知れません。褒め言葉であると同時に「けちくさいなあ」と揶揄する場合もあったように思います。

  田植歌まてなる顔の諷ひ出し  重行

「続猿蓑」所収。真面目な顔で歌い出したという意味なのでしょう。しかし私の経験した用例はみな仕事や動作に係わるものだったので、「まてな顔」には違和感があります。
もともと「真手」であって手作業にかかる言葉だったものが、精神的な方向へ抽象化されたのでしょうね。

なお重行の句については幸田露伴が「物類称呼」を引いて懇切に説明しています。篤志の方は露伴「七部集評釈」をご参照下さい。

秋に俳句会に行くと、「柿がたわわに実っているのに採る人もいない」という句を多く見ます。時代と言うしかありません。
私には1本の果樹もひと畝の畑もありませんが、いただきもので贅沢ができますから幸せなことです。


2017年秋、飯田蛇笏・龍太父子の旧居である「山廬」へお邪魔しました。百目柿でしたっけ、甲州の大きな柿が吊されていました。干し柿の話のついでに写真をお目に掛けましょう。



柿の左側に見える表札は「飯田龍太」。
柿の下に干されているのはズイキです。

  干柿に闇たつぷりと甲斐の国  橋本榮治


コクチバス

2019年05月21日 | 千曲川の魚
らない釣り人、竹内です。

10連休のおわり、近所の川へ魚釣りに行きました。
ここらへんは千曲川の中流域、一番釣れる魚はいまやコクチバスということになってしまいました。
バスというと私には乱暴で下品な魚というイメージがありますが、それでもオオクチバスよりコクチバスの方が少し奥床しいか。



千曲川で釣れたコクチバス、20cm弱かな

釣れたのはさして大きくないバスですが、掛かった瞬間に川底へギューンと引き込むスピードと力はなかなかです。
ネットの釣り動画を見ていると、バス釣りの道具特にルアーの多彩さは呆れるほどです。現在では淡水で一番釣り人が多いのはバスですから、メーカーもどんどん新しい物を出します。
地元の釣り人を見ると、ジグヘッドにワームという人が多く、メタルバイブで大物狙いという方もいました。季節にもよるのでしょうね。

私の場合は魚が釣りたくて魚釣りをするわけではないので、道具には凝らないようにしています。基本的にスプーンのみ。


赤金は平均値が高い

知ってる人は見れば分かるでしょうが、これは渓流で岩魚を狙うルアーです。


ブラックバスは季語ではありません。
新参者だから過去の例句もないし、余り顕著な季節的変化がないので季も決めにくい。まあこれから次第に例句が積み上げられれば、夏の釣りということで季語になるかも知れません。

  乗込みにブラックバスもゐたりけり 茨木和生

これは「乗っ込み」で春の句ですね。


以下は余談です。

バスは外来魚の代表みたいで、駆除の対象となっています。しかし現実的には、もはや駆除は不可能でしょう。
あの「池の水全部抜く」というテレビ番組は、侵略的外来種の駆除を錦の御旗(古!)みたいにしています。
カミツキガメの映像をくり返し、おどろおどろしい書体の文字で外来生物の繁殖を強調する。そして大学の先生という人が「外来生物が在来種を駆逐して環境を破壊し、子どもにも危険が迫っている」みたいなことを言うが、まるでヘイトスピーチのようです。
ツキノワグマに襲われて重傷を負った人もスズメバチに刺されて死にかけた人も個人的に知っていますが、アリゲーターガーに食い殺された人の話は聞いたことがないですねえ。
鯉が外来魚だと言うに至っては「リストアポイントはどこなんだ?」と呟かざるをえません。まあ、突っ込みどころを作っておくのもテレビ番組の常道なのでしょうが。

以下は余談の余談です。
知人の奥さんが、膝の水全部抜きました。

アスパラガスをいただいた

2019年05月20日 | いただきもの歳時記
Mさんから朝採りのアスパラガスを頂戴しました。



もう90歳くらいかと思いますが、葡萄と野菜を作る現役バリバリ。無農薬が自慢のアスパラはいつもながら立派で美味しそうです。
さっと茹でてマヨネーズ、いいなあ。
フライパンでバター焼きにして黒胡椒を振ったのも、甘くて美味しいはずです。



根元の薄紫が美しい。

アスパラガスは春の季語です。

  アスパラガスのほのむらさきと掘りあげし 小池文子
  朝採りのアスパラガスのふぞろひに    増田みな子
  友を待つアスパラガスに肉巻いて     中戸川朝人

歳時記ではウドの次に排列されていることが多く、あるいはウドの傍題として扱われている場合もあります。そして歳時記にはアスパラガスの和名が「松葉独活」だと書いてある。そんな呼び方は聞いたことがないのですが、下の写真を見れば命名の理由が知れるでしょう。



アスパラガスは芽が出たところを収穫して食べてしまうわけですが、切らなかった茎は成長すると細かく枝分れして針状の葉をつけます。それは松葉に似ていなくもないから、不審な名前とは言えないですね。少なくとも「松葉蟹」や「松葉崩し」より明快ではあります。

  長女来て母と睦べり松葉独活     橋本鶏二
  うつくしき雪いただくや松葉独活   渡辺白泉

やがてクリーム色の地味な花が咲いて、秋には赤くてかわいい実がなります。冬枯の時季まで残った実はとても印象的ですね。

花や実を詠んだ句は多くはありませんが、実物を見慣れている人にはこの情趣がわかるのではないでしょうか。

  アスパラの葉にも花にも今朝の雨   飴山 實
  耕衣忌のアスパラガスの実が真つ赤  村上幸子

さて、私もアスパラ食ってがんばることにしよう。

  アッスッパーラでやりぬこーおォ!

  (古いなァ、うん古い。三木鶏郎だもん。)


林檎をいただいた

2019年05月13日 | いただきもの歳時記
林檎農家の同級生から林檎をいただきました。「ふじ」です。



今は5月、林檎畑では花の時季が過ぎて小さな実が着いている状態ですから、これはもちろん去年の林檎です。専用の冷蔵庫で保管されていた物なので、みずみずしさは失われていません。
とはいっても、旬の美味しさを望むのは無理というもの。味はだいぶ劣ります。
わたしは皮をむいて適当にカットしてから、たっぷりのレモン汁をかけて食べます。すると味にメリハリが付いてうまい。
冷蔵庫から出された林檎はどんどん劣化していくので、全部このように処理してビニール袋に入れて家の冷蔵庫に保管します。ま、保管といっても数日で全部食べちゃいますが。

林檎の果実は秋の季語。また冬林檎という季語もあります。

  刃を入るる隙なく林檎紅潮す 野澤節子
  俎を傷つけて割る冬林檎   今瀬剛一

しかし季節外れに食べる夏の林檎は季語にはならないし、まあ別に俳句に詠まなくてもいいですね。
念のために渉猟してみると、虚子の句がありました。

  夏の月皿の林檎の紅を失す  高浜虚子

季語は林檎ではなく「夏の月」ですが、月光を浴びた林檎が描かれています。
これは早生種の「祝」かなあ。このごろは見ませんが昔は「盆りんご」といってお盆のお供え用に8月初めに出荷されていました。収穫時は青い林檎ですが、日光と水を当てて赤くしていたように覚えています。



犬は果物には1ミリも興味をもたず、爆睡。